大人の休日倶楽部

2019-03-28 21:51:39 | 日記

大人の休日倶楽部

 

①   日本の文化・芸能を伝えていきたい。

今年の2月、秋田市横手にいきました。「秋田市竿燈会」や「男鹿のなまはげ」 など秋田の文化資源と多彩なアーティストとのパフォーマンス。震災以降復活できていない芸能や後継者がいない各地の伝統芸能がたくさんあるそうです。地元の人が大切にしてきた文化やライブの面白さを日本中に広めるなど僕なりにできることをやっていきたい。僕は演劇の面白さを伝えたくて舞台を作ってきました。歌舞伎をシネマでみることも始め抵抗があったが関係者が舞台の魅力を最大限撮ろうと頑張ってくれていて今は納得できる。また情報社会の中で生の舞台の面白さを伝えていきたい。ノダヒデキ

 

②   日本最大級「江戸城」

秘密は「天下普請」にあり。江戸城のすごさはやっぱりスケールの大きさ。なんたって265年も日本の中心だった徳川将軍家の城。皇居あたりにあった城なんて思っていたら大間違い。皇居一帯は江戸城のほんの一角。全体はとてつもなく大きい。家康が築いた城は巨大な城。さすが天下普請で築かれた城。天下普請とは全国の諸大名が幕命で総動員された築城工事のこと。江戸城は徳川将軍家の威信をかけた国家事業として築かれた城なのだ。費用はすべて大名の自腹。お金を使わせて財力をそぎ、長期間出張労働させて反逆心を制御する賢いシステム。江戸城は家康が幕府を開府した1603年から本格的に築城を始めた城豊臣家との決戦を見据える一方で一刻も早い幕藩体制の確立を考えていた。天下普請はうってつけの大名統制令でもあったのだ。 ショウタ氏 カトウ氏

 

③   当時、信長や秀吉の下で城づくりに励んだ大名しか石垣を詰めなかった。家康は自分が持っていない最高峰の技術力をタダで献上させたのだ。工事の担当を調べると石垣を作っているのは西国の大名。土木行事に強いのは東国の大名。適材適所で効率てきなのだ。土木行事に強い人たちのお陰で関東ローム層の強さを生かした一面も魅力的。土木技術力の高さなくして江戸城は語れないのだ。

江戸城は1590年北條氏に代わり家康が大改築した城。前身の江戸城は荒れ果て、一体は湿地が広がる原野に近かった。関東入りから8年間、城の中心部分の地盤固め。塩や食料調達のため利根川方面から流路を掘削し用水路も開削した。現在の東京の発展は家康の涙ぐましいインフラ整備の賜物なのだ。ショウタ氏カトウ氏s

 

④   すさまじい威容と防衛力!

江戸城の地形の面白さもたまらない。江戸って本当に地形が複雑。それを巧みに利用した城でもある。桜田豪沿いに日比谷方面をみるこのくだり坂が最も江戸城の地形を感じられる。江戸城は武蔵野台地の東端にある。だから西側の半蔵門から東の日比谷方面に向かって緩やかに下っていく。自然の谷に手を加えて作った桜田豪も圧巻。江戸城は濠の水をそのままにしておくと標高の低い日比谷は氾濫する。だから土橋を使って緻密に水位を調節している。全ての濠に。江戸城は櫓や城門など建物のスケールも半端ない。本来は小さいはずの高麗門がでかい。柱の太さも扉の大きさも規格外。よそから訪れた大名は「将軍様、参りました!」と委縮する感じだ。中世の城が好きな僕にとってこの桝形門の設計。桝形門とは四角い空間のこと。桝形内に敵を封じ込め集中攻撃するのが一般的。桜田門の場合は桝形の正面に濠、その向こうに西の丸の石垣でドーンと壁を作っている。堀で隔てられたあの石垣上の銃座からバンバン狙われる。こんな設計の桝形門などみたことない。地形を生かした濠、力強い土塁。幕府の威光を示す城門、驚異の濠と銃座。いろいろ集約されている。威厳をみせつけつつ鉄壁の防御も忘れない。これぞ将軍家の城なのだ。ショウタ氏カトウ氏

 

⑤   天下普請の「技」

汐見坂、本丸と二の丸の高低差がいい。江戸城の本丸は一番高くなるように10メートルも盛り土。汐見坂から見える白鳥濠に面した本丸東面の石垣もいい。築城期間が長いことも江戸城の特徴の一つ。三代家光まで継続。全国の城は修復紗枝幕府に厳しく規制されていたが江戸城は含まれない。江戸は地震や火災が多かった。江戸城は将軍の城なのでちゃんとメンテナンスされている。時代による技術の発展も場内で観賞できるのだ。防御性が高く威圧的な設計も独創的。例えば大手三之門、かつて門前に水濠があってドーンと構えている。参勤交代の大名がこの道を通ると思えば威嚇の意図を感じる。石垣の上には三重櫓がたっていた。小さな城なら天守に匹敵するような三重櫓を立て並べちゃうのだから将軍様の城は違う。それをしのぐ天守はすごい存在感だったのでは。家光が建てた天守は高さが59メートルもあったとか。明暦の大火で焼失したらしい。翌年、天守台だけ加賀藩の前田綱紀が積んだ。信長と秀吉に仕えた前田家のすごい技術力は屈指らしい。江戸城は見る場所によって表情の豊かさが格別。ショウタ氏カトウ氏。


ユーチューブに学ぶ

2019-03-26 15:15:28 | 日記

お金の使い方を学ばないと、お金があなたの元からいなくなる

 

物から物語の時代になった。戦後は食べ物の時代だった。その後、高度成長時代になり便利な製品が増え豊かになった。先代が物を作ってくれた。

 

これからは心の時代だ。人は足りないものが満たされる時幸せを感じる。感情を動かしたものに幸せを感じる。お金なんか使わなかったら価値がないのだ。

 

学校の授業が物語になったら楽しいと思う。説明だけでは面白くない。授業を全部物語にしてほしい。学校の先生がいたら頼みたいことだ。今は物を所有する時代でない。共有の時代なのだ。

 

世界一のタクシー会社ウーバー会社なんて車何台もっているのか。一台ももっていないのだ。ウーバーのようなビジネスを日本に入れないように頑張っている人がいる。価値観が変わっているのに日本は世界から遅れる。日本は変わりたくない人を守っている。これが大多数の日本の国民の意識だ。

 

我々はどうやって生きていくのか。変わろうとすることだ。世界が変わっているのだ。前の価値観で生きていこうとしない。預金残高では1500兆の大半を高齢者がもっている。使いきらない。若い人はお金をもっていない。貧乏人は自分のお金は自分の物と思っている。老後はお金を使わない。年取ったらお金で幸せになるなんということはない。お金なんかで幸せにならない。年取って成熟した大人の幸せはもっと深いところにある。貧乏は辛いと聞かされたのが残っているのだ。これからは出す時代。自分がもっているものを全部出す。お金も物も情報も出す。出したらやってくる。とにかく全てのものを出すのです。出して出して次世代と共に世界を作っていくのです。                  

                        

 


 「命」

2019-03-25 16:37:53 | 日記

           悲しみとともに生かされて

                                 作 家 (コ)  史 明(サミョン)

                                     岡  百合子

                               ききて 黒 田 あゆみ 

 ナレーター: 神奈川県の大磯に作家の高史明(コ・サミョン)さんをお訪ねしました。穏やかな冬の日でした。

 

黒田:  どうもこんにちは。

 

高:  どうも。

 

黒田:  本日はよろしくお願い致します。

ナレーター: 高史明(コ・サミョン)さんと妻の岡百合子さんは二十五年前、大きな悲しみを経験しました。 ひとり息子の真史(まさふみ)さんを十二歳でなくしたのです。

 


(部屋の写真の前で、黒田さんの問いに答えて)

 

高:  おじいちゃんとおばあちゃんと、そして、家の子ですね。

 

黒田:  真史さんですね。

 


 

ナレーター: 真史さんは中学一年生の七月、自ら命を絶ちました。

 


 

高:  亡くなったのは七月十七日ですけども、確か六月二十九日頃の 写真ではないかと思います。

 

黒田:  そうですか。

 

高:  はい。

 


 

ナレーター: 一人息子が死を選ぶ。親としてこのうえもなく辛い体験をした高さんは、真史 さんの死の意味を問い、また、自らの行き方を問うことに、その後の歳月を費や してきました。それまで宗教とはまったく縁がなかった高さんは、やがて深く仏 教に帰依することとなりました。やり場のない悲しみの中から、命への思いを深 めてきた高さんに、この二十五年の歩みを伺います。

 


 

黒田:  亡くなったことが、自ら死を選んだということを知った時にはどうお感じになり ました。

 

高:  「近所の団地から飛び降りたんだ」という事情を聞かされまして・・・。そうで す、その時はただただ・・・何かを思うという状態でなくて、それを聞かされて、 もう一度眠っているような顔を見た時には、ただただまあ泣いているばかりでし た。

 

黒田:  直前に二人でお昼を召し上がったんですね。

 

高:  そうです。いつも毎年、伊豆の海に行く予定が、夏休みが始まると組まれていま した。あの時に伊豆の海の近くの宿に予約をしてありました。そして、当日は昼 頃─夏休み前ですから、授業が半日だったんです─早く帰りましたので、二人で ─家内の方は学校の務めがありましたので─近くの中華そば屋さんに行きまし た。暑くなってきますし、夏ばてしますから、少しでも栄養と思いまして、「中華 そばラーメン」というのを、「チャシューメンにしたらどうか」と言いましたら、 いつものことで、「いや、ラーメンが僕はいい」というものですから、「暑いから、 チャシューメンにしろや」と言いましたら、意外と素直にこっちのいうことをす うっと聞き入れたんですね。その時に、いつもと様子がおかしいなあと、その時、 ちょっと思いましたね。そして、チャシューメンをとってくれて、二人でそれを 頂いた。帰りはもっぱら海の話をしながら帰ったんです。私の方はウキウキでし たけれど、彼の方はそうではなかったんではないかと、後からそう思いましたが ・・・。まあこっちは一人で海の話ばっかりしていました。楽しみがいっぱいだ ったんです。その時は何もまだ気付きませんでしたね。

 

黒田:  十二歳って、中学一年ですよね。ほんとにこれから最初の夏休みを迎えるという 時に、そういう事態に直面されて、父親の立場としては。

 

高:  そうですね。遺体は棺桶に入って、私たち親子三人は、夜自宅 に帰りました。そして、まあまさに親子三人が遺体が中で、私 たちはその両側に寝るというような・・・まさに亡くなった後 の川の字ですけれども。

 

黒田:  川の字で、

 

高:  はい。その時は心身ともに何かに打たれたんでしょうね。ただ 泣きました。嵐のようでした。それから、夢遊病者のような状態でしょうね。此 処に居て、此処に居ないという感じ。勿論、お通夜のときにはこられた方々の顔 も見分けられますし、ちゃんと応対も出来ましたけれど、他人がやっているとい う感じだったんではないかと思います。人間というのは、ああいう状態になって も、普通のしきたり通りの行為をするものだ、と後で気が付きましたね。自分の 身心に異常を感じるというか、意識し始めたのは、かなり一、二ヶ月と経ってく る過程ではなかったかと思います。無意識にたくさんの本を読み始めておりまし た。つまり、「死とは何か」「生とは何か」「何があったのか」という、あらゆる 問いが、頭の中にそれこそ奔流というような感じで、氾濫する状態で、片っ端か ら、いろんな思い付く本を手に取って読んでおりました。その頃、聖書をちょう ど広げていた時でしたけれど、目がパッと見えなくなるということが、最初の身 体的な変化として自覚されたものです。

 

黒田:  聖書の文字が読めない?

 

高:  見えなくなったんです。急に暗くなった。それで、目がどうかしたのかなあと思 いました。それが身体的におかしいと感じた最初でした。そして、前から起きて いたのかも知れませんが、今度は字を書こうとすると、ペンを持つ手が硬くなっ ていて、こう撥ねちゃうんですね。手が硬直して、名前もうまく書けない、とい う状態が暫くして意識されました。おそらくその時に、今までの生が、一つ一つ 解体されていく時期があったんじゃないかなあ、という気がしますね。

 

黒田:  息子さんの死ということで、高さん自身の生きている生というものがバラバラに なるということですか、

 

高:  そういうことですね。息子が亡くなる前に、既に、父親の死というものを、遺体 に対面するということがありました。その時もいわゆる私の生の秩序というもの が、なにか非常に深いところで壊れていく感じが致しましたね。田舎の方でした から、火葬場が、昔風の火葬場ですから、後ろに覗き窓がありまして、焼けてい くところが見えるんです。その時、見た途端に猛烈な悲しみを感じた記憶があり ます。その時はしかし、前に父親が居て、私がその後に続いておりますから、こ の悲しみを後に続いてゆくということで、かろうじて、それは耐えられるものだ。 いずれ私も行くんだからというふうに思う。そういう思いの中で、その時耐える ことが出来たんです。しかし子供は後から来ているものですから、子供が亡くな った途端に、前の道も同時に絶たれた、という感じがしました。死というのは、 いろいろな形がありますけれども、子供の死というものは、親にとってはある意 味では半身をもがれる以上に、背骨を直撃してくるんじゃないでしょうか。

 

黒田:  「聖書を読んでいらっしゃった」ということでしたけれども、何かいろいろな書 物を読まれたというのはどうしてですか。

 

高:  そうですね。あらゆる問いが頭の中に氾濫した、ということがあります。聖書を 手にしたのはやはり死と関わっていたと思います。「人間が生きる」「死んだもの はどうなるのか」「死んだ子は、今まで何を生きていて、どこに行っていたのか」。 例えば、子育てに関わる幼児教育の問題も考えていて、そのときは「エシール」 などによって、子育ての過程をもう一度振り返って、原因を考えるということも していたと思いますが、だけど、生死ということになると、亡くなって、居ませ んから、原因を探るだけでは、本質的にそれは自分の中の死を埋めることは出来 ません。それで、聖書に向かったんだと思います。何回もその当時読みました。 「何故亡くなったんだ」という問いと、「生きているとはどういうことか」「死ん でいるということは、どういうことなのか」という問いが、別々ではなくて、私 の場合は、それが同時進行というか、一つの問いの裏表みたいにして、迫ってき たような気がします。

 

黒田:  「何故、助けられなかったのか」という、何十年思っても仕方がないことと、思 い切れない問いかけがご自分にあったと思いますが。

 

高:  それは繰り返しですね。具体的な死に関わる、生活の中で、これが死の原因では ないかと思われるようなことが、次から次に湧いて思い出されました。その都度、 一つ一つ、それを、「どうしても、何故助けられなかったのか」という思いと共に 考えますよね。いろいろ思い当たることがたくさん出てきます。そして、考えて いきますと、だけど、どれをとってみても、死という現実の深さの解答にはなら ないんですね。

 

黒田:  決定的ではない。

 

高:  ならないんです。もっと死という現実は深くて重くて、これが原因じゃないかな あと思うと、原因のように思われるんですけれども、そういう原因を死という事 実が突き飛ばしてしまうんですね。だから、そっちの方にずうっと目を向けて考 えていくということにならなくて、そっちに行きそうになると、また死に連れ戻 されて、「死とは何か」という問いに引き戻されていく。そういうことが螺旋階段 状にグルグルと、私を引き回していたんではないかなあと思いますね。

 

黒田:  息子さんが亡くなっている。片や、自分は今、身体には勿論変調がきているんだ けれども、生きているというその現実はどんなふうにお感じになりました。

 

高:  そうですね。その頃の生きているということを端的に言いますと、矛盾している んですけど、生きていたくないという、思いが非常に強かった。同時に、死ぬと いうことが非常に怖い、ということがありました。生きていたくないと、一方で 非常に強く思いながら、同時に死ぬということが非常に怖い。列車なんかに乗っ て、トンネルに列車が入りますと、生きていたくないという思いと、トンネルか らそのまま出ないで、そのまま真っ暗な状態に入っていくんじゃないか、という 恐れを年中感じました。

 

黒田:  「生きていたくない」というのは、息子という未来を失った。希望を失ったとい うことはわかりますが、その状況で死ということが怖いというのは、どういうこ とでしょうか。

 

高:  死が、初めて・・・丸ごとの存在の消滅というんですか。死が迫ってきた・・・

 

黒田:  丸ごと?

 

高:  はい。それに当面したんだろうと思うんですよ。観念、言葉としての死ではなく て、居なくなるということですね。丸ごと無くなってしまう、という。子供の死 が、それを私に考えさせたんだと思いますね。だから、それは非常に苦しく悲し く辛いことですから、もう生きて居たくないという思いになる。同時にそれを裏 返すと、丸ごと消えて無くなるということで、今度は死が怖ろしい。そういう精 神の葛藤になったんだと思いますね。

 

 

ナレーター: 真史さんが生まれたのは、高さんと岡さんが結婚して七年目 のことでした。教師をしていた日本人の百合子さん、作家を志 していた在日朝鮮人の高さんが、国籍の違いや生活の困難のた だ中で授かった一粒種でした。『星の王子さま』が愛読書だっ た利発な一人息子に、二人は将来日本と朝鮮半島の架け橋にな ってくれれば、という願いを託していました。しかし、大切な 命は、中学生になって、初めての夏休みを目前に突然絶たれま した。高さん夫妻には思いあたる理由も予感もありませんでした。後に残された のは、詩が書きつられた日記帳でした。表紙の裏に最後の詩が綴られていました。

 

 
ぼくは

しぬかもしれない

でもぼくはしねない

いやしなないんだ

ぼくだけは

ぜったいにしなない

なぜならば

ぼくは

じぶんじしんだから

 

真史さんが残した詩の中には、人間や自分自身を見つめる鋭い言葉が綴られてい ました。

 

       じぶん

 

     じぶんじしんの

     のうより

     他人ののうの方が

     わかりやすい

     みんな

     しんじられない

     それは

     じぶんが

     しんじられないから

 

       人間

 

     人間ってみんな百面相だ

 

息子さんの真史さんは、何を考えていたのか。何故死を選んだのか。高さんはそ の答えを求めて、残された日記帳はもとより、心理学や教育学、哲学の本、聖書 などを手当たり次第に読み始めました。それと同時に、動かなくなった手で、必 死に書き写していたのが、『歎異抄』でした。息子が死んだ夜、ふと去来した親鸞 のある言葉を捜してのことでした。

 


 

高:  その夜、妙な川ですけどね。真ん中にお棺の子供と、母親である家内と父親であ る私が左右に、寝ていたのか寝ていないのか分かりませんけれども、寝たような 寝ていないような、その時に、

 

     自然(じねん)にしているならば、もっとも身近な者を助けることが出来る

 

こういうふうな言葉が浮かび上がって、確か、それが『歎異抄』の言葉だという ふうに、これは非常に明確な意識とともに、そういう言葉が浮かびました。それ を家内に頻りに口走っていたらしいんです。『歎異抄』に、そういう言葉がある、 と。後から考えてみると、つまりは、「どうして助けられなかったか」という問い が、逆に、「助けることが出来る」という言葉を思い浮かばせたんだろうと思うん です。

 

黒田:  もっとも身近な、もっとも愛する存在だった息子さんを、助けることが出来なか ったという悔いの裏腹で、「助けることが出来る」という言葉が浮かんだんです か。

 

高:  そうだと思います。

 

黒田:  どういう?

 

高:  それはやはり助けたかったんですね。そして、ずうっと探し始めましたけれども 無いんですね。

 

黒田:  『歎異抄』には無いですか。

 

高:  はい。その言葉が。そして、七月から十一月、四、五ヶ月ぐらいして、もうそろ そろ半年位して、そのままの言葉ではないけれども、「もっとも身近なものを助け ることが出来る」という、その言葉が五章の結びにあった。「あ、五章のこの言葉 だ」ということに気づく時がありました。難しい言葉でいうと、

 

     先ず、有縁(うえん)を度(ど)すべきなり

 

その「度(ど)す」ということを意味的に翻訳すると、「助ける」ということなんです。 「もっとも身近なものを助けることが出来る」という。「あ、これが、あの夜、警 察から遺体が帰った時に、私に襲ってきた言葉なのかなあ」と気が付いた時に、 私は、五章の冒頭に、ほんとに驚いたんです。「どうしたら助けることが出来る」 と言っておられるのか。親鸞は、「それをどういう言葉で言い表しているのか」そ れを求めていたのだと思いますが・・・。その冒頭に戻ってみますと、それまで 何十遍となく見ていたと思うんですが、全然見えていなかった言葉がそこにあっ たわけです。

 

     親鸞(しんらん)は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、
     一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだ そうらわず。

 

黒田:  父母(ぶも)というのは、父母(ふぼ)のことですね。

 

高:  父母ですね。「親鸞は父、母の孝養のためということでは、いまだ一度も念仏を称 えたことがありません」という言葉で始まっているのが『歎異抄』の五章です。 そして、結びが、「もっとも身近な者を助けることが出来る」と。「もっとも身近 なものを助けることが出来る」という言葉は、供養のためと念仏は一度も称えた ことがありません」という言葉の結びだった。ちょっと前後して言いますと、最 初見つけることが出来なかった言葉が、「五章の結びだ」と気が付いた頃は、少し 意識が正常になり始めてきたんだろうと思うんです。だから、物を読んだり、考 えたりする力が少し回復してきた頃だろと思います。その頃、初めて供養という のを考えたですね。お葬式も無宗教でしたから、まったくそういう供養というこ とを考えておりませんでした。その頃になって、「死んだ者に出来るのは、親とし ては供養しかないかなあ」というふうに思うようになっていた。ですから、五章 の結びが、そうだと気が付いて、その冒頭に来た時に、ビックリしたんですね。 「供養のための念仏は称えたことがない」と言い切ってありますからね。では、 五章を読んで見てみます。

 

     親鸞(しんらん)は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、
     一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだ そうらわず。
     そのゆえは、一切の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の
     父母(ぶも)兄 弟なり。
     いずれもいずれも、この順次生(じゅんじしょう)に仏(ぶつ)になりて、
     たすけそうろうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、
     念仏を回向(えこう) して、父母(ぶも)をもたすけそうらわめ。ただ自力(じりき)をすてて、
     いそぎ浄土のさ とりをひらきなば、六道四生(ろくどうししょう)のあいだ、
     いずれの業苦(ごうく)にしずめりとも、 神通方便(じんずうほうべん)をもって、
     まず有縁(うえん)を度(ど)すべきなりと云々

 

これが本文の言葉ですね。今風に置き直しますと、「親鸞は父、母の供養のためと いうことでは、一遍も念仏を称えたことは未だありません。何故そのように言う かといえば、一切の生きとし生けるものは、その姿、形、生き方は違えども、「命」 としてみるならば、それは生まれ変わり、生き変わりしてくる。その時々の生の、 その場所では父、母、兄弟という命の繋がりの中に生きております。どなたもど なたも命を私物化して、命の外に自分を置いている私中心の生き方を転じせしめ られ、私の迷いが消えて、仏の世界に導かれていく時こそ、本当の意味の助け合 いということをすることが出来ます」。そのように言われているわけですね。しか し、そのときはそれじゃ、「助けることが出来る」ということは、どういう意味な のかと思いました。何を親鸞は言っておられるのかなあ、と。助けるということ が、わからなかった。「度」ということ・・・。そこでの意識の流れだろうと思い ますが、その理由を尋ねたんだと思います。なぜ、念仏を称えたことがないとお しゃっているのか。私が死んだ子にできることは何か・・・。すると、その理由 として、述べられている言葉は、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟 なり」なわけです。「一切の生きとし生けるものとは」多少言葉を換えて言います と、「その生き方、それから生き物としての姿は違ったとしても、みんな「命」と しては、父、母、兄弟に等しい」。そういう言葉がその後に続くんですね。そして、 さらに続いて、「いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべ きなり」と、こう書いてあるんです。しかし全然その意味が分からなかった。

 


 

ナレーター: 死んでしまった息子に、してやれることは何か。『歎異抄』の言葉の本当の意味 は何なのか。そうした疑問に突き当たっていた頃、高さんは真史さんを失って初 めての正月を迎えようとしていました。家族旅行をするのが恒例だった年末年始、 岡さんの発案で、二人で、奈良、京都に仏像を訪ねる旅に出ます。

 


 

岡:  死んだ息子のことを伸び伸びと考えられる。だから、そういうところに行きたい、 と思った時に、仏さまに会いたい、と思ったんでしょうね。それで、仏さまに息 子のことをお願いしよう、という思いがあって。だから、行ったら、やったらめ ったら拝みまくりましたね。仏像という仏像に、全部拝んで、「よろしくお願いし ます」という感じです。それで奈良を回って、帰りに京都に出ました。京都駅前 に東本願寺がありますね。そこの本堂に座らせて頂いて、その時に、彼はもの凄 く長く拝んでいるんですよ。いくら私が拝むといったって、しびれが切れちゃっ て。「もう行きましょうよ」と言って、立ち上がったんですけどね。それで、「何 を拝んでいたの」と言ったら、その時に、彼が、「親鸞さまに息子のことを、〝よ ろしく〟と言っていたら、向こうから、〝そういうことではないんじゃないか〟 というふうに言われたんだよなあ」と、その時に言ったんですね。

 


 

黒田:  「父母の供養のために念仏を称えず。すべてのものに命がある」という、その一 連の流れ。そして、身近なものを助けることが出来る。これはどういう形で紐解 かれましたか。

 

高:  私は子供に導かれて、親鸞のその言葉に結びついたんですが、これは今になって 考えて見ますと、現代人にとって、根本的なメッセージだったんだなあ、と思う んです。お父さん、お母さんの供養を考えるということは、決して悪いことでは なくて、良いわけですね。しかし、それを考えるということは、私が「この人の 子であるから、この人が亡くなったから、私はこの人の供養をする」ということ で、大体、供養を考えますね。私の場合ですと、「私の一番大事な子供が亡くなっ たから、私はその子のために供養を考える」。それが、私と言われるものです。供 養して、それが悪いわけではないけれども、その私とは、「いのち」を自分のもの のように考えている「私」なんですね。真実の「いのち」を自から見失っている。 それをそのままにして、「供養」になるかと問われているわけです。「では、他の 生き物と、「命」として、「いのち」の全体に繋がっているか。「命」の一員であ るという、そういう私であり得るのか」ということですね。これが親鸞の問いだ った。私の闇を見つめておられる。子が亡くなってから思います。そういう無我 夢中で、『歎異抄』を書いてみたら、目見えなくなったり、そういう状態の一つに、 庭に出て呆然としている時間がありました。庭で蟻が巣作りをしておりますと、 それを一時間でも二時間でも見ているんですね。ずうっと見ていて、ふと気が付 くと、「一切の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)兄弟なり」という言葉が浮かん できます。すると、あの蟻が、私の父、母、兄弟であるのか。あの蟻が私の死ん だ子供であるか。その当時、庭に雉鳩(きじばと)が来て巣を作っておりましたけれど、あの 鳩が、じゃ、死んだ子であるのか。私はそう思えないから悲しいわけですね。

 

黒田:  思えれば楽なんですか。

 

高:  楽なんですね。私は、私の子が死んだから、のたうち回っているのです。だから、 供養ということも考えた。ところが、親鸞は、「いや、そうじゃない。その供養と 考えているお前自身を先ず問うてみなさい」と。「死んだ子供が何故死んだか、と いうことの根本原因を考えないで、どこに供養が出来るのか」というのが、親鸞 の問いだった、と思いますね。その根本原因は、「命の繋がりが見えない私」とい うところにあったわけです。親鸞はそう言っているわけですね。だから、「いずれ もいずれも、この順次生に仏になりて助けそうろうべきなり」と、こうおっしゃ るわけです。

 

黒田:  どういうことですか。

 

高:  私が「死んで」、次に生まれてくる生がある。その時は私中心ではないから、仏の 智慧をもって生まれてくるということ・・・。

 

黒田:  仏の智慧?

 

高:  具体的には、仏の智慧の世界に生かされてくる。その時、初めて、命の繋がりの 本当の世界が開けるわけです。これが本当の意味で、身近にものを助ける道なん だ、と。親鸞はそう言っておられたんですね。だけど、最初はそれは分かりませ んでした。例えば、「いずれもいずれも、この順次生に仏になりて」と言われます と、「では、助けるということは、死んでからでないとダメなのか」と、何度も問 い返したことですね。

 

黒田:  それは誰が死んで、ですか?

 

高:  私が。

 

黒田:  高さんが死んで仏にならないと、人を助けることは出来ない?

 

高:  そう。人も助けることは出来ないし、子供の供養も出来ない。そんなの絶対矛盾 ですね。「そんなことを言われたって、出来ないじゃないか」と。「何もかも、そ れでは無くなってしまうではないか」というふうに、随分、それは長いこと思い ました。しかし、この「順次生に仏になりて」とは、自分中心に見える自分のこ とではなくて、向こうから、仏さまから見つめられている「私」のことなんです ね。亡き子から見られている私と言ってもいい。それが理解されてくる。「一切有 情はみなもて、世々生々の父母兄弟なり」と言われる世界は、自分中心の世界で はない。その「いのち」の世界を一番見えなくさせているもの、それが「自我」 というもの。私中心に世界を見ている。そういう世界ですよね。その自分中心を 転じられる。「念仏」だと言われていたわけです。そして、そ の真実の知恵が、 現代では根本的に大切になっているんですね。私中心のそういう世界の基準にな っているものというものは、必ず何が良いか悪いか。何が損か得かですね。それ を考えさせられます。

サン・テグジュペリの『星の王子さま』という作品があります。その中の飛行士 の言葉ですけれども、星から来た王子さま、或いは、世界の子供たちを代弁して いる、と言えると思うんですが、その王子さまが大人の世界について、

 

     おとなというものは、数字がすきです

 

という、そういう言葉があるんです。そして、子どもの目で言うんですね。

 

     だけども、ぼくたちには、ものそのもの、ことそのことが、たいせつで すから、
     もちろん、番号なんか、どうでもいいのです

 

その言葉・・・サン・テグジュペリは、砂漠に実際に飛行機が不時着した時に知 ったんだ、と思うんです。どこで知ったか、というと、水がない飢えている。そ して、もうじき、あと二、三時間で死ぬ、という状態に追い込まれるわけですね。 その状態の時に、現地人がラクダを引いて通りかかって、水を貰って助かるわけ です。その時の水についての彼の表現が、「ああ、水! 水よ」という言葉で始ま りますが、全くの新しい世界です。

 

     「水よ、そなたには、味も、色も、風味もない、そなたを定義すること はできない。
     人はただそなたを知らずに、そなたを味わう。」

 

そして言う

 

     「そなたは生命に必要なのではない。そなたが生命なのだ」

 

と。水というのは、人間にとっては、まずは自分の生命(いのち)の糧なんですね。人間は、 「水そのものが生命(いのち)だ」とは思わないんです。そういう中で、彼が、「そなたは、 私にとって必要なのではない。そなたが生命(いのち)なのだ」というふうにいうんですね。

 

黒田:  向こうの方がまずあって、

 

高:  両者が一緒なんです。向こうも、こっちもない。ですから人間は主人公ではない んです。他の生き物と、自分が本当は根本的に一緒なんだ、と。地球と人間は一 緒なんだ、ということが、本当の生き方です。このあり方と対象的に、「全部人間 の幸せの糧としてあるんだ」とみるとでは、立っているところが全然違うんです ね。仏教でいう、親鸞がいうのは、「一緒なんだ」という方なんですね。ところが、 人間はそれが出来ない、と。それで、「念仏というものは、人間の知恵に対して、 真実の知恵として差し向けられているんだ」と。ところが人間は自分中心ですか ら、それが分かりにくい。直ぐ念仏を先祖供養に使ってしまったりする。それを 亡くなった子供との関係でもう少し言いますと、息子が中学生になったときが思 い起こされます。その時は非常に大きい喜びでした。朝鮮人の私と日本人の間に 生まれた一粒種ですからね。ほんとに大事な子供でした。そしてよく育ってくれ ていました。私たちはそう思っておりました。中学生になりました時に、入学式 に付いて行きまして、父親の喜びも味合わせて貰いました。そして、帰って来て、 ささやかなお祝いをしました。その夜、中学生になった、という節目で、その子 に言った言葉があるんです。

 

     今日から中学生だ。これからは自分のことは自分で責任を取りなさい。
     他人に迷惑を掛けないようにしなさい。その二つが出来るならば、
     お父 さんはこれから中学生だから、〝ああしろ〟〝こうしろ〟ということは一切言わない。
     自分の人生だから、自分の責任で生きていきなさい

 

と言ったんですね。よかれと思ってのことです。しかしそこに非常に大きなもの が見落とされておりました。何を見落としていたか。他の生き物は、人間によっ て対象化されるだけの存在ではなくて、対象化される以前に、人間とともに繋が っている命である、ということが見落とされていた。

 

黒田:  先程おっしゃった親鸞も言っておられた「命の繋がり」。

 

高:  「命の繋がり」を見落としてしまうんですね。自分中心です命の繋がりを、人間 は全部対象化して、自分の利益に使ってしまうんですね。

 

黒田:  でも、「自分の責任でやりなさい。他人に迷惑を掛けてはいけない」ということ は。

 

高:  「他人に迷惑を掛けるな」。それは間違いではなくて、同じように何度強調しても いいと思うんです。しかし、それを言う前に、もう一つ非常に大事なことがあっ たわけです。他人を出来上がった自分から見ている。では、十二歳になるまで、 他人に迷惑を掛けてこなかったか、というと、これはどんな人間と雖も、みんな 他人の働きの上に自分の人生を歩むわけですね。その他人の働きなしには、その 子の自分というのは成立しなかったわけです。

 

黒田:  自分の働きというのは、親が世話をする、というようなことですか。

 

高:  それだけではなくて、例えば、洋服とか、靴とか、食べ物もそうですが、全部そ れは他の人が作ったんですね。

 

黒田:  あ、それはそうですね。それを買ったり、頂いたり。

 

高:  そうです。私の中で、見えていなかったということは、作ってくれた人が、お金 を出して買った、という次元で、途端に見えなくなるんですね。誰にも迷惑を掛 けていないわけです。お金を出して買ったんだから。

 

黒田:  作って頂いた人とそこで切れてしまう。

 

高:  切れてしまう。お金で切れてしまうんですね。そうすると、そういう生きた繋が り─お金で繋がっているんではなくて、命として繋がっている─そういう人間の 繋がりが切れる。それは生き物との間でもそうですね。生きているものが食べら れる。生命のあったものが食べられるわけです。そういう繋がりが切れるんです ね。そういうところで成立する自分というのは、孤立無援です。生命としては。

 

黒田:  孤立無援というか、絶対的な位置にありすぎますよね。

 

高:  絶対的な位置であるからこそ、絶対的に孤独ですね。全部自分で背負っていかな ければいけないです。でもそういうものに人間は耐えきれるほど強くはないで すね。だから、夏目漱石が、晩年の作品の『こころ』で、言葉は正確じゃありま せんけども、

 

     私は、私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用出来 ないから、
     人も信用できないようになっているのです

 

という言葉を、近代の人間の心の問題として言っておりました。死んだ子供の最 後の詩のノートの言葉にも、殆ど同じ言葉があるんですね。

 

     じぶんじしんの

     のうより

     他人ののうの方が

     わかりやすい

     みんな

     しんじられない

     それは

     じぶんが

     しんじられないから

 

漱石の心の主人公の悩みとまったく同じ言葉ですね。

 

黒田:  真史さんが自分自身を物凄くよく分からない。信じられない。自分が崩壊してい く・・・と、

 

高:  子供の育っていく過程をふり返えると、生きていく姿ばっかりをこっちは追っか けておりました。本が好きでいいなとか、可愛いなあとか、あの子は利口だ。こ んな失敗したとか、そういうことばっかり考えておりました。人間が生きている ということは、無数の生き物に支えられということですね。そして無数の人の働 きに・・・それはもう少し広げると、無数の死者によって支えられているという ことです。

 

黒田:  え!

 

高:  無数の死者によって、人間は支えられている。

 

黒田:  どういうことですか?

 

高:  米粒一つにしても、稲から刈り取られまして、米粒にさせられまして、

 

黒田:  植物の死、

 

高:  植物もそうですし、魚にしても、無数の死に支えられている。そして、そういう ことが分からなければ、生というのが実は分からないんだ、と。そのことを、子 育ての過程に、私の意識としてあれば、おそらく中学生になりました時に、

 

     これまでにどれだけの人の働きを頂いてきたか、命の繋がりを頂いて生 きてきたか。
     それをしっかりと知識としても、五感でも頂く。このこと が、
     本物の自分が成立していく土台です、と言えたと思うんです。
     それ が理解出来るのが本物の自分になっていく一番大事なことだ、

 

と。そういうふうに言わなければいけなかったんですね。それが全然逆でした。 「自分のことは自分で責任とっていきなさい」という言い方になっていた。これ はしかし私だけの問題ではなくて、気が付いてみると、現代世界の人間の生き方 が全部そうなっていたんではないか。そういうふうになっていたから、さっきの 親鸞の、その子供が死んだ夜に浮かんだ言葉がなかなか頷(うなず)けなかった。それが何 年もして論理としては、考えていって分かるようになったけれど、身体的にやは りなかなか頷(うなず)くことが出来なかった。親鸞の教えが身を通して頷けるようになる のは、やはり二十年後位してから、やっと頷くようになってきたんではないかな あ、と思いますね。

 

黒田:  この自分の命一つ、ここに生まれ落ちた命が、多くの生きとし生けるものによっ て支えられているからこそ、それを、息子さんに、その大切な繋がりを分かりな さい、ということは、生き続けなさい、というメッセージになる。

 

高:  そうです。それが生きるということであり、生きていけることです。人間と生き 物の関係を「いのち」の平等の根っ子で生きるのが、本物の自分であって、自分 がこの世界の主人公というものではないんだ。繋がりの中の大事な自分なんだ、 ということですね。気が付きますと、それは、私が子供にしてやれなかった一番 の闇でした。そして、彼は死んで逝ったわけです。その悲しみから、逆に、「子供 はどこにいったのか」「死とは何か」と考えているうちに、私自身のよって立って いる場所の間違いに気付かされていったわけです。私自身が、子供に何を言って いたか。何をしていたか、ということが、全然本物の生ではないところに立って、 いろいろ言ったり、やったりしていた。そのことに気付かされてきますと、私自 身の今度生き方が変わってくるんだろうと思います。時間はかかりますけれども。 そうすると、死んだ子供と自分の壁が、生と死に引き裂かれた絶対的無関係、永 遠に引き裂かれた存在だ、という関係ではなくなってくるんですね。グッと身近 に近付いて来る。二十年経って、私の方が、実は助けられていたんだなあ、とい う実感ですね。四、五年前、漸く、ああ、こっちが助けられていたんだ、と気付 きました。

 

黒田:  今、新しい境地になられたのが、二十年目位経って、やっとそこまで紐解いて来 られた。勿論、悲しみというものは、ではどうなりましたでしょうか。

 

高:  そうですね。歳取って鈍くなってきたということもあるでしょうけれど。逆にま た、鋭くなってきた、ということも、別な形であるのかも知れません。亡くなっ た当座のもう怒濤のような、悲しみとも言えないような、大波が頭から、ドーン! と来るような、そういう悲しみですね。そういう悲しみで、身体がバラバラにな っていくような状態でしたけれど、そういう悲しみは無くなりました。それから、 「悲しみ」という中には、「愛おしむ」という意味があると思いますね。仏さまの 眼ざしです。これは『歎異抄』の四章の中の言葉ですけども、

 

     聖道(しょうどう)の慈悲(じひ)というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。

 

「あわれみ、かなしみ」。この場合の「かなしみ」というのは、「愛おしむ」とい う意味ですね。人間は、その「いとおしみ」で子を自分のものにしてしまいます が、その人間の業のようなものに仏さまの目が重なると文字どおりの「愛おしみ」 になってくる。涙が出てくることは変わらないにしても、子が死んで、そこから くる怒濤のような、嵐のような打撃、そういう悲しみではなくて、悲しみが広が っていく感じがするんですね。子供との距離が、非常に接近してきた、というふ うに感じるんです。この頃、二十年以上過ぎてから、悲しみが自分の生活圏内か ら、外にも広がりつつあるという感じですね。

 

黒田:  悲しみが寄るのではなくて、広がっていったら、マイナスにどんどん作用してい くというのでは?

 

高:  いえ、そうじゃなくて、悲しみが広がる。無くなるのでも、悲しみが深まるので もなくて、私の場合は広がっていく。ということは、他の存在、自分と死んだ子 供との壁でもどんどん無くなっていく、ということがあります。ずうっと近くな ってきます。気が付いてみると、最初の悲しみが外に広がっていく、という感じ です。だから、海にも広がっている。山にも広がっている。波打ち際の波紋や砂 にも広がっている。そういう形で感じられる、悲しみが。だから、悲しみという ものは、ある意味では人間にとって、非常に深い生命観の現れではないかと思う。 嫌な否定的なものだけではなくて、こころの深まり、そういう思いがありますね。 だから、ある意味では、悲しみが広がってきた方が本当は大事です。子供との関 わりで言いますと、仏教を勉強していて、気付いたことですが、ものごとは意味 ではなくて、感覚的な縁というものでも結ばれていますね。私の独断的な感じ取 り方かも知れないですけれど、仏教では、「慈悲」という言葉が非常に大事にしま す。「慈悲」ということについて、意味からいうと、「苦を抜き、楽を与える」と いうのが、「慈悲」という仏の働きだ、と取られますけれど、その通りであって、 非常に深い働きだと思います。「悲」という字は、「心の割れた状態」ですね。

 

黒田:  心に非ず。

 

高:  心が二つに割れた状態を、「悲」と言うんですね。心が二つに割れた状態を、「悲」 という。そのような字を使って、「慈しみ」と結びつけて、仏の働きをイメージし た、昔からの人たちの生命に対する感覚は深い。人間は心の割れた割れ目のとこ ろから、悲しみというような、割れ目のところから、今まで自分の子供、こうい うふうに、自分だけに、自分の命を私物化していたように、子供を私物化してい た。そういう自分が、割れた時に、むしろ、割れた心が悲しい、辛い思いを通し て、温かい、愛しいものとして広がっていくということが起きるんじゃないかな あ、と私は思います。だから、ある意味では、仏と私たち人間は絶対的に違いま すけれども、私たち人間の持っている悲しみ、その悲しみが、逆にいうと、仏の 方の悲しみでもあって、その慈悲の眼ざしに、こっちが気付いていく時に、人間 の悲しみも広がるんだ、と思いますね。ずうっと広がるんだと思います。

 

黒田:  愛おしさとか、温かいものとなって、溢れて、もっと外向きに出ていく。

 

高:  そうです。広がっていく。

  ナレーター: 高さんと岡さんがこの大磯に越して来たのは、一年前のことです。此処を終の 住みかと定めたのです。それまで住んでいた東京の家には真史さんの部屋が亡く なった当時のまま残されていました。息子と暮らした思い出の家、思い出の品を 整理したうえでの二十四年目の決断でした。

 

高:  バットとか、バイオリンとか、みんな片付けて、部屋の模様替えを決意した時が、 ちょっと大きな決断でしたね。

 

黒田:  その決断というのはなんですか。決別とも違う。

 

高:  いやいや。むしろ決別というよりか、もうよくなってきたんですね。そういう形 にして置かなくても。ちょうどその頃から、そういう形で向こう側に見る、とい うような感じがなくなったんですね。

 

岡:  そんな物が無くても、何かこう一緒にいらっしゃるというか、そんな感じがする ようになったんですね。

 

高:  その姿、形がないものに出会う、というのは、おかしな話なんですけども。要す るに、亡くなった時は、居なくなったわけです。残された物を通して、その繋が りをずうっと続けていきたい、という感じがあったんだと思うんです。その必要 がなくて、彼の方が先にこっちに近くきてくれて、物は必要ではなくなった、と いうことです。それだけ近くなったということですね。

 

黒田:  でも、人はついそういうものに残る彼の香りとか、子供らしい匂いだとか、二十 何年経ってもあるじゃないか、と思ってしまうけれども、「もっと近いところに彼 がいる」と今、おっしゃいましたね。

 

高:  それはあります。しかし、それがそのままで広がっているんです。今、「子供らし い匂い」と、そういうふうに言われましたけども、仕草でいえば、此処へ来て、 散歩の帰りに、小学校の帰りの子供たちの仕草が、百人百様で違います。それが 別に違和感なしに、亡くなった子と、同じ目に見えない流れの中で感じられる。 子供たちは大人しい子も居れば、わざとわるぶるのも居れば、喧嘩しているのも いる。その中へ、やはり同じように姿はないですけれど、その子供たちを通して、 新たに其処にもいるという、そういう感じですね。前は、「居ない、居ない」でし た。今は、「居る、居る」です。逆に言いますと。何処にでも居る。そういう世界 が二十五年経って、振り返って見るとあったわけです。私たちが知らなかったと きも、そういう世界を、彼と一緒に歩んでいたんだなあ、という感じです。見え る世界とは、見えない世界、「いのち」の世界の表であり、裏なんですね。これは 私たちだけのことではなくて、今の時代は、私はとっても大事なことではないか と思いますね。

   

     これは、平成十三年二月四日に、NHK教育テレビの

     「こころの時代」で放映されたものである。

            


雑誌に学ぶ

2019-03-17 09:06:16 | 日記

週刊朝日  20180713日号

①    老人の愚痴

私はつくづく立派になったと思う。それは最近老人の愚痴を聞き同意したり励ましたりできるようになったのだ。自分が不自由になってこのごろ老人が愚痴る心境がわかったからである。年をとりたくないがこの状況を経験して誰しも自分の黄金期と比べているのだということが分かった。徹夜で仕事をしたとか左手で子どもの手を引いて右手で重い荷物を持って歩いたなど黄金期と比べて愚痴っているのだ。その間だけ老人は黄金期に帰れるのだ。青春の頃の風景や景色まで蘇る。愚痴は幸せな昔にトリップさせてくれるのだ。しかし思い切って愚痴の時間を筋トレにまわしたらどうだろうか。毎日続けるだけで筋肉は増え愚痴は減る。内館牧子

②     市民薄明! 

早朝ウオーキングを続けている。やめたいと思ったことがない。冬の寒い日は布団からでるのが億劫になるが歩きに行きたいという欲求の方が勝るのだ。なぜならどうしてもアレを見たいと思うからだ。季節により刻々と変わるのでほんの少しでも遅れると見ることができない。ウオーキングにはアレにこだわっていない定刻派ともう一つは調整派に分かれる。調整派にはいつも手を振り回している水泳おじさんがいる。 毎日出会うということはいい加減そうな水泳おじさんもこまめに出発時間をかえているに違いない。さて、もったいぶって「アレアレ」と書いてきたが「アレ」とは日の出直前の光景だ。あの精妙で神聖で宇宙そのもののような空気を一度体験してしまうとそれを見ずに一日を迎える気になれない。なんでも天文学の世界では明るい方から市民薄明、航海薄明、天文薄明に分類するらしい。みんな包み込んでくれそうな市民薄明という言葉が気にいっている。山田清機

 

③    健脳養生法。ボケない。

飲酒は認知症の予防につながる。休肝日はいらない。酒は毎日飲んで肝臓を鍛えようと唱えている私にとって酒と認知症の関係が気になるところ。調べてみると嬉しい結果がでている。適量の飲酒は飲まない人に比べて認知症を軽減するという報告が少なくないのだ。酒は血管性の認知症発生を抑える効果、脳内の神経伝達を携わるアセチルコリンの産出を増加。さらに赤ワインなどに含まれるポリフェノール。ポリフェノールには抗酸化力があり活性酸化による酸化を抑制。赤ワインだけでなくビールやウイスキー、焼酎にも含まれているらしい。私に取ってはアルコール自体の効果を補ってあまりあるのが酒席でのコミュニケーション。これではぼけてなんていられません。認知症予防、ポリフェノールの効果、酒席でのコミュニケーションのときめき。まさにボケ防止の三羽烏。おすすめします。帯津良一

 

④    年一度の里帰り  マザリング・゙サンデー 

孤児小説。なぜマザリングサンデーとあるのか。その日、1924のマザリングサンデーだった。マザリングサンデーとはメイドに許された年一度の里帰り。実家の母を訪ねることができる日である。使用人文化がいまだあったイギリスの時代。イギリスの小説なのだ。題名はヒロインと母のつながりを連想させるが「いやいやじつは孤児なのだ。母はいないのだ。」と展開させる。この本は究極のミステリー小説なのだ。時代設定1924年。大昔ともいえるがこの本には古臭さがなく一人の若い女性が生きている。みずみずしいのだ。永遠に封印された一日としてとして体感され蘇えるがそれは読者にも同様なのだ。古川日出男

 

⑤    王子様のメッセージ 

 27歳でまさか「人生の最後に読みたい本」を考えるきっかけをいただけるとは。人生の最後に読む本は「誰かの書いた作品」ではなく自分の書いた記録や愛する人からの手紙、自分の本などでないか。時間は命そのもの、最後の読書は命と引き換えにするほど価値あるものでなければ。そうするとやはり自分の人生の物語そのものだと思う。自費出版でも読み返してみたいと考えてしまう。しいて一冊をえらぶちすれは「星の王子さま」家程の大きなさの小惑星にすむ王子様が、ある日その星に住む1本の薔薇と喧嘩したことをきっかけに6つの小惑星を旅行し、最後に地球に降り立ち人生において最も大切なものを発見する。人生最後に「王子様」はどんなメッセージをくれるのか今から楽しみである。堀口ミイナ

 

⑥    そうだアニメをみよう。シニア向けアニメ   

いまやクールジャパンの象徴とも言われ、世界的に評価の高まる日本のアニメ。子どもころは随分みたけどなあ・・というシニアも方も多いのでは。「それはもったいない」と69歳のシニアが立ち上がった。見まくって選んだシニア向けアニメの11作品。家族の絆・子どもへの愛・友情・頑張る若者への共感などシニア向けの「効能」もあるようだ。積極的にいいアニメを選んだり、笑ったり心晴れやかになったり感動したりと脳の海馬に刺激が与えられ脳が活性化されるらしい。11作品とは、ちはやぶる・あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない・昭和元禄落語心中・クレヨンしんちゃん。・嵐を呼ぶ、あっぱれ・、戦国大合戦、千年女優・百日紅~Miss HOKUSAI~・こちら葛飾区亀有公園前派出所、おばけ煙突が消える日・どらえもんおばあちゃんの思い出・哲人28号 白昼の残月・サマーウオーズ 学園ベビーシッターズなど。アニメの世界をのぞいてみませんか。土肥慎也

 

 


ブログに学ぶ。

2019-03-16 19:42:23 | 日記

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 「思うは招く」の驚愕の由来

  植松 務(北海道、技術者ロケット)

 

僕は、「思うは招く」という言葉が好きです。
中学生の時に、母さんが教えてくれた言葉です。

「思う」という行為が、状態を「招く」のです。

いいことを思えば、いいことが。
悪いことを思えば、悪いことが。

僕は、この言葉のおかげで、
ピンチの時にも、気持ちを強く持てたかも。


昨日、母さんに、「思うは招く」を、
どこで習ったのか?と尋ねました。

すると、母さんは、記憶をたぐってくれました。
そして、出た答えは、高校の校長先生の言葉だ

そうです。
母さんが女子高生だったとき、
かなり高齢な校長先生が、朝礼の会で夢についての
話しをしてくれることが多かったそうです。

その中でも、上杉鷹山
「為せば成る、為さねば成らぬなにごとも。
成らぬは人の為さぬなりけり。」

という言葉を、力強く、大声で読み上げてくれたそうです。
しかし、その校長、かなりのなまりがあったらしく、
「なしぇばなる。なしゃねばならぬ、なにごとも!」
という調子だったそうです。

女子高生にとっては、それは笑いのツボだった

そうで、
以後、たくさんの宿題が出た時とか、

かが、凹むような発言をすると、

誰かが、校長の物まねをして

「なしぇばなる!」と言うようになったそうです。

いつしかそれは、同窓生の合い言葉になったそうです。

「思うは招く」も、その言葉と一緒に、

みんなに記憶された言葉だそうです。

たった一人の校長が、ちょっとなまってしゃべった一文が、

そのおかしさゆえに記憶され、

それが、僕に伝わり、

そして、僕のTEDxの動画は77万回再生されています。

教育の影響力って、すごい。
先生の影響力って、すごい。

ということを、すべての、子どもとかかわる人に、
覚悟してほしいと、改めて思いました。(終)  

 

               2019H313.16大西


「人間関係のアドバイス」 ムツゴロウ

2019-03-16 09:26:40 | 日記

人間との付き合い方は、「考えるのではなく、感じる」

の話が妙に気になって、何か月かの間繰り返し聴きました。

それから、人の付き合い方がちょっと変わったかな、とは思います。

実際、新たな友人たちとの縁も繋がりだしました。

理屈でなく、「いいな、好きだな」という自分の感覚を大事にしたら、僕自身のメンタルも大分改善されて、抗うつ剤も要らなくなりました。

動物とは言葉を交わすことが出来ません。でも、例えば、犬が自分の方ダッシュで来てシッポをブンブン振ってる姿に、どんな気持ちが込められているか全部現れますよね。

人間は言葉を使います。

しかし言葉は不完全で、相手に思いの全てを表すことも相手の考えていること全てを分かることも出来ません。ムツゴロウさん自身も、何十年と連れ添った奥様が自分のことを全然知らないのに驚くことがある、とか。それほど、人の中身は奥深いし、その全てを知ることは不可能。

だったら、そこはあきらめちゃえばいい。不完全な言葉を媒介にするから人から誤解を受ける事もある。

だったら「人から誤解を受けること」は仕方がないことだから決して気にしてはいけない。そんな言葉のやりとりではなく、もっと根っこの、握手をした時に相手の温かさのような、相手の発する感覚を大事にすることですよ、というものでした。


編集者の仕事

2019-03-14 23:15:11 | 日記

サンマーク出版   高橋ともひろ編集長

  編集者として一緒に働きたい

 

◆まず1つめに、他人と深いコミュニケーションがとれる人。これは友達が多いということではなく、本音でぶつかっても、人と仲良くなれる人のことです。書籍の編集というのは、著者の先生といっしょに半年もの時間をかけて1冊をつくりあげていく仕事ですから、きちんと人と関わっていけるというのは大事な能力です。
もちろん、営業マンでも同じです。書店の担当さんのところへ何度も通って、パートナーとしていっしょに売り場をつくりあげていくのですから、お互いの信頼関係はとても大事です。

 

◆2つめは、自分のエンジンを持って仕事ができる人。仕事というのは、「自分が何をしたいのか」が一番大事だと思っています。それをきちんと自分で決めて、行き先を設定し、方向指示器を出し、エンジンをふかせて、ゴールに向かっていける人。自分で締め切りを決めて、自分の理想とするものに向かって情熱をもって突き進んでいける人でなければ、本づくりはできないし、人の気持ちを動かすことはできません。そして、自分のエンジンをもっている人が多くいると、社内にもますます活気が生まれていきます。それが今からとても楽しみです。

 

◆3つめは、出版社「の」仕事ではなく、出版社「で」仕事をしたい人。よいコンテンツを世の中に広めていくためには、従来の本づくりをするだけでなく、新しいアイデアをどんどん採用していくことが必要だと思っています。新しい部署をつくるくらいの気持ちで、いいコンテンツを世に広めていきたいと思っている人、本当にクリエイティブな仕事をしたいと思っている人といっしょに働きたいと思っています。


 雑誌に学ぶ

2019-03-12 02:31:17 | 日記

①    親が生きているうちに

この年になって後悔しても仕方がないが、あの時こうすればよかったと思うことがある。その一つに両親からもっと話を聞いておくべきだった。父親の少年時代のこともほとんど知らない。師範学校で剣道をやっていたことぐらい。母親についても同様。福岡の女子師範学校の出身ぐらい。どうして教師への道を志したのか、どういう少女だったのかまったく想像することができない。ある時教え子と思しき方が母親のスナップ写真を送って下さった方がいた。私は思わず嘆声を発した。私がイメージしていた母親の姿とはまったく違う若々しい女教師の姿が写っていた。私が物心がついたころは戦時色で地味な格好の女教師だった。父親は詩吟と朗詠を好み母は童謡や抒情歌をよくうたっていた。

 

②    親がいきているうちに

最近、相続の話が話題になることが多いが、私は親から相続したものは皆無だが本当はもっといろんな記憶を相続したかっと後悔することしきりである。

不動産をそうぞくするのも悪くないがそれよりもっと大事なものをバトンタッチしてもらいたかったとことしきりである。若い人にはいつも「親が元気なうちにいろんな話を聞いておくことだね」という。イツキヒロユキ氏

 

③    小さな抵抗  

我家では日頃ある小さな抵抗をしている。プラスチック類を極力拒んでいるのだ。プラスチックは強力で自然界に投棄されると数百年~数千年は分解されずに残るという。プラスピック容器に入った弁当は買わないし卵も紙パックのものをかっている。買い物の時はエコバックを持参している。いまクジラやあらざし、鳥や魚の体内から体調にプラスチックが見つかっている。この状況にたいしていくつかの「小さな抵抗」が報じられている。ワシントン州のシアトルでは市内全ての飲食店でのプラスチック製のストローの提供を全面的に禁止した。スターバックス、マクドナルドも使用後肥料になるストローにかえた。ストローはプラスチックのごく一部だが小さな一歩の始まりだ。小さな抵抗という意識を持った企業を応援したい。そういう製品を買いたいと思っている。イシダジュンイチ氏

④    インターナショナルスクール 

港区の東京インターナショナルを訪れた。校舎はテーママークの名物アトラクション「It’s a small  world」の世界観だ。創立者は坪谷ニュウエル郁子氏。日本の受験社会に疑問を感じて1970年代アメリカの大学に進学。帰国後英語で学ぶテーマ探求スタイルの私塾を開いたのがはじまりだ。パワフルでたくさんの肩書を持つ。この学校では教科書はない。算数、国語などの教科の概念はなく専科の授業以外時間割もない。各学年6つのタームに別けてカリキュラムを構成。タームごとに取り組むべきテーマが決められている。例えば「恐竜」「芸術家」などのテーマごとに学習していく。一つのテーマに8つの観点のうち少なくとも3つに取り組み。それはどのようなものか。それはどのように機能するか。なぜそうなのか。どのように変わっているのか。他とどうつながっているのかなど。それぞれの能力に応じて自分の目標を定め学習の成果を自分でプレゼンする。何から何まで日本の学校とは違う。オオタマサヨシ

 

⑤    インターナショナルスクール

インターナショナルスクールは学校教育法上では各県が認可する各種学校になっている。義務教育機関とは認められない私塾的なスクールも多数存在し、義務教育課程と認められていないインターナショナルに通う子ども達は公立の小中に籍をおき不登校扱いにしてもらう。グローバルな教育を受けさせたい富裕層をターゲットに雨後のタケノコのように増えている。かつてのお受験熱が幼児期からのグローバル教育の熱に移行してという。校長先生に話を聞いた。「日本に軸足を置いて生きていくなら義務教育期間中はインターナショナルに通わせるのはお勧めできません。理由は二つ。一つは日本語を深く学ぶ機会を失うから。日常会話に困らない程度ならバイリンガルになれるが学校での知的刺激がすべて英語になると日本語で考える脳がそだたない。思考のベースは日本語であるべき。海外の大学に進むのがほとんど。二つ目は日本の学校教育が素晴らしいから。日本人の共生の精神も学校教育から生まれている。日本の学校文化の素晴らしさをもっと世界にアピールすべき。日本の教育の唯一の問題点は自己肯定感を下げてしまうこと。減点主義が原因の一つと思う。日本人は謙虚というか自己評価が低い。アメリカがその逆。どちらもダメ。どちらも素直な7評価ができる子ども を育てたい。」なるほどと感じた。オオタ氏

 

 

 


素晴らしい「職業しらべ」発見! ネットから

2019-03-10 11:50:13 | 日記

職業調べ (小年6年)

〜はじめに~

なぜこの仕事を調べようと思ったのか?私のお父さんの仕事は「講演家」です。お父さんの講演会は、何回か見たり聞いたりしていたので、すごく興味が湧きました。よくよく考えると、講演家をやっている人って少ないし、子どもには内容がよくわからないと思います。だから、みんなにこの仕事のことを知ってもらおうと思って、講演家という
仕事を選びました。

〜調べるために使用した
資料について

インターネットで調べました。

講演家の人ホームページです。

 

 〜仕事の内容

講演家の仕事を本当に簡単に言うと「話をして、人に喜んでもらう仕事」です。このことを頭に入れてほしいです。どんなことを話しているかは、けっこうたくさんありますが、講演家のみなさんには「一つの共通していること」があります。それは「自分が経験したことを話している」ということです。

そして、体験談を話している
だけではなく、その出来事から

「私はこう思った。」「私はこうしていきたい」というような

自分の意志 を必ず伝えています。だから聞き手の人がその人の話を聞いて

「あっ、こう思っているんだ。」

とか「私もそう思うな。」という、

『共感』が生まれています。

 

〜どうしたら講演家になれるのか とにかく『勉強』です。講演家が書いている
本を読んだり、話し方についての本を読んだり、講演に行って
見て聞いて感じたり、DVDやビデオを見ることです。講演家になるために、最も大切なことがありますそれは『自分の伝えたい
ことを見つける』ということです。いくら話すのが上手い人の真似をしても、【自分の伝えたいこと】がなければ、伝わらないですよね。「感謝」についてとか「自分の価値」についてとか

講演家の人の、それぞれの経験談によってその内容は変わってきます。自分の伝えたいことを頑張って相手に気持ちを込めて言う から伝わるんです。講演家の人にとって
一番大切なことは…「伝えたいことを頑張って伝える」という『心』なんです。

【自分の伝えたいこと】

がなければ、伝わらないですよ

 

 〜まとめ

どうでしたか?講演家という仕事を、少しでも理解してもらえましたか?もしかしたらあなたは、
講演家とは程遠い仕事につくかもしれません。でも、どんな仕事においても、【自分の伝えたいことをちゃんと伝える】

ということは、共通ではないでしょうか。そんな時はちゃんと胸を張って!前を向いて!大きく息を吸って!はっきりと自分の
意見を言えたら、素敵だと思いませんか?伝えるという部分では、あなたは講演家ではなくても、講演家と同じ存在ではないでしょうか。そんな素敵な人が増えていくといいですよね。

さあ!前を向いて!楽しい未来を創るのはあなたです!自分の意見を大切にしてください!伝えることは
良いことです!自分の思いを伝えられる人は、幸せです!!

 

  

 

 人前で話すということは

講演家だけがやっていることではないという事を、彼女は分かっているんです。講演家だけが
人に話すことができる体験談を持っているのではないという事を、彼女は分かっているんです【人前で話すこととは何か】を彼女はわかっているんです。 誰でもみんな
【価値ある経験】
をしている。誰でもみんな
【素晴らしい経験】
をしている。誰でもみんな
【人に勇気を与える経験】
をしている。まずはそのことに
気付こう!!でも、自分のことを話すことは、勇気がいること。自分のことを話すときどうしても臆病になってしまうんです。でも、だからこそ!自分の中にある価値ある経験に気付いたら、勇気を出して一歩前へ踏み出そう!!小学6年生の一花から、大切なことを教えてもらいました。僕も一花を見習ってちゃんと胸を張って! 前を向いて!大きく息を吸って!はっきりと!!自分の価値を認めて!自分自身に誇りを持って!自分の経験談をたくさんの人にプレゼントしていきます!!!


本に学ぶ 「編集者の学校」

2019-03-07 19:47:58 | 日記

本に学ぶ 「編集者の学校 」               

 

私はいくつかの大学で編集論を教えているが編集に興味をもつ学生が増えているようである。編集者を目指学生には講義の最初この3つは守るように話す。・毎日新聞を読む・旺盛な好奇心で何でもみたり聞いたりしてみたいと思って行動する・古今東西の名作は勿論最近話題の本、週刊誌、月刊誌など手当たり次第読む。編集とはいろいろな材料を集めて新聞・雑誌・書物を作ることである。現在の編集者は情報の洪水で読者にどんな情報を届けるべきか考えるゆとりをなくしもがいているように見える。

 

 

1970年4月私が講談社に入社したころ新米編集者に企画を考えるゆとりなどないから外に出て一日に何人もの人にあって何か面白いことないか御用聞きに回るのが日課だった。あらゆるジャンルの人に会って話を聞き、飯を食べた。大きなホテルにかかっている催事をみて励ます会や出版記念会に飛び込ませてもらい名刺をばらまいて人脈を広げたものだ。夜、編集部にもどり原稿をかいた。これはと思う事件や要人の来日があると直行した。携帯電話がないので連絡のしようもなくて戻ると編集長から怒鳴られることもしばしば。どこまでが仕事でどこまでが遊びかの線引きも難しかったが忙しいとは感じなかった。

 

 

 

編集も一つの伝承芸である。先輩がやってきたことを参考にしながら自分なりのノウハウを積み重ねていくことだ。編集力を磨くために私は若い編集者に言う。横並びはやめて人のやらないことをやれ。デジタルにふるまわされるな。PCを捨て町にでよう。うまい文章より相手に伝わる文章をかけ。遊べて飲めて歌おう。時代を見る目を養う。編集者の仕事の8割は企画を考えること。そのため万巻の書物を読み人と付き合い、映画、音楽、演劇を観賞する。全ては企画を生み出す為である。

 

 

24時間企画を考え、考え抜く。この仕事は選ぶのでなく仕事の方が人を選ぶのだ。出版社に入ったから編集者になるのではない。自分が感動したものをひとりでも多くの人に伝えたい。そのためにあらゆる手段を使って伝えてやろうという強い思いがあればできる職業なのだ。編集者ほど楽しい職業はない。生まれ変わってもこの仕事をしたい。なぜなら本を読んでも、映画を見ても、音楽をきいてもレストランにいっても全てが仕事になる。遊びも全て仕事。おまけに自分が会いたい作家、芸能人、スポーツ選手にあって1対1で話が聞けるかも知れず手応えもある。

 

 

作家というのは非常に孤独です。無人島で生活しているロビンソン・クルーソーのようなもので自分の思いのたけを手紙にかいて瓶の中に入れ海に流している。その瓶を最初に拾い中の手紙を読んでくれるのが編集者です。彼は返事をくれる。編集者とは現実社会と物を書く世界をつなぐ命綱へその緒のようなもの。物書きと現実社会をつないでくれるのが編集者。物書きに取って編集者は命綱である編集者は感覚をみがき作家と心中するくらいの気持ちが欲しい。自分という人間を常に磨いていることも大切。編集者になるということはサラリーマンになることとは全く違う。編集者は職人。癖のある人間を相手に一冊の本を仕上げる。時間と労力を惜しまない職人である。いいものを書き手と共につくろうという根性がなければいい仕事はできないでしょう。                  モトキマサヒコ氏