悲しみとともに生かされて
作 家 高(コ) 史 明(サミョン)
岡 百合子
ききて 黒 田 あゆみ
ナレーター: 神奈川県の大磯に作家の高史明(コ・サミョン)さんをお訪ねしました。穏やかな冬の日でした。
黒田: どうもこんにちは。
高: どうも。
黒田: 本日はよろしくお願い致します。
ナレーター: 高史明(コ・サミョン)さんと妻の岡百合子さんは二十五年前、大きな悲しみを経験しました。 ひとり息子の真史(まさふみ)さんを十二歳でなくしたのです。
(部屋の写真の前で、黒田さんの問いに答えて)
高: おじいちゃんとおばあちゃんと、そして、家の子ですね。
黒田: 真史さんですね。
ナレーター: 真史さんは中学一年生の七月、自ら命を絶ちました。
高: 亡くなったのは七月十七日ですけども、確か六月二十九日頃の 写真ではないかと思います。
黒田: そうですか。
高: はい。
ナレーター: 一人息子が死を選ぶ。親としてこのうえもなく辛い体験をした高さんは、真史 さんの死の意味を問い、また、自らの行き方を問うことに、その後の歳月を費や してきました。それまで宗教とはまったく縁がなかった高さんは、やがて深く仏 教に帰依することとなりました。やり場のない悲しみの中から、命への思いを深 めてきた高さんに、この二十五年の歩みを伺います。
黒田: 亡くなったことが、自ら死を選んだということを知った時にはどうお感じになり ました。
高: 「近所の団地から飛び降りたんだ」という事情を聞かされまして・・・。そうで す、その時はただただ・・・何かを思うという状態でなくて、それを聞かされて、 もう一度眠っているような顔を見た時には、ただただまあ泣いているばかりでし た。
黒田: 直前に二人でお昼を召し上がったんですね。
高: そうです。いつも毎年、伊豆の海に行く予定が、夏休みが始まると組まれていま した。あの時に伊豆の海の近くの宿に予約をしてありました。そして、当日は昼 頃─夏休み前ですから、授業が半日だったんです─早く帰りましたので、二人で ─家内の方は学校の務めがありましたので─近くの中華そば屋さんに行きまし た。暑くなってきますし、夏ばてしますから、少しでも栄養と思いまして、「中華 そばラーメン」というのを、「チャシューメンにしたらどうか」と言いましたら、 いつものことで、「いや、ラーメンが僕はいい」というものですから、「暑いから、 チャシューメンにしろや」と言いましたら、意外と素直にこっちのいうことをす うっと聞き入れたんですね。その時に、いつもと様子がおかしいなあと、その時、 ちょっと思いましたね。そして、チャシューメンをとってくれて、二人でそれを 頂いた。帰りはもっぱら海の話をしながら帰ったんです。私の方はウキウキでし たけれど、彼の方はそうではなかったんではないかと、後からそう思いましたが ・・・。まあこっちは一人で海の話ばっかりしていました。楽しみがいっぱいだ ったんです。その時は何もまだ気付きませんでしたね。
黒田: 十二歳って、中学一年ですよね。ほんとにこれから最初の夏休みを迎えるという 時に、そういう事態に直面されて、父親の立場としては。
高: そうですね。遺体は棺桶に入って、私たち親子三人は、夜自宅 に帰りました。そして、まあまさに親子三人が遺体が中で、私 たちはその両側に寝るというような・・・まさに亡くなった後 の川の字ですけれども。
黒田: 川の字で、
高: はい。その時は心身ともに何かに打たれたんでしょうね。ただ 泣きました。嵐のようでした。それから、夢遊病者のような状態でしょうね。此 処に居て、此処に居ないという感じ。勿論、お通夜のときにはこられた方々の顔 も見分けられますし、ちゃんと応対も出来ましたけれど、他人がやっているとい う感じだったんではないかと思います。人間というのは、ああいう状態になって も、普通のしきたり通りの行為をするものだ、と後で気が付きましたね。自分の 身心に異常を感じるというか、意識し始めたのは、かなり一、二ヶ月と経ってく る過程ではなかったかと思います。無意識にたくさんの本を読み始めておりまし た。つまり、「死とは何か」「生とは何か」「何があったのか」という、あらゆる 問いが、頭の中にそれこそ奔流というような感じで、氾濫する状態で、片っ端か ら、いろんな思い付く本を手に取って読んでおりました。その頃、聖書をちょう ど広げていた時でしたけれど、目がパッと見えなくなるということが、最初の身 体的な変化として自覚されたものです。
黒田: 聖書の文字が読めない?
高: 見えなくなったんです。急に暗くなった。それで、目がどうかしたのかなあと思 いました。それが身体的におかしいと感じた最初でした。そして、前から起きて いたのかも知れませんが、今度は字を書こうとすると、ペンを持つ手が硬くなっ ていて、こう撥ねちゃうんですね。手が硬直して、名前もうまく書けない、とい う状態が暫くして意識されました。おそらくその時に、今までの生が、一つ一つ 解体されていく時期があったんじゃないかなあ、という気がしますね。
黒田: 息子さんの死ということで、高さん自身の生きている生というものがバラバラに なるということですか、
高: そういうことですね。息子が亡くなる前に、既に、父親の死というものを、遺体 に対面するということがありました。その時もいわゆる私の生の秩序というもの が、なにか非常に深いところで壊れていく感じが致しましたね。田舎の方でした から、火葬場が、昔風の火葬場ですから、後ろに覗き窓がありまして、焼けてい くところが見えるんです。その時、見た途端に猛烈な悲しみを感じた記憶があり ます。その時はしかし、前に父親が居て、私がその後に続いておりますから、こ の悲しみを後に続いてゆくということで、かろうじて、それは耐えられるものだ。 いずれ私も行くんだからというふうに思う。そういう思いの中で、その時耐える ことが出来たんです。しかし子供は後から来ているものですから、子供が亡くな った途端に、前の道も同時に絶たれた、という感じがしました。死というのは、 いろいろな形がありますけれども、子供の死というものは、親にとってはある意 味では半身をもがれる以上に、背骨を直撃してくるんじゃないでしょうか。
黒田: 「聖書を読んでいらっしゃった」ということでしたけれども、何かいろいろな書 物を読まれたというのはどうしてですか。
高: そうですね。あらゆる問いが頭の中に氾濫した、ということがあります。聖書を 手にしたのはやはり死と関わっていたと思います。「人間が生きる」「死んだもの はどうなるのか」「死んだ子は、今まで何を生きていて、どこに行っていたのか」。 例えば、子育てに関わる幼児教育の問題も考えていて、そのときは「エシール」 などによって、子育ての過程をもう一度振り返って、原因を考えるということも していたと思いますが、だけど、生死ということになると、亡くなって、居ませ んから、原因を探るだけでは、本質的にそれは自分の中の死を埋めることは出来 ません。それで、聖書に向かったんだと思います。何回もその当時読みました。 「何故亡くなったんだ」という問いと、「生きているとはどういうことか」「死ん でいるということは、どういうことなのか」という問いが、別々ではなくて、私 の場合は、それが同時進行というか、一つの問いの裏表みたいにして、迫ってき たような気がします。
黒田: 「何故、助けられなかったのか」という、何十年思っても仕方がないことと、思 い切れない問いかけがご自分にあったと思いますが。
高: それは繰り返しですね。具体的な死に関わる、生活の中で、これが死の原因では ないかと思われるようなことが、次から次に湧いて思い出されました。その都度、 一つ一つ、それを、「どうしても、何故助けられなかったのか」という思いと共に 考えますよね。いろいろ思い当たることがたくさん出てきます。そして、考えて いきますと、だけど、どれをとってみても、死という現実の深さの解答にはなら ないんですね。
黒田: 決定的ではない。
高: ならないんです。もっと死という現実は深くて重くて、これが原因じゃないかな あと思うと、原因のように思われるんですけれども、そういう原因を死という事 実が突き飛ばしてしまうんですね。だから、そっちの方にずうっと目を向けて考 えていくということにならなくて、そっちに行きそうになると、また死に連れ戻 されて、「死とは何か」という問いに引き戻されていく。そういうことが螺旋階段 状にグルグルと、私を引き回していたんではないかなあと思いますね。
黒田: 息子さんが亡くなっている。片や、自分は今、身体には勿論変調がきているんだ けれども、生きているというその現実はどんなふうにお感じになりました。
高: そうですね。その頃の生きているということを端的に言いますと、矛盾している んですけど、生きていたくないという、思いが非常に強かった。同時に、死ぬと いうことが非常に怖い、ということがありました。生きていたくないと、一方で 非常に強く思いながら、同時に死ぬということが非常に怖い。列車なんかに乗っ て、トンネルに列車が入りますと、生きていたくないという思いと、トンネルか らそのまま出ないで、そのまま真っ暗な状態に入っていくんじゃないか、という 恐れを年中感じました。
黒田: 「生きていたくない」というのは、息子という未来を失った。希望を失ったとい うことはわかりますが、その状況で死ということが怖いというのは、どういうこ とでしょうか。
高: 死が、初めて・・・丸ごとの存在の消滅というんですか。死が迫ってきた・・・
黒田: 丸ごと?
高: はい。それに当面したんだろうと思うんですよ。観念、言葉としての死ではなく て、居なくなるということですね。丸ごと無くなってしまう、という。子供の死 が、それを私に考えさせたんだと思いますね。だから、それは非常に苦しく悲し く辛いことですから、もう生きて居たくないという思いになる。同時にそれを裏 返すと、丸ごと消えて無くなるということで、今度は死が怖ろしい。そういう精 神の葛藤になったんだと思いますね。
ナレーター: 真史さんが生まれたのは、高さんと岡さんが結婚して七年目 のことでした。教師をしていた日本人の百合子さん、作家を志 していた在日朝鮮人の高さんが、国籍の違いや生活の困難のた だ中で授かった一粒種でした。『星の王子さま』が愛読書だっ た利発な一人息子に、二人は将来日本と朝鮮半島の架け橋にな ってくれれば、という願いを託していました。しかし、大切な 命は、中学生になって、初めての夏休みを目前に突然絶たれま した。高さん夫妻には思いあたる理由も予感もありませんでした。後に残された のは、詩が書きつられた日記帳でした。表紙の裏に最後の詩が綴られていました。
ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから
真史さんが残した詩の中には、人間や自分自身を見つめる鋭い言葉が綴られてい ました。
じぶん
じぶんじしんの
のうより
他人ののうの方が
わかりやすい
みんな
しんじられない
それは
じぶんが
しんじられないから
人間
人間ってみんな百面相だ
息子さんの真史さんは、何を考えていたのか。何故死を選んだのか。高さんはそ の答えを求めて、残された日記帳はもとより、心理学や教育学、哲学の本、聖書 などを手当たり次第に読み始めました。それと同時に、動かなくなった手で、必 死に書き写していたのが、『歎異抄』でした。息子が死んだ夜、ふと去来した親鸞 のある言葉を捜してのことでした。
高: その夜、妙な川ですけどね。真ん中にお棺の子供と、母親である家内と父親であ る私が左右に、寝ていたのか寝ていないのか分かりませんけれども、寝たような 寝ていないような、その時に、
自然(じねん)にしているならば、もっとも身近な者を助けることが出来る
こういうふうな言葉が浮かび上がって、確か、それが『歎異抄』の言葉だという ふうに、これは非常に明確な意識とともに、そういう言葉が浮かびました。それ を家内に頻りに口走っていたらしいんです。『歎異抄』に、そういう言葉がある、 と。後から考えてみると、つまりは、「どうして助けられなかったか」という問い が、逆に、「助けることが出来る」という言葉を思い浮かばせたんだろうと思うん です。
黒田: もっとも身近な、もっとも愛する存在だった息子さんを、助けることが出来なか ったという悔いの裏腹で、「助けることが出来る」という言葉が浮かんだんです か。
高: そうだと思います。
黒田: どういう?
高: それはやはり助けたかったんですね。そして、ずうっと探し始めましたけれども 無いんですね。
黒田: 『歎異抄』には無いですか。
高: はい。その言葉が。そして、七月から十一月、四、五ヶ月ぐらいして、もうそろ そろ半年位して、そのままの言葉ではないけれども、「もっとも身近なものを助け ることが出来る」という、その言葉が五章の結びにあった。「あ、五章のこの言葉 だ」ということに気づく時がありました。難しい言葉でいうと、
先ず、有縁(うえん)を度(ど)すべきなり
その「度(ど)す」ということを意味的に翻訳すると、「助ける」ということなんです。 「もっとも身近なものを助けることが出来る」という。「あ、これが、あの夜、警 察から遺体が帰った時に、私に襲ってきた言葉なのかなあ」と気が付いた時に、 私は、五章の冒頭に、ほんとに驚いたんです。「どうしたら助けることが出来る」 と言っておられるのか。親鸞は、「それをどういう言葉で言い表しているのか」そ れを求めていたのだと思いますが・・・。その冒頭に戻ってみますと、それまで 何十遍となく見ていたと思うんですが、全然見えていなかった言葉がそこにあっ たわけです。
親鸞(しんらん)は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、
一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだ そうらわず。
黒田: 父母(ぶも)というのは、父母(ふぼ)のことですね。
高: 父母ですね。「親鸞は父、母の孝養のためということでは、いまだ一度も念仏を称 えたことがありません」という言葉で始まっているのが『歎異抄』の五章です。 そして、結びが、「もっとも身近な者を助けることが出来る」と。「もっとも身近 なものを助けることが出来る」という言葉は、供養のためと念仏は一度も称えた ことがありません」という言葉の結びだった。ちょっと前後して言いますと、最 初見つけることが出来なかった言葉が、「五章の結びだ」と気が付いた頃は、少し 意識が正常になり始めてきたんだろうと思うんです。だから、物を読んだり、考 えたりする力が少し回復してきた頃だろと思います。その頃、初めて供養という のを考えたですね。お葬式も無宗教でしたから、まったくそういう供養というこ とを考えておりませんでした。その頃になって、「死んだ者に出来るのは、親とし ては供養しかないかなあ」というふうに思うようになっていた。ですから、五章 の結びが、そうだと気が付いて、その冒頭に来た時に、ビックリしたんですね。 「供養のための念仏は称えたことがない」と言い切ってありますからね。では、 五章を読んで見てみます。
親鸞(しんらん)は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、
一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだ そうらわず。
そのゆえは、一切の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の
父母(ぶも)兄 弟なり。
いずれもいずれも、この順次生(じゅんじしょう)に仏(ぶつ)になりて、
たすけそうろうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、
念仏を回向(えこう) して、父母(ぶも)をもたすけそうらわめ。ただ自力(じりき)をすてて、
いそぎ浄土のさ とりをひらきなば、六道四生(ろくどうししょう)のあいだ、
いずれの業苦(ごうく)にしずめりとも、 神通方便(じんずうほうべん)をもって、
まず有縁(うえん)を度(ど)すべきなりと云々
これが本文の言葉ですね。今風に置き直しますと、「親鸞は父、母の供養のためと いうことでは、一遍も念仏を称えたことは未だありません。何故そのように言う かといえば、一切の生きとし生けるものは、その姿、形、生き方は違えども、「命」 としてみるならば、それは生まれ変わり、生き変わりしてくる。その時々の生の、 その場所では父、母、兄弟という命の繋がりの中に生きております。どなたもど なたも命を私物化して、命の外に自分を置いている私中心の生き方を転じせしめ られ、私の迷いが消えて、仏の世界に導かれていく時こそ、本当の意味の助け合 いということをすることが出来ます」。そのように言われているわけですね。しか し、そのときはそれじゃ、「助けることが出来る」ということは、どういう意味な のかと思いました。何を親鸞は言っておられるのかなあ、と。助けるということ が、わからなかった。「度」ということ・・・。そこでの意識の流れだろうと思い ますが、その理由を尋ねたんだと思います。なぜ、念仏を称えたことがないとお しゃっているのか。私が死んだ子にできることは何か・・・。すると、その理由 として、述べられている言葉は、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟 なり」なわけです。「一切の生きとし生けるものとは」多少言葉を換えて言います と、「その生き方、それから生き物としての姿は違ったとしても、みんな「命」と しては、父、母、兄弟に等しい」。そういう言葉がその後に続くんですね。そして、 さらに続いて、「いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべ きなり」と、こう書いてあるんです。しかし全然その意味が分からなかった。
ナレーター: 死んでしまった息子に、してやれることは何か。『歎異抄』の言葉の本当の意味 は何なのか。そうした疑問に突き当たっていた頃、高さんは真史さんを失って初 めての正月を迎えようとしていました。家族旅行をするのが恒例だった年末年始、 岡さんの発案で、二人で、奈良、京都に仏像を訪ねる旅に出ます。
岡: 死んだ息子のことを伸び伸びと考えられる。だから、そういうところに行きたい、 と思った時に、仏さまに会いたい、と思ったんでしょうね。それで、仏さまに息 子のことをお願いしよう、という思いがあって。だから、行ったら、やったらめ ったら拝みまくりましたね。仏像という仏像に、全部拝んで、「よろしくお願いし ます」という感じです。それで奈良を回って、帰りに京都に出ました。京都駅前 に東本願寺がありますね。そこの本堂に座らせて頂いて、その時に、彼はもの凄 く長く拝んでいるんですよ。いくら私が拝むといったって、しびれが切れちゃっ て。「もう行きましょうよ」と言って、立ち上がったんですけどね。それで、「何 を拝んでいたの」と言ったら、その時に、彼が、「親鸞さまに息子のことを、〝よ ろしく〟と言っていたら、向こうから、〝そういうことではないんじゃないか〟 というふうに言われたんだよなあ」と、その時に言ったんですね。
黒田: 「父母の供養のために念仏を称えず。すべてのものに命がある」という、その一 連の流れ。そして、身近なものを助けることが出来る。これはどういう形で紐解 かれましたか。
高: 私は子供に導かれて、親鸞のその言葉に結びついたんですが、これは今になって 考えて見ますと、現代人にとって、根本的なメッセージだったんだなあ、と思う んです。お父さん、お母さんの供養を考えるということは、決して悪いことでは なくて、良いわけですね。しかし、それを考えるということは、私が「この人の 子であるから、この人が亡くなったから、私はこの人の供養をする」ということ で、大体、供養を考えますね。私の場合ですと、「私の一番大事な子供が亡くなっ たから、私はその子のために供養を考える」。それが、私と言われるものです。供 養して、それが悪いわけではないけれども、その私とは、「いのち」を自分のもの のように考えている「私」なんですね。真実の「いのち」を自から見失っている。 それをそのままにして、「供養」になるかと問われているわけです。「では、他の 生き物と、「命」として、「いのち」の全体に繋がっているか。「命」の一員であ るという、そういう私であり得るのか」ということですね。これが親鸞の問いだ った。私の闇を見つめておられる。子が亡くなってから思います。そういう無我 夢中で、『歎異抄』を書いてみたら、目見えなくなったり、そういう状態の一つに、 庭に出て呆然としている時間がありました。庭で蟻が巣作りをしておりますと、 それを一時間でも二時間でも見ているんですね。ずうっと見ていて、ふと気が付 くと、「一切の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)兄弟なり」という言葉が浮かん できます。すると、あの蟻が、私の父、母、兄弟であるのか。あの蟻が私の死ん だ子供であるか。その当時、庭に雉鳩(きじばと)が来て巣を作っておりましたけれど、あの 鳩が、じゃ、死んだ子であるのか。私はそう思えないから悲しいわけですね。
黒田: 思えれば楽なんですか。
高: 楽なんですね。私は、私の子が死んだから、のたうち回っているのです。だから、 供養ということも考えた。ところが、親鸞は、「いや、そうじゃない。その供養と 考えているお前自身を先ず問うてみなさい」と。「死んだ子供が何故死んだか、と いうことの根本原因を考えないで、どこに供養が出来るのか」というのが、親鸞 の問いだった、と思いますね。その根本原因は、「命の繋がりが見えない私」とい うところにあったわけです。親鸞はそう言っているわけですね。だから、「いずれ もいずれも、この順次生に仏になりて助けそうろうべきなり」と、こうおっしゃ るわけです。
黒田: どういうことですか。
高: 私が「死んで」、次に生まれてくる生がある。その時は私中心ではないから、仏の 智慧をもって生まれてくるということ・・・。
黒田: 仏の智慧?
高: 具体的には、仏の智慧の世界に生かされてくる。その時、初めて、命の繋がりの 本当の世界が開けるわけです。これが本当の意味で、身近にものを助ける道なん だ、と。親鸞はそう言っておられたんですね。だけど、最初はそれは分かりませ んでした。例えば、「いずれもいずれも、この順次生に仏になりて」と言われます と、「では、助けるということは、死んでからでないとダメなのか」と、何度も問 い返したことですね。
黒田: それは誰が死んで、ですか?
高: 私が。
黒田: 高さんが死んで仏にならないと、人を助けることは出来ない?
高: そう。人も助けることは出来ないし、子供の供養も出来ない。そんなの絶対矛盾 ですね。「そんなことを言われたって、出来ないじゃないか」と。「何もかも、そ れでは無くなってしまうではないか」というふうに、随分、それは長いこと思い ました。しかし、この「順次生に仏になりて」とは、自分中心に見える自分のこ とではなくて、向こうから、仏さまから見つめられている「私」のことなんです ね。亡き子から見られている私と言ってもいい。それが理解されてくる。「一切有 情はみなもて、世々生々の父母兄弟なり」と言われる世界は、自分中心の世界で はない。その「いのち」の世界を一番見えなくさせているもの、それが「自我」 というもの。私中心に世界を見ている。そういう世界ですよね。その自分中心を 転じられる。「念仏」だと言われていたわけです。そして、そ の真実の知恵が、 現代では根本的に大切になっているんですね。私中心のそういう世界の基準にな っているものというものは、必ず何が良いか悪いか。何が損か得かですね。それ を考えさせられます。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』という作品があります。その中の飛行士 の言葉ですけれども、星から来た王子さま、或いは、世界の子供たちを代弁して いる、と言えると思うんですが、その王子さまが大人の世界について、
おとなというものは、数字がすきです
という、そういう言葉があるんです。そして、子どもの目で言うんですね。
だけども、ぼくたちには、ものそのもの、ことそのことが、たいせつで すから、
もちろん、番号なんか、どうでもいいのです
その言葉・・・サン・テグジュペリは、砂漠に実際に飛行機が不時着した時に知 ったんだ、と思うんです。どこで知ったか、というと、水がない飢えている。そ して、もうじき、あと二、三時間で死ぬ、という状態に追い込まれるわけですね。 その状態の時に、現地人がラクダを引いて通りかかって、水を貰って助かるわけ です。その時の水についての彼の表現が、「ああ、水! 水よ」という言葉で始ま りますが、全くの新しい世界です。
「水よ、そなたには、味も、色も、風味もない、そなたを定義すること はできない。
人はただそなたを知らずに、そなたを味わう。」
そして言う
「そなたは生命に必要なのではない。そなたが生命なのだ」
と。水というのは、人間にとっては、まずは自分の生命(いのち)の糧なんですね。人間は、 「水そのものが生命(いのち)だ」とは思わないんです。そういう中で、彼が、「そなたは、 私にとって必要なのではない。そなたが生命(いのち)なのだ」というふうにいうんですね。
黒田: 向こうの方がまずあって、
高: 両者が一緒なんです。向こうも、こっちもない。ですから人間は主人公ではない んです。他の生き物と、自分が本当は根本的に一緒なんだ、と。地球と人間は一 緒なんだ、ということが、本当の生き方です。このあり方と対象的に、「全部人間 の幸せの糧としてあるんだ」とみるとでは、立っているところが全然違うんです ね。仏教でいう、親鸞がいうのは、「一緒なんだ」という方なんですね。ところが、 人間はそれが出来ない、と。それで、「念仏というものは、人間の知恵に対して、 真実の知恵として差し向けられているんだ」と。ところが人間は自分中心ですか ら、それが分かりにくい。直ぐ念仏を先祖供養に使ってしまったりする。それを 亡くなった子供との関係でもう少し言いますと、息子が中学生になったときが思 い起こされます。その時は非常に大きい喜びでした。朝鮮人の私と日本人の間に 生まれた一粒種ですからね。ほんとに大事な子供でした。そしてよく育ってくれ ていました。私たちはそう思っておりました。中学生になりました時に、入学式 に付いて行きまして、父親の喜びも味合わせて貰いました。そして、帰って来て、 ささやかなお祝いをしました。その夜、中学生になった、という節目で、その子 に言った言葉があるんです。
今日から中学生だ。これからは自分のことは自分で責任を取りなさい。
他人に迷惑を掛けないようにしなさい。その二つが出来るならば、
お父 さんはこれから中学生だから、〝ああしろ〟〝こうしろ〟ということは一切言わない。
自分の人生だから、自分の責任で生きていきなさい
と言ったんですね。よかれと思ってのことです。しかしそこに非常に大きなもの が見落とされておりました。何を見落としていたか。他の生き物は、人間によっ て対象化されるだけの存在ではなくて、対象化される以前に、人間とともに繋が っている命である、ということが見落とされていた。
黒田: 先程おっしゃった親鸞も言っておられた「命の繋がり」。
高: 「命の繋がり」を見落としてしまうんですね。自分中心です命の繋がりを、人間 は全部対象化して、自分の利益に使ってしまうんですね。
黒田: でも、「自分の責任でやりなさい。他人に迷惑を掛けてはいけない」ということ は。
高: 「他人に迷惑を掛けるな」。それは間違いではなくて、同じように何度強調しても いいと思うんです。しかし、それを言う前に、もう一つ非常に大事なことがあっ たわけです。他人を出来上がった自分から見ている。では、十二歳になるまで、 他人に迷惑を掛けてこなかったか、というと、これはどんな人間と雖も、みんな 他人の働きの上に自分の人生を歩むわけですね。その他人の働きなしには、その 子の自分というのは成立しなかったわけです。
黒田: 自分の働きというのは、親が世話をする、というようなことですか。
高: それだけではなくて、例えば、洋服とか、靴とか、食べ物もそうですが、全部そ れは他の人が作ったんですね。
黒田: あ、それはそうですね。それを買ったり、頂いたり。
高: そうです。私の中で、見えていなかったということは、作ってくれた人が、お金 を出して買った、という次元で、途端に見えなくなるんですね。誰にも迷惑を掛 けていないわけです。お金を出して買ったんだから。
黒田: 作って頂いた人とそこで切れてしまう。
高: 切れてしまう。お金で切れてしまうんですね。そうすると、そういう生きた繋が り─お金で繋がっているんではなくて、命として繋がっている─そういう人間の 繋がりが切れる。それは生き物との間でもそうですね。生きているものが食べら れる。生命のあったものが食べられるわけです。そういう繋がりが切れるんです ね。そういうところで成立する自分というのは、孤立無援です。生命としては。
黒田: 孤立無援というか、絶対的な位置にありすぎますよね。
高: 絶対的な位置であるからこそ、絶対的に孤独ですね。全部自分で背負っていかな ければいけないです。でもそういうものに人間は耐えきれるほど強くはないで すね。だから、夏目漱石が、晩年の作品の『こころ』で、言葉は正確じゃありま せんけども、
私は、私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用出来 ないから、
人も信用できないようになっているのです
という言葉を、近代の人間の心の問題として言っておりました。死んだ子供の最 後の詩のノートの言葉にも、殆ど同じ言葉があるんですね。
じぶんじしんの
のうより
他人ののうの方が
わかりやすい
みんな
しんじられない
それは
じぶんが
しんじられないから
漱石の心の主人公の悩みとまったく同じ言葉ですね。
黒田: 真史さんが自分自身を物凄くよく分からない。信じられない。自分が崩壊してい く・・・と、
高: 子供の育っていく過程をふり返えると、生きていく姿ばっかりをこっちは追っか けておりました。本が好きでいいなとか、可愛いなあとか、あの子は利口だ。こ んな失敗したとか、そういうことばっかり考えておりました。人間が生きている ということは、無数の生き物に支えられということですね。そして無数の人の働 きに・・・それはもう少し広げると、無数の死者によって支えられているという ことです。
黒田: え!
高: 無数の死者によって、人間は支えられている。
黒田: どういうことですか?
高: 米粒一つにしても、稲から刈り取られまして、米粒にさせられまして、
黒田: 植物の死、
高: 植物もそうですし、魚にしても、無数の死に支えられている。そして、そういう ことが分からなければ、生というのが実は分からないんだ、と。そのことを、子 育ての過程に、私の意識としてあれば、おそらく中学生になりました時に、
これまでにどれだけの人の働きを頂いてきたか、命の繋がりを頂いて生 きてきたか。
それをしっかりと知識としても、五感でも頂く。このこと が、
本物の自分が成立していく土台です、と言えたと思うんです。
それ が理解出来るのが本物の自分になっていく一番大事なことだ、
と。そういうふうに言わなければいけなかったんですね。それが全然逆でした。 「自分のことは自分で責任とっていきなさい」という言い方になっていた。これ はしかし私だけの問題ではなくて、気が付いてみると、現代世界の人間の生き方 が全部そうなっていたんではないか。そういうふうになっていたから、さっきの 親鸞の、その子供が死んだ夜に浮かんだ言葉がなかなか頷(うなず)けなかった。それが何 年もして論理としては、考えていって分かるようになったけれど、身体的にやは りなかなか頷(うなず)くことが出来なかった。親鸞の教えが身を通して頷けるようになる のは、やはり二十年後位してから、やっと頷くようになってきたんではないかな あ、と思いますね。
黒田: この自分の命一つ、ここに生まれ落ちた命が、多くの生きとし生けるものによっ て支えられているからこそ、それを、息子さんに、その大切な繋がりを分かりな さい、ということは、生き続けなさい、というメッセージになる。
高: そうです。それが生きるということであり、生きていけることです。人間と生き 物の関係を「いのち」の平等の根っ子で生きるのが、本物の自分であって、自分 がこの世界の主人公というものではないんだ。繋がりの中の大事な自分なんだ、 ということですね。気が付きますと、それは、私が子供にしてやれなかった一番 の闇でした。そして、彼は死んで逝ったわけです。その悲しみから、逆に、「子供 はどこにいったのか」「死とは何か」と考えているうちに、私自身のよって立って いる場所の間違いに気付かされていったわけです。私自身が、子供に何を言って いたか。何をしていたか、ということが、全然本物の生ではないところに立って、 いろいろ言ったり、やったりしていた。そのことに気付かされてきますと、私自 身の今度生き方が変わってくるんだろうと思います。時間はかかりますけれども。 そうすると、死んだ子供と自分の壁が、生と死に引き裂かれた絶対的無関係、永 遠に引き裂かれた存在だ、という関係ではなくなってくるんですね。グッと身近 に近付いて来る。二十年経って、私の方が、実は助けられていたんだなあ、とい う実感ですね。四、五年前、漸く、ああ、こっちが助けられていたんだ、と気付 きました。
黒田: 今、新しい境地になられたのが、二十年目位経って、やっとそこまで紐解いて来 られた。勿論、悲しみというものは、ではどうなりましたでしょうか。
高: そうですね。歳取って鈍くなってきたということもあるでしょうけれど。逆にま た、鋭くなってきた、ということも、別な形であるのかも知れません。亡くなっ た当座のもう怒濤のような、悲しみとも言えないような、大波が頭から、ドーン! と来るような、そういう悲しみですね。そういう悲しみで、身体がバラバラにな っていくような状態でしたけれど、そういう悲しみは無くなりました。それから、 「悲しみ」という中には、「愛おしむ」という意味があると思いますね。仏さまの 眼ざしです。これは『歎異抄』の四章の中の言葉ですけども、
聖道(しょうどう)の慈悲(じひ)というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。
「あわれみ、かなしみ」。この場合の「かなしみ」というのは、「愛おしむ」とい う意味ですね。人間は、その「いとおしみ」で子を自分のものにしてしまいます が、その人間の業のようなものに仏さまの目が重なると文字どおりの「愛おしみ」 になってくる。涙が出てくることは変わらないにしても、子が死んで、そこから くる怒濤のような、嵐のような打撃、そういう悲しみではなくて、悲しみが広が っていく感じがするんですね。子供との距離が、非常に接近してきた、というふ うに感じるんです。この頃、二十年以上過ぎてから、悲しみが自分の生活圏内か ら、外にも広がりつつあるという感じですね。
黒田: 悲しみが寄るのではなくて、広がっていったら、マイナスにどんどん作用してい くというのでは?
高: いえ、そうじゃなくて、悲しみが広がる。無くなるのでも、悲しみが深まるので もなくて、私の場合は広がっていく。ということは、他の存在、自分と死んだ子 供との壁でもどんどん無くなっていく、ということがあります。ずうっと近くな ってきます。気が付いてみると、最初の悲しみが外に広がっていく、という感じ です。だから、海にも広がっている。山にも広がっている。波打ち際の波紋や砂 にも広がっている。そういう形で感じられる、悲しみが。だから、悲しみという ものは、ある意味では人間にとって、非常に深い生命観の現れではないかと思う。 嫌な否定的なものだけではなくて、こころの深まり、そういう思いがありますね。 だから、ある意味では、悲しみが広がってきた方が本当は大事です。子供との関 わりで言いますと、仏教を勉強していて、気付いたことですが、ものごとは意味 ではなくて、感覚的な縁というものでも結ばれていますね。私の独断的な感じ取 り方かも知れないですけれど、仏教では、「慈悲」という言葉が非常に大事にしま す。「慈悲」ということについて、意味からいうと、「苦を抜き、楽を与える」と いうのが、「慈悲」という仏の働きだ、と取られますけれど、その通りであって、 非常に深い働きだと思います。「悲」という字は、「心の割れた状態」ですね。
黒田: 心に非ず。
高: 心が二つに割れた状態を、「悲」と言うんですね。心が二つに割れた状態を、「悲」 という。そのような字を使って、「慈しみ」と結びつけて、仏の働きをイメージし た、昔からの人たちの生命に対する感覚は深い。人間は心の割れた割れ目のとこ ろから、悲しみというような、割れ目のところから、今まで自分の子供、こうい うふうに、自分だけに、自分の命を私物化していたように、子供を私物化してい た。そういう自分が、割れた時に、むしろ、割れた心が悲しい、辛い思いを通し て、温かい、愛しいものとして広がっていくということが起きるんじゃないかな あ、と私は思います。だから、ある意味では、仏と私たち人間は絶対的に違いま すけれども、私たち人間の持っている悲しみ、その悲しみが、逆にいうと、仏の 方の悲しみでもあって、その慈悲の眼ざしに、こっちが気付いていく時に、人間 の悲しみも広がるんだ、と思いますね。ずうっと広がるんだと思います。
黒田: 愛おしさとか、温かいものとなって、溢れて、もっと外向きに出ていく。
高: そうです。広がっていく。
ナレーター: 高さんと岡さんがこの大磯に越して来たのは、一年前のことです。此処を終の 住みかと定めたのです。それまで住んでいた東京の家には真史さんの部屋が亡く なった当時のまま残されていました。息子と暮らした思い出の家、思い出の品を 整理したうえでの二十四年目の決断でした。
高: バットとか、バイオリンとか、みんな片付けて、部屋の模様替えを決意した時が、 ちょっと大きな決断でしたね。
黒田: その決断というのはなんですか。決別とも違う。
高: いやいや。むしろ決別というよりか、もうよくなってきたんですね。そういう形 にして置かなくても。ちょうどその頃から、そういう形で向こう側に見る、とい うような感じがなくなったんですね。
岡: そんな物が無くても、何かこう一緒にいらっしゃるというか、そんな感じがする ようになったんですね。
高: その姿、形がないものに出会う、というのは、おかしな話なんですけども。要す るに、亡くなった時は、居なくなったわけです。残された物を通して、その繋が りをずうっと続けていきたい、という感じがあったんだと思うんです。その必要 がなくて、彼の方が先にこっちに近くきてくれて、物は必要ではなくなった、と いうことです。それだけ近くなったということですね。
黒田: でも、人はついそういうものに残る彼の香りとか、子供らしい匂いだとか、二十 何年経ってもあるじゃないか、と思ってしまうけれども、「もっと近いところに彼 がいる」と今、おっしゃいましたね。
高: それはあります。しかし、それがそのままで広がっているんです。今、「子供らし い匂い」と、そういうふうに言われましたけども、仕草でいえば、此処へ来て、 散歩の帰りに、小学校の帰りの子供たちの仕草が、百人百様で違います。それが 別に違和感なしに、亡くなった子と、同じ目に見えない流れの中で感じられる。 子供たちは大人しい子も居れば、わざとわるぶるのも居れば、喧嘩しているのも いる。その中へ、やはり同じように姿はないですけれど、その子供たちを通して、 新たに其処にもいるという、そういう感じですね。前は、「居ない、居ない」でし た。今は、「居る、居る」です。逆に言いますと。何処にでも居る。そういう世界 が二十五年経って、振り返って見るとあったわけです。私たちが知らなかったと きも、そういう世界を、彼と一緒に歩んでいたんだなあ、という感じです。見え る世界とは、見えない世界、「いのち」の世界の表であり、裏なんですね。これは 私たちだけのことではなくて、今の時代は、私はとっても大事なことではないか と思いますね。
これは、平成十三年二月四日に、NHK教育テレビの
「こころの時代」で放映されたものである。