愛とは?
エゴなのか?
難しいけど、私はエゴだと思うヒト。
だから簡単に愛という言葉を使いたくない。愛を捧げるのも捧げられるのも慎重になる。
遅ればせながら各賞を受賞している『エゴイスト』をWOWOWで見ました。以下ネタバレ含みます。
この映画の真ん中に横たわっているのは実は貧困だと思う。同性愛にまつわる不平等とか生きづらさというよりも、そちらの方を私は強く感じた。
この映画も先日見た『TAR』と同じように必ずしも同性カップルでなくても成り立つストーリー。もしも、浩輔が女性であったら、割とありがちで見慣れた物語になる。終盤、残された女同士仲良く、親子のように過ごす日々。自然だ。いかにもありそう。昭和な感じもする。
でもこれを同性カップルで描くと、新しい切り口になる。特に境遇の差が、貧富の差が、より明確になるのだ。 同じ東京に住む日本人の男ふたりが、これほどまでに違うのだと、 残酷なほどにその差を明示できる。支援するもの、されるもの。直接的に現金で行われるから何だか見ていて胸がざらつく。他のやり方はなかったのか……。
逆に龍太の方が女性であったとしても、庇護するものとされるもの、当然のように役割分担がなされ、それほど新味のない物語になってしまうだろう。ジェンダーの刷り込みって凄いな……と思いつつ、実際に所得は全体に男性の方が多いのだ。
会いたいっていうだけで会えるのが恋人なら、俺は天の恋人になりたい
細部が違うかもしれないが、こんなセリフがドラマ『君となら恋をしてみても』にあった。
そう。恋とか愛は誰でもない自分自身の【欲】から始まる。対象への【甘やかな独占】だ。肉体だったり時間だったり、こころだったり……。無償の愛という言葉はあるけれど、受け取る方は完全に自由ではいられない。
映画のラスト、龍太の母親のセリフもそれはエゴ、すなわち愛なのかもしれない……。そんな風に思った。
キャストの演技も映像の撮り方も、生っぽく、ドキュメンタリーのような映画でした。ハンディカメラで撮ってます…的な映像は流行りなのかな?『SKAM』や『8番目の感覚』でも使われていたよね。映画館で見ていたら酔ってしまったと思う。ちょっとそこは気になりました。描く世界は狭いけれど、深く考えさせてくれる映画でした。