やる気と感謝 ー優れた文章に学ぶー

2019-06-18 10:10:35 | 日記

やる気は、感謝から生まれる。

 

あなたには、素晴らしい両手・両足、目や脳などが存在します。

それは長い歳月を経て、生物は進化を繰り返し、最も地球で生きるのに適切な設計図である、DNAの進化を繰り返した結果です。

 

DNAをもとに細胞分裂を繰り返し、手は生活に適した5本の指がはえ、両手両足はバランスよくなるよう2本ずつになっています。

そういうDNAの存在も驚きです。

DNA細密な構造にも感動を覚えることでしょう。

不自然に調和し合って、すべてがうまくいきすぎて、あなたは誕生しました。

神がいるとは信じがたいですが、いるとしか思えないほど、すべての話がうまくいきすぎています。

素晴らしいことです。

 

そうした壮大なスケールで考えていると、頭がパンクしてしまいそうです。

実感として感じにくいかもしれませんが、そうした壮大なスケールで今のあなたが存在していることは、曲げようのない事実です。

あなたが、素晴らしい過去の歴史の証拠になっています。

だから今、ここに、あなたがいます。

その素晴らしい自分に気づけば、生きていることはなんと神秘的なのだろうかと感動します。

お金や地位のような価値はちっぽけに思え、すでに自分は宝を手にしていることに気づきます。

生きているだけで十分、素晴らしいと思えてきます。

生まれてしまったから、ただ仕方なく生きるのが、もったいなくなります。

一生懸命に1秒を生きようと、自然なやる気が出てきます。

それが「本当のやる気」です。


やる気はどこから

2019-06-17 19:30:08 | 日記

本当のやる気は、感謝から生まれる。

                       

本当のやる気はどこから生まれてくるのでしょうか。

それは「自分が、生かされた存在だと気づくこと」です。

今、ここに自分が存在することの素晴らしさに気づけば、吹き上げるような感謝を体感できます。

 

たとえばあなたは、何の原因もなく、この世に突然生まれたわけではありません。

今存在するのは、両親がいて、祖父・祖母がいて、何代にも続くご先祖様から引き継がれた魂のおかげです。

さらに元をたどれば、地球があるおかげであり、太陽系があるおかげであり、銀河系があるおかげです。

最終的には、宇宙があるからという究極にたどり着くでしょう。

想像を絶する歴史があり、あなたが誕生しました。

あなたが言葉を話したり深く考えたりできるのは、親からの教育や先生や友達からの影響があったおかげです。

また、あなたを取り囲む家や土地など、すべての環境のおかげです。

胸に手を当ててください。

心臓が「勝手に」動いているはずです。

勝手に動いているのは、あなたが意識をしなくても働いてくれる自律神経と、それを動かす脳のおかげです。

あなたには、素晴らしい両手・両足、目や脳などが存在します。

それは長い歳月を経て、生物は進化を繰り返し、最も地球で生きるのに適切な設計図である、DNAの進化を繰り返した結果です。

 


好きに生きる⑤ 自由と責任を両立させて!

2019-06-16 12:23:09 | 日記

好きに生きていい⑤

 先にある大人として好きに生きたら

その一人の親の与える影響っていうのはものすごく大きいです

その後の子供、孫、ひ孫に大きな影響を与えるのです。

 親が責任ある大人として好きに生きているのであれば子供にも言ってあげられるのです

 自分がそう出来ているから子どもに対しても言える

好きに生きていいのだよって

好きに生きていいのだよってあなたの人生なんだから

好きに生きなさいという風に言ってあげられたら

子供の人生にどれほど大きな影響があるか

 

孫にひ孫にとどんどんどんどん広がっていくのです

それがだからまずは自分から始めていく必要があるのです。

そしてそういうふうに生きた時が一番うまくいくのです。

 

それがうまくいくっていうふうに思えないとしたら

それは自分にエゴっていう仮面がまだついているからです

後から後天的に作られてしまった

それが自分なのだよって思わせられるような

エゴっていうのが自分にひっついているから

そう思えないかもしれないですけど

それを外せたら当たり前なのです

 

好きだから一生懸命やれる

好きだから知識が習得できる

好きだからスキルが磨けるのです

それを仕事にすれば当然お金っていうのも後からついてくるのです

お金の受け取り方っていうのも自然と見えてくるようになります

 

まずはお金から入るのではんじゃなくてまずは好きから入れば

結果的にはそれが一生涯通してやりたいことに繋がる

 

私は書きたいから書いているのです

私は描きたいから描いているのです

私は喋りたいから喋っているのです

私は聞きたいから聞いているのです

私は作りたいから作っているのですっていうことが

何の迷いもなく堂々と言えるようになる

 

好きに生きていいので

それを是非あなたから始めていっていただきたい

 

表面上で言うのではなくて心の奥底から言ってあげるためには

まずは自分が好きに生きる必要があります

 

 

自由と責任の両方を引き受ける

 自由と責任の両方を引き受けて

自分の人生は何があっても絶対他人のせいにはしない

 自分の人生は何かあっても必ず100%自己責任だと思う

 

そして次に行けると一番やりたいことをやるそれをずっと続けていくと

そして一人一人自分の目の前の人に

自分は好きに生きているから

あなたも好きに生きればいいじゃない

あなたもやりたいことを一番やればいいじゃない

 

あなたならきっとできるよって

その相手の過去とか実績とかを見るのじゃなくて

純粋に目の前にいる相手として

相手には必ず自分と同じように何らか必ず才能があって

ダイヤモンドの原石があって

それを発掘して磨いていけば当然

目の前の相手の人も好きに生きたら一番うまくいくっていうふうに

確信が持ててそれを伝えていく

 

子どもたちにも伝えていく

なぜなぜならやっぱ 子供達っていうのは 希望ですから

 社会の宝なのです

 彼ら彼女たちがやっぱり生まれながらの能力を発揮して

笑顔で愛嬌があって好奇心の塊で 天真爛漫で

そういった子たちがそのままで

大人になっていってね

20歳なのに子供

30歳なのに子供

40歳なのに子ども

笑顔で愛嬌があって途中バカやっているそういう大人が

いい年なのに子供っぽいことをいう

そういう大人が増えていけば社会っていうのは必ず明るくなるのです

もっともっとどんどんの良い社会になっていくのです

だから できることなら子供に対して堂々と親が子供に

学校の先生が生徒に

自分の後の世代の人たちに好きに生きていいのだよと

やりたいようにやっていいのだよっていう風に言ってあげられるような

自分になっていくということが非常に大事だと思います

 

だから私は今回あなたに言いたいことは

あなたの人生なのだから

どうぞ好きに生きてくださいということです。

 

 


好きに生きていい④ 誰かが気づいていく

2019-06-15 08:58:54 | 日記

に生きていい④

 

私たちにはやらなければならない義務なんてないんです

本当は育児も全くそうですよ

育児も義務でやっているのではないわけです

人って愛のかたまりです

エゴではなくて

後天的な教育によって作られたエゴではなくて

本当の自分って愛のかたまりです

 

 

人って何ですかって愛ですよ。一言で言うと。

愛によって生まれてそして愛によって生まれた自分は愛のかたまりなわけですよ

そうしたときに我が子がですよ

笑顔で心から喜んでくれてたとしたら

たとえ頭の理屈で損得勘定でもう圧倒的に損だったとしてもですよ

親はひたすら子供に与えて与えて与えてっていう風にね

頭の理屈やエゴで考えたら損かもしれないけど

そんなの頭の中から完全に吹っ飛んでしまいますよね。

 

もう子供がとにかく笑顔で喜んで幸せそうにして

いてくれてたらもうそれ何よりも幸せなわけですよ

だから育児もやるべきだから育児をしているわけじゃなくて

やりたいから育児をしているわけです

 

 

それが当たり前なのでもその当たり前が

当たり前に見えないのは何故かといったら

社会は本当の自分として回っているのではなくて

エゴの自分として社会が回っているで

みんな不安と恐怖を抱えながら

エゴという仮面を一生懸命で守りながら生きている

 

 

だから世の中にはやるべきことがたくさんあって

やらなければいけないことがたくさんあるように見えるのです

それはエゴという仮面をつけているから

仮面越しの社会しか見えてないなのです。

 

純粋に一番うまくいく時っていうのは好きなことをやっている時なのです。

人っていうのは生まれながらに笑顔があるし愛嬌があるし好奇心の塊だし

心の奥底には善なる良心というのを持っているわけです。

それに従って行った時が一番 人生というのはうまくいく

 

うまくいかない時っていうのはそれが何かが歪んでいるんですよ

いつのまにか表情から

笑顔が消え

明るさが消え

好奇心がきれ

そして良心がかき消されている

場合に何かうまくいかないってことがあるのです

 

これは本当にもう人類が

何百年何千年ってずっと続けているのですよ

 ずっと続けているのです

家庭教育って言ったらいかに躾をするかだし

学校教育って言ったらいかに子どもを管理するか なのです

会社はどうやって社員を管理するかなのです

管理されたい人なんて誰もいないのにね

 親は子供をどう管理するか校は生徒をどう管理するか

会社は社員をどう管理するか

そのことばっかり一生懸命やっているわけですよね

どこかで誰かが気づいて好きに生き始める必要があるのです (中略)

 

 


「あるがまま」と「あるべき姿」 好きにいきていい③

2019-06-14 07:46:02 | 日記

好きに生きていい③

 

エゴは中学高校大学 会社昇給昇進地役職

そういったものをどんどんどんどん提示しつづけます。

 社会の中から重要だと思われていることを重視して

 あるべき姿っていうのを常に提示し続けます。

あるべき姿を提示するってどういうことかって言ったら

あるがままの姿を否定するということですよね

 

今この瞬間はあるがままですそこにあるべき姿っていうのが提示されれば

間接的にあるべき姿とあるがままの間にギャップができますから

あるがままの姿が否定されたってことになる

だからあるがままが否定されているので当然過去全ても否定ですよ

なぜなら今のあるがままに導いてきたのは過去なんだから

あるがままが否定されたということは過去全てが否定された

その教育で自信を持てと言われてもそれは不可能に近いわけですよ

 

 

いいいい中学校に入りましたとね頑張って勉強しました 。

いい中学校に入ったすぐにいい高校が提示されます

あるがままのあなたじゃダメなんだとあるべき姿は

こっちだよとで頑張って勉強して高校に入りました

そしたら 大学が提示されるわけです。

あるべき姿はこっちだよと

それはもう間接的にあるがままの否定なわけです

 大学でまた今度はいい会社

いい会社に入れたら貴方は素晴らしい

しかしいい会社に入れなかったらあなたは素晴らしくないと

 

権力的にずっと続いていくわけです。

いつもどの瞬間もあるがままを肯定してはくれないわけです

 常にあるべき姿を提示し続ける。

それは 相手のためでもなんでもない

相手のためでもなんでもなく 言う側のエゴなんです

 

 自分に対してあるべき姿を提示できるって言うのは

どこか上から目線なのですよ

私はもっと上のものをあなたに提示します

そしてあるべき姿を否定して

間接的に自分自身のエゴというのを守っている わけです。

親は常に子供よりも上なんだよと

そして親の権威親のエゴという牽引を守っているわけです。

だから 教えるって言うことをするわけです

こっちがいいよとこうした方がいいよと

学校の先生も一緒です本当は子供のためにも何でもないんですよ

あるべき姿を提示するっていうのはね

ただ単に自分のほうがものを知っていると

自分は正しい答えを知っていて

あなたは知らないから私が教えてあげるっていう方です

 

ただそれだけなんですん

それはね本人たちも悪気はないのです

意識的には悪気はないのです

ただ先祖代々ずっとそういうことが続いてきて

いるというだけなのですね 淡々と淡々と

その自分の親も自分を担当してくれた

学校の先生もまたその親その先生からそういう

ふうに教育されてきたわけです

好きに生きていいなんて言われたことがないだから

当然相手にも言えない自分自身も好きに生きていないわけです

 でもそれはエゴが不安と恐怖によって作られた社会においてのものです

本当の姿ではないのですね

 

本当は 私たちにはやるべき義務っていうのはない

行ったほうがいい事っていうこともないんですよ

やるべきとかね行ったほうがいいとかっていうことはないのです

もしそれをやろうとしても結果的にはあまりうまくいかない

 

 私たちがやった方がいい事っていうのは

やりたいことをやったときに一番うまくいくんです

やりたいからやるって

何でやってるんですからやりたいからやるそれだけなんですよ 。

 

 

でもとんどの方が高この話っていうのはね

すっと受け入れられないんじゃないかなと思います

そんなことをやったらねぇ 人は堕落するのではないか

社会はダメになるのではないか

思うのですでもそれは教育が間違っているのです

 

私たちには義務っていうやるべきってという義務もないし

行ったほうがいい事っていう頭の理屈もないのですよね

勉強も仕事も育児も全てやりたいからやるのです

 やりたいからやるのです

 

勉強は本来しなければならない義務ではないし

 行ったほうがいいことでもないのですよ

やりたいから勉強するのです

なぜなら人っていうのは生まれながらに好奇心っていうのを持っている

自分が知らないことは知りたいのです

 未知のものに触れたいのです

それが私たちの本来の姿です (中略)

 

 


好きに生きていい その2

2019-06-13 09:04:34 | 日記

好きに生きていい  その2

人は あるがままの自分ではなく

あるべき姿っていうのを目指させられている。

未来将来こんな小学校に入った方がいい

こんな中学校に入った方がいい

こんな高校に入った方がいい

こんな大学に入った方がいい

こんな会社に入った方がいい

こんな地位についた方がいい

いい続けるわけですいわゆる教育者と呼ばれる人たちというのは

常に未来のあるべき姿 というのを提示し続けます。

それは

重要人物であるということが大切だとエゴは思っていて

その重要人物だと周囲の人から思われるために線路を引いているからです。

 

中学高校大学 会社昇給昇進地役職

そういったものをどんどんどんどん提示しつつ

そういったものを持っていることを 社会の中から重要だと思われていることを

重視して あるべき姿っていうのを

常に提示し続けます。

 

あるべき姿を提示するとは

どういうことかって言ったら

あるがままの姿を否定するということ

 

今この瞬間はあるがままです

そこにあるべき姿っていうのが提示されれば

間接的にあるべき姿とあるがままの間に

ギャップができますから

あるがままの姿が否定されたことになるわけです

 

だからあるがままの姿が否定されているので

当然過去全ても否定ですよね

なぜなら今のあるがままに導いてきたのは

過去だから

あるがままが否定されたということは

過去全てが否定された

その教育で自信を持てと言われても

それは不可能に近いわけですよ

 

 

じゃあいい中学校に入りました

頑張って勉強しました

いい中学校に入ったすぐにいい高校が提示されます

 あるがままのあなたじゃダメだから

あるべき姿はこっちだよと

頑張って勉強して高校に入りました

そしたら 大学が提示されるわけです

あるべき 姿はこっちだよと

それはもう間接的にあるがままの否定なわけです

 

大学でまた今度はいい会社

いい会社に入れたら貴方は素晴らしい

しかしいい会社に入れなかったら

あなたは素晴らしくないと

 

権力的にずっと続いていくわけです。

いつもどの瞬間もあるがままの姿を肯定してはくれないのです

 常にあるべき姿を提示し続ける。

それは 相手のためでもなんでもない

相手のためでもなんでもない

 言う側のエゴなんです

 

常に 自分に対してあるべき姿を提示できるって言うのは

どこか上から目線なのですよ

私はもっと上のものをあなたに提示します

そしてあるべき姿を否定して間接的にいう側は

自分自身のエゴというのを守っているわけです。

 

親は常に子供よりも上なんだから

そして親の権威、親のエゴという牽引を守っているわけです。

だから 教えるって言うことをするわけです

こっちがいいよとこうした方がいいよと

学校の先生も一緒です本当は子供のためにも何でもないんですよ

あるべき姿を提示するっていうのはね

ただ単に自分のほうがものを知っていると

自分は正しい答えを知っていて

あなたは知らないから私が教えてあげるっていう方です

ただそれだけなんです。

それはね本人たちも悪気はないんですよ

意識的には悪気はないんです

 

ただ先祖代々ずっとそういうことが続いてきている

 淡々と淡々とね

その自分の親も自分を担当してくれた学校の先生も

またその親その先生からそういう ふうに教育されてきたわけです

 

好きに生きていいなんて言われたことがないだから

当然相手にも言えない自分自身も好きに生きていないわけです

でもそれはエゴが不安と恐怖によって作られたものです。

社会において作られたものであって

本当の姿ではないということを理解したいのです。

 

 

 

 


「好きに生きていい」  -心に残る文章ー

2019-06-12 07:22:48 | 日記

 

ー心に残る文章! ネットからー

◆好きに生きていい

最初に質問をさせてください。

あなたは 誰かから「 好きに生きていいよ」と

何人ぐらいの人から言われたことはありますか

もしくは何度言われたことがありますか。

 「あなたは好きに生きていいんだよ」と

「あなたの人生なんだから好きに生きていいんだよって」いうことを

何人の人からもしくは何度ぐらい 言われたことがあるでしょうか 。

 

もし たった一人でも たった一回でも

言われたことがあるなら おそらくその時

あなたはとても 勇気を感じて

自信が持てたのではないかと思います。

 

 ほとんどの場合はおそらくただの一人からも言われたことがなく

 たった一度さえ言ってもらえたことがないかも知れません。

 

ただの一人でも 、ただの一回でも

言われたことがあるとしたら

それはものすごく幸運なことだというふうに思います。

 

ではなぜ多くの99.9%の人は あなたに対して好きに生きていいんだよ

と いう風に言ってくれないのかということです

 

何故かといえば理由は非常に簡単で

 言ってくれる側の相手も

好きに生きてないないからです。

 

人は自分にできないことは相手もできないと無意識に判断します。

これがエゴと呼ばれるものです。

自分に出来ない事は相手もできないとエゴは思うのです。

 

エゴというのは本当の自分とは関係がない

後の教育によって 作られてしまった

もう一人の自分と呼んでいます。

だから人はエゴという仮面をかぶりながら

みんな生きているのです。

生まれながらの自分とは何の関係もない

後天的に作られてしまったもう一人の自分です

 

エゴの役割っていうのは非常に簡単です。

エゴ自身が重要な存在でありたいと思っています。

つまり自分自身は重要な人間であると

社会的に大切で重要な人物

重要人物でありたいという風に

思うのがエゴの働きです。

 

自分には出来なかった

 しかし相手はできたとなれば

エゴは完全否定されたことになるわけです

 

だから人はみんなエゴという仮面をかぶりながら生きている以上

自分にできなかったことっていうのは

相手もできないというふうに判断するんです

 

だから自分が好きに生きてないので

相手が好きに生きてうまくいくとは思ってないわけです

 

自分は好きに生きていないので

相手は好きに生きてうまくいくとは思えないのです。

家庭教育とか学校教育っていうのは

基本的にエゴによって作られています

 

だから あるがままの自分ではなく

あるべき姿っていうのを目指させられている。

 

未来将来こんな小学校に入った方がいい

こんな中学校に入った方がいい

こんな高校に入った方がいい

こんな大学に入った方がいい

こんな会社に入った方がいい

こんな地位についた方がいい

いい続けるわけですいわゆる教育者と呼ばれる人たちというのは

常に未来のあるべき姿 というのを提示し続けます。

それは

重要人物であるということが大切だとエゴは思っていて

その重要人物だと周囲の人から思われるために線路を引いているからです。

 

しかし、人には必ず才能っていうのがあります。

必ずどんな人だって間違いなくあるのです。

では、自分はどんな才能があるかっていうのは簡単です。

 

自分自身がこれをやっているときは

時間をすごく短く感じるって言う何かなんですよ

その時、その人は才能を生かしているのです

 

どこかで誰かが気づいて好きに生き始める必要があると思います。

好きに生きるって言うのはもちろん

その結果に対しての責任も100%自分が引き受けるということです

途中過程としての責任というのも全て引き受けるということです

その時に

不安や恐怖を感じてもいい

失敗してもいい

落ち込んでもいい

泣いてもいい

自分の人生なんだから

そこから本当の学びが始まると思うのです。

本当のプロ意識も芽生えると思います。

 

だから「好きに生きていい」ということを

もっと広めて行けたらそれぞれの人生が深まると思うのです。

 


「幸せチャイム」 素敵な儀式

2019-06-11 12:22:45 | 日記

かもがしらさんというご家庭の

「幸せチャイム」という素敵な儀式が

ネットに紹介されていました。

転載です。

 

★僕の長女の名前は一花(いちか)って言います。

以前、世界でひとつだけの花っていうスマップの歌が大ヒットしましたね。

その歌詞の『ナンバーワンにならなくてもいいって、もともと特別なオンリーワン』っていう

歌詞が好きで一花(いちか)っていう名前をつけたんです。

でも、なぜか人と比較するのが大好きな子に育っちゃいました!

(笑)彼女は弟と真逆でけっこうロジカル派なんです。

僕はハッピーマイレージの活動やっていて休みの日でもスイッチON!なのですよ。

だから、スーパーで買い物をして駐車場係の女性に

「笑顔ほんと素敵ですね」って声をかけてお金を払ってます!!

すると助手席に座っている 一花は・・・
「また素敵な笑顔かよ・・・」ってぶつぶつ言うような子なんですっ(笑)

じゃぁ、一花ってすっごい冷めたタイプかっていうと

実はそうではなくて、たとえば学校の成績でいうと

オール5で授業中背中ピーンとしっかり先生の目を見て授業を聞くような子で

、障害者の子だったりとか外国からきたなかなか友達の出来ない・・・

そういう子の面倒を見るようなめちゃくちゃ、やさしい子なんです。

なんで、そういうやさしい子に育ったのかな?って考えたときに・・

・ひとつだけ思い当たることがあります。

 

それは、『幸せチャイム』っていう儀式のお陰なんじゃないかなと思ってます。

この儀式は・・・一花とうちのかみさんが取り決めたすごい素敵な儀式なんです。

夜寝るときにうちのかみさんは自分が真ん中で、

左右に息子と一花がいて、川の字になって寝るんですね。

僕は大体ずっと働いてるから夜いないんですが、

子どもたちは夜9時になると必ず寝ます。

その寝る瞬間にやるのが『幸せチャイム』っていう儀式なんです。

 

どんな儀式かというとかみさんが

「いっちーは かあちゃんの たからもの♪はるは かあちゃんの たからもの♪しあわせ~♪」

そう言うと2人が「しあわせ~」って繰り返して、

かみさんが「お や す み♪」って言うと 2人が「お や す み♪」って言って

寝るっていうのが幸せチャイムなんですが、この儀式をやらないと絶対に一花は寝ないんですよ。略


究極の視点

2019-06-10 13:17:13 | 日記

悟りを開くためには、2つの視点が必要です。

 死の瞬間から見る視点」と「宇宙全体から見る視点」です。

 悟りとは、知識ではありません。

そもそも知識は、人間による偏見です。

知識の詰め込みでは、人生を悟ることができません。

人生を悟るために必要なのは、知識ではなく、気づきです。

人間は、不完全な生き物です。

不完全な生き物から見ても、不完全しか見えません。

人間から見る視点では、なかなか世の中の真実に気づけないのです。

 では、どうするか。

 

究極の視点に立てばいいのです。

究極の視点に立つと、究極が見えます。

その究極こそ「死の瞬間から見る視点」と「宇宙全体から見る視点」です。

人生の真実は、この2つの視点から考えると、気づきます。

片方だけでは、不完全です。両方が、必要です。

その2つの視点に立ったとき、ふと、見える光景があります。

ただ、気づくのです。

 

ビルの屋上に立つと、遠くまで見渡せ「町の風景はこうだったのか」

と、全体が見える瞬間と同じです。

ありのままの真実が見え「そういうことだったのか」と、気づけます。

次から次へと、世の中の真理が見えてきます。

今からその説明をしますので、よく聞いてください。

それに気づけば、今から正しい人生を歩めます。

人生の悟りを開く方法

  • 「死の瞬間から見る視点」と「宇宙全体から見る視点」を持つ。

80代 -優れたアドバイスに学ぶー

2019-06-08 06:57:46 | 日記

80代

1日の中で、暇な時間は、どのくらいありますか。

「たくさんある」というなら、要注意です。

暇があってよいように思えますが、むしろ悪いことです。

80代にとって、暇な時間は、毒です。

暇な時間があると、頭も体も、すぐ衰えます。

何もせずにぼうっとするのは、体を痛めつけているのと同じです。

宇宙飛行士が、無重力の宇宙を1日過ごしただけで、大幅に筋力が衰えるのと同じです。

体に負担がかからないと、すごい早さで衰えが進みます。

 

ぜひ、自分で予定を作り、忙しくしましょう。

「予定がないから仕方ない」と思わず、自分から予定を作ります。

暇な時間があるなら、やることを作り、忙しくしましょう。

 

家の掃除をするのもよし。

近場を散歩するのもよし。

ダンス教室へ通うのもよし。

 

やることがなければ、友達に話しかけ、おしゃべりを楽しむだけでもかまいません。

暇な時間がないくらい、予定を詰め込みましょう。


書の学び方 ー優れたアドバイスに学ぶー

2019-06-07 09:17:20 | 日記

< 書の練習 >              優れたアドバイスに学ぶ!

古典の筆文字を手本として書く

 まずはこんなことを念頭に置いて、練習してみてください。(まずはと申しましたが、臨書する上では必須の視点ですので、何十年臨書したとしても、念頭に置き続ける根幹部分です。ちなみに、古典以外の筆文字を手本にする際も、着目ポイントはこれと同じです。)

 

筆の入れ方はどんな感じにすればいいだろうか。(始筆に着目)

 

線の終わりはどのような形になっているだろうか。(終筆に着目)

 

線の太い細いの変化がどのように書かれているだろうか。(抑揚に着目)

 

線は右上がりか、水平か、右下がりか。(線の角度の変化に着目)

 

線と線の距離感はどのくらいだろうか。(線そのものよりも余白部分に着目)

 

どの線が最も長いだろうか。(強調的に書かれている部分に着目)

 

文字のシルエットは扁平なひし形だろうか、縦長の長方形だろうか、

平行四辺形だろうか、台形だろうか・・・。

(文字全体の輪郭の形に着目。メリハリのある美しい字形を習得する上で極めて重要。)

 

 なんとなく見ながら書くのではなく、こういった概念を念頭に置いて、

学び取るポイントを明確にして観察しながら書くことで

上達効果が高まります。1画1画手を止めながら、

見えるままそっくりに書くという姿勢で書いてください。

 

 


自分にフォーカス -優れた言葉に学ぶー

2019-06-06 14:19:13 | 日記

   自分にフォーカスする

人生の目標が見つからないと悩んでいる人がいます。

目標を定めたいと思って考えるのだけれども幸せになりたいとか自由になりたいという漠然とした目標しか思い浮かばない。そういう人たちです。

そもそも人生には目的などないと私は思うのです。

野生の動物に生きて子孫を残す以外の目的がないように人間にだってない。

でも人間というのは目的なく生きていけない動物なのです。

それは人間には『自我』があるからです。『私』というものを客観的にとらえた瞬間に「私は何のために存在するのか」を考え始めたのだと思います。答えのない答を探し続ける動物。

それが人間なのです。神に逆らった悲しい性なのです。でも私はこの悲しい性が大好きです。

目的がないのなら勝手につくればいい。そう思ってます。でもやっぱり見つからないし思い浮かばない。そういう人はたぶん目標を見つけるためのアプローチを間違えているのだと思います。

「自分がどこに向かうのか」というアプローチから答えを導きだすことはできません。だってどこにも向かっていないのですから。

正しいアプローチは「自分はどういう人間か」です。

他の人とどこが違うのか。その違いは何のためか。どう生かせるのか。

目標にフォーカスするのではなく自分自身にフォーカスする。

自分が何者かを定義することこそが人生の目標なのです。


70代 -優れた考え方に学ぶー

2019-06-04 06:06:39 | 日記

 

親の晩年を、自分の晩年の参考にする。

自分の晩年は、どう過ごせばいいのでしょうか。
その答えを知るのは、あなたの親です。親の晩年の立ち振る舞いを思い出しましょう。

あなたの生き方は、いずれわが子が参考にする。

70代としての生き方は、親の晩年を参考にしましょう。
親と同じ年齢になった今、当時の親の気持ちも、よくわかることでしょう。
親の晩年を思い出し「素晴らしいな」と思ったところは、取り入れます。

親の気持ちを理解するのも、親孝行。

私たちは、親と同じ年になると、さまざまなことがわかります。親の気持ちは、そのときにはわかりません。数十年後、自分が親と同じ状態になって、初めて理解できます。

新しい友達を作るのに、年齢は関係ない。

古い友達とばかり、付き合っていませんか。付き合いの長い友達といれば、お互いのことをよく知っていますし、話もスムーズに進むでしょう。すでにたくさん思い出もあります。

必ずしも、田舎が年配者に優しいとは限らない。

「もう足腰も弱ったから、もっと田舎に引っ越してみようか」そう考える人も多いのではないでしょうか。老後を、静かでのどかな田舎で暮らしたいと考えるのも、不思議ではありません。

都会のほうが、年配者に優しい場合もある。

老後に引っ越しするなら、田舎と都会、どちらがいいのでしょうか。実は、一概には言えないのが現状です。一般的には「年配者は田舎がいい」という声をよく耳にしますが、人によります。

かっとなりやすい年配者が増えている。

あなたは、むかっとしやすい性格ですか。人は、長く生きるにつれて、自分の考えを持ちます。
考えが強くなればなるほど、思うようにいかないことがあると、強い反発を生みやすくなります。

歯と寿命の深い関係。

ある機関による調査で、興味深いデータを見かけました。
「歯が丈夫な人ほど長生きし、歯が抜け落ちる人ほど寿命も短くなる」というデータです。なぜ、歯が寿命に関係あるのでしょうか。

新婚旅行をした場所へ、もう一度夫婦で行ってみませんか。

定年退職後は、旅行を楽しみましょう。
時間に余裕があるのですから、思いきり定年後を楽しむことが大切です。今は、年配者向けのツアーも数多くありますから、旅行しやすい時代です。


70代の自分 -優れた考え方に学ぶー

2019-06-03 08:37:53 | 日記

70代は、最もラッキーな10年。

70代は、最もラッキーな10年。

私たちの人生は、10年ごとに、新しいステージを迎えます。
20代と30代はステージが違うように、60代と70代もステージが違います。70代になった今、あなたは新しいステージに上がりました。

「あと10年しかない」より「まだ10年ある」と考える。

15世紀ごろの世界の平均寿命は、50歳前後でした。
医療が未発達だったため、治療できない病も数多くありました。今は、昔より医療が発達し、長く生きられるようになりました。

70代からやめるのではない。70代だからやってみる。

「もう70代だからやめます」
そういう弱音を吐いていませんか。頭も体もだんだん弱くなってきているので「潮時だ」と思って、諦めたくなる気持ちもあるでしょう。

人生でやり残したことはありませんか。

私は20歳のとき、日本で最も高い山である富士山に登ったことがあります。3776メートルです。ちょっとした縁があり、富士山に登ることになりました。

役立たなくても、楽しければ、それでいい。

よく聞かれる行動しない言い訳があります。「今からやっても意味がない」です。人生は、長く生きれば生きるほど、残り時間が少なくなります。

これからの契約は、自分だけでは判断しない。

高齢者を狙った悪徳商法があります。
子供のふりをして電話をかけてお金を振り込ませたり、巧みな話術で無理やり契約させたりなどです。人の弱みに付け込んでうまく騙し、高額の商品を買わせようとするのです。

70代になれば、一回り大きなテレビに買い換える。

70代になれば、長寿を祝って、一回り大きなテレビを買いましょう。すでに大型テレビを持っている人も、さらに大型のテレビに買い換えてはいかがでしょうか。なぜ、大型テレビなのか。

靴にお金をかけると、歩きたくなる。

あなたは今、どんな靴を履いていますか。
ぼろぼろの靴を履いているなら、今すぐ新しい物に買い換えましょう。単に買い換えるのではなく、できるだけいい靴に買い換えましょう。


価値は自分で決める ー優れた文章に学ぶー

2019-06-01 07:16:39 | 日記

価値は、自分が決めるもの。

 

私たちは、周りの価値観に、振り回されがちです。

親、先生、友達のほか、あらゆるマスメディアで、価値に関する情報を伝えます。

「一戸建てに価値がある」

「結婚に価値がある」

「高級車に価値がある」

すると、あなたはこう思います。

「一戸建てを持たなければいけない」

「結婚をしなければいけない」

「高級車を持たなければいけない」

「価値のある物を持つのがいいこと」と、錯覚するのです。

価値のある物を手にすれば、価値のある人だと思われやすいからです。

ここで多くの人が、つまずきます。

価値のある人になるために、価値があると言われる物を手にしようと、多くの人が焦ります。

健康を害するほど仕事をしたり、借金をしたりします。

時には、人を傷つけたり、騙したりします。

みんなが納得する価値を手に入れるために、あらゆる手段を使うのです。

 

しかし、本当に価値があるかどうかは、人によります。

仕事の都合で、しばしば転勤する人にとって、一戸建てはただの足かせです。

「いつまでも1人で自由に生きたい」と思う人にとって、結婚は束縛になります。

交通機関が充実している都会では、高級車は、維持費のかかるおもちゃです。

そればかりではありません。

価値があると言われる古美術品でも、興味がない人には、ただのがらくたです。

価値があると言われている車でも、免許を持っていない人には、意味がありません。

値段の高いワインでも、アルコールを受け付けない人には、無価値です。

価値観は、不安定です。

 

見方によっては「すべての物は価値がない」とも言える一方「すべてに物は価値がある」とも言えます。

周りが「価値がある」とうたっているから、自分も持たないといけないとは限りません。

大切なことは「あなたが何に価値を見いだすか」です。

周りが決めた価値観ではなく、自分が決めた価値観です。

価値は、自分が決めるものです。

 

周りの意見に振り回されず、自分が「素晴らしい価値がある」と思える物を見つけることです。

それが、あなたにとって本当の価値です。

自分にとって興味がないと思えば、無視していいのです。

自分にとって価値がある物だけ持つと、持ち物はとても減ります。

シンプルかつ、豊かな人生になるはずです (中略)