ショートなはなし

実際に体験したことをもとに、ショートな話をお聞きください。

武蔵小杉の黄昏

2021-01-20 13:02:19 | 日記
予備校に通っているとき
仕送りだけでは
食べていくことができず

大学の生協でアルバイトをした

訛りがとれない僕は
家電コーナーで寡黙に働いた
学生相手に電化製品を売る仕事

アルバイトを始めて何日か経ったある日
新しい女の子がバイトに入った
世田谷にある大学の一年生

美しいひとだった
今までに見たことがないほど

学生たちが、彼女に群がる
偏差値の高いことを武器に
たくさんの男が言い寄った

僕は遠目にそれを見ていた
本当に美しいひとだった

彼女は、徐々に、
うんざりとした表情を見せるようになる
男たちのエゴは、凄まじい

彼女を初めて見た日から
数ヶ月が経ったある日
バイトへ向かう電車の中で
僕の名前を呼ぶひとがいた

彼女である

電車の音に会話を邪魔されながらも
僕らはいろいろなことを話した

キャンパスの中を
肩を並べて、話ながら歩いた
夢のような時間だった

それからも、ときどき、
電車の中で、一緒になった
美しすぎて、彼女の顔を
直視することはできなかったけれど
肩を並べて歩くことは
僕をこの上なく、幸せな気分にさせた


半年の契約だった僕は
彼女より一足先に
バイトをやめることになる

みんなに挨拶して
帰ろうとしたとき
彼女が僕の名前を呼んだ

肩を並べて
銀杏並木を歩く
青い葉が、少し黄く色づき始めていた
夕暮れどき

電車の中でも、いろいろな話をした

乗り換えの駅で
僕らは手をふり、別れを告げる
また会う約束を、僕はできずにいた
彼女のいる場所が
僕のいる場所と、あまりに
かけ離れていたからだ

地下鉄の乗り換えのため
改札口に向かおうとしたとき
彼女は僕の名前を呼んだ
彼女の方に顔を向けると
彼女は唇を噛み締めていた

何か話そうとしている

僕は彼女の言葉を待つ

あのぉ・・・
次の言葉が出てこない
僕は少しの期待を胸に
彼女の言葉を待った

やっぱり、いいんです
彼女はそういうと
小走りに去っていってしまった

僕は佇んだ

彼女は初めて僕に敬語を使った


数日、もやもやとした気持ちが
消えずにいる

僕は、武蔵小杉の駅のホームに
立っていた
彼女が武蔵小杉の駅を利用していることは
彼女から聞いていた

それから、何度か、
彼女の言葉を探しに
武蔵小杉まで出掛けた

オレンジ色に染まるホームで
僕は幾度となく
彼女の姿を探した
黄昏どきまで待つ
最終まで、待つこともあった

けれど、彼女には会えなかった

翌年、彼女の通う大学を
受験しようとも考えたが
やめておいた

黄昏が、暗闇になってしまうことを
懸念した