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こもれびの日記

日々の暮らしをつづります。コモちゃんは夫です。コメントは管理人の判断で削除する場合があります。ご了承下さい。

保命酒って養命酒???@鞆の浦

2017-01-27 | 旅・中国地方
22日はベラヴィスタを後にして鞆の浦観光でした。
鞆の浦といえばこの常夜燈。
この常夜燈付近も宮本常一が訪れた1965年ではこのように世の中から打ち捨てられた感じでした。
「私の日本地図6 芸予の海」


「鞆の港の丘の上に立ってみると、この町の古き繁栄がしのばれるとともに、それが現代に受け継がれなかったことに限りないさびしさをおぼえる。海岸に並ぶ古い土蔵の壁は落ち、また、今は住む人がなくてくずれゆく民家を見かける。」

2017年、その土蔵は坂本竜馬のいろは丸展示館に、隣の民家はカフェに。

観光が経済の中心になってます。宮本常一はこの光景をなんと見るでしょうか~

ただ彼の言うように昔の栄光はこんな物じゃなかったのでしょう。それがうかがえる町並みです。
重要文化財の太田家を見学しました。

1659年に中村吉兵衛が藩主から保命酒という漢方薬を使ったお酒の醸造販売権を与えられたのが始まり。
18世紀、19世紀の酒蔵が残っています。

明治になって藩が無くなって専売権が無くなり中村家は製造を止め、誰でも保命酒を作れるようになり、現在では6軒あるようです。

明治中期に廻船業の太田家が引き継ぎ、戦後はたくさんの人が部屋を借りて住んでいたということです。

お殿様のお籠を置く石。

平成8年から13年に保存修理されて公開に至っています。

こちらも重要文化財の岡本家長屋門。明治の初めに福山城の払い下げにより得た長屋門です。ここも保命酒屋さん。
 

こちらの保命酒屋さんでコモちゃんは保命酒を買ってしまいました!
 
こんな甘くて香りのあるお酒、だれが飲むんでしょう・・・お正月のお屠蘇みたいです。健康にはいいんでしょうが、養命酒そっくり。
試飲したのでポカポカしてきました。ブラブラ歩きましょう。
        

桟橋や突堤がなかった時代に船の着岸に石段、ガンギが作られました。

古い立派な港だからガンギがあるという。

旅行から帰って1週間、保命酒はまだ開けられていません
ペリーが素晴らしいリキュールだとほめたというけど、うちでは来年のお正月のお屠蘇にしか飲まないんじゃないでしょうか・・・・





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