販売期間
1967年11月-1975年12月
乗車定員
2人(トラック)
4人(バン)
7人(コーチ)
ボディタイプ
2ドアキャブオーバートラック
4ドアキャブオーバーバン
4ドアキャブオーバーワゴン
エンジン
2U-B型 水平2 0.8L
駆動方式
FR
変速機
コラム式4MT
サスペンション
フロント=ウィッシュボーン/リーフ
リア:リーフリジット
全長
3,585mm
全幅
1,380mm
全高
1,630mm
ホイールベース
1,950mm
車両重量
740kg
備考
諸元データはミニエースコーチのもの
後継
トラック:
トヨタ・ピクシストラック
(軽自動車)
バン:トヨタ・ピクシスバン
(軽自動車)
コーチ:
トヨタ・スパーキー(沖縄県のみ)
-自動車のスペック表-
1967年(昭和42年)11月に、排気量800 ccの空冷水平対向2気筒OHVエンジンである2U-Bを搭載した小型トラックとして「ミニエース」が発売される。車両寸法はベースのパブリカと同等で、最小回転半径は3.9 mと軽自動車並の取り回しの良さが武器。その一方軽トラックの最大積載量に対し、150 kg勝る500 kgの最大積載量のキャパシティとアドバンテージがあった。製造はこの年に竣工したトヨタグループの豊田自動織機長草工場が担当した。
エンジンはパブリカの商用車、パブリカバン・トラックと同じ2U-B型で、最高出力は36 ps(グロス値)。トランスミッションとデファレンシャルギア(ファイナル)のギア比はそれらと同一であるが、エンジンはパブリカバン・トラックよりもある程度低回転域のトルクを充実させたセッティングとなっている。なお、最高速度はこの当時のメーカー公表値で110 km/hとなる。
荷台には低床/高床のほか、幌付き/鳥居付き/パネルバン等もラインナップ。当時の小型トラックは概ね価格が40万円前後であったが、ミニエースの32.8万円という低価格は大きなセールスポイントとなった。
1968年(昭和43年)2月にはハイエースの小型版としてワンボックスタイプのボディを追加、「ミニエースバン」(UP100V型・貨物登録)と、7人乗りワゴンの「ミニエースコーチ」(UP100B型・乗用登録)が追加される。
1969年(昭和44年)10月に最初のマイナーチェンジを実施。フロントウインドシールド下のベンチレータースリットの大型化、およびラジオアンテナ下にサイドターンシグナルランプが追加装備され、他には助手席にシートベルトとヘッドレストの標準装備化、4ウェイハザードランプの新設、各ランプ類の別系統ヒューズ化が施された。これに伴い、トラックに上級グレードの「デラックス」が追加。
1971年(昭和46年)3月には2度目のマイナーチェンジを実施。フロントウインドシールド下のベンチレータースリットが廃止され[注釈 1]、フロントターンシグナルランプのレンズ部分の色がクリアからアンバーに変更となった。
空冷エンジンを搭載した車種ゆえに昭和50年排出ガス規制を達成することができず、1975年(昭和50年)12月をもって販売を終了、軽自動車を除く日本の自動車用空冷エンジンの歴史はミニエースの終焉をもって幕を閉じた。以後このクラスのトラックは1982年(昭和57年)のスズキ・ジムニー1000ピックアップまで、一方の1BOXワゴンも1983年(昭和58年)のスバル・ドミンゴまで日本国内から姿を消し、トヨタのリッタークラスの1BOXワゴンは2000年(平成12年)10月登場のスパーキーまで25年間不在となる。
Wikipedia参照
私は働く車が好きでトラックなんか大好物である。
スポーツさは無いが一般人でも買える価格設定。
なんと言っても荷物を積めるのが私にとっては理想的。
なんか古い軽トラが欲しいな。
1967年11月-1975年12月
乗車定員
2人(トラック)
4人(バン)
7人(コーチ)
ボディタイプ
2ドアキャブオーバートラック
4ドアキャブオーバーバン
4ドアキャブオーバーワゴン
エンジン
2U-B型 水平2 0.8L
駆動方式
FR
変速機
コラム式4MT
サスペンション
フロント=ウィッシュボーン/リーフ
リア:リーフリジット
全長
3,585mm
全幅
1,380mm
全高
1,630mm
ホイールベース
1,950mm
車両重量
740kg
備考
諸元データはミニエースコーチのもの
後継
トラック:
トヨタ・ピクシストラック
(軽自動車)
バン:トヨタ・ピクシスバン
(軽自動車)
コーチ:
トヨタ・スパーキー(沖縄県のみ)
-自動車のスペック表-
1967年(昭和42年)11月に、排気量800 ccの空冷水平対向2気筒OHVエンジンである2U-Bを搭載した小型トラックとして「ミニエース」が発売される。車両寸法はベースのパブリカと同等で、最小回転半径は3.9 mと軽自動車並の取り回しの良さが武器。その一方軽トラックの最大積載量に対し、150 kg勝る500 kgの最大積載量のキャパシティとアドバンテージがあった。製造はこの年に竣工したトヨタグループの豊田自動織機長草工場が担当した。
エンジンはパブリカの商用車、パブリカバン・トラックと同じ2U-B型で、最高出力は36 ps(グロス値)。トランスミッションとデファレンシャルギア(ファイナル)のギア比はそれらと同一であるが、エンジンはパブリカバン・トラックよりもある程度低回転域のトルクを充実させたセッティングとなっている。なお、最高速度はこの当時のメーカー公表値で110 km/hとなる。
荷台には低床/高床のほか、幌付き/鳥居付き/パネルバン等もラインナップ。当時の小型トラックは概ね価格が40万円前後であったが、ミニエースの32.8万円という低価格は大きなセールスポイントとなった。
1968年(昭和43年)2月にはハイエースの小型版としてワンボックスタイプのボディを追加、「ミニエースバン」(UP100V型・貨物登録)と、7人乗りワゴンの「ミニエースコーチ」(UP100B型・乗用登録)が追加される。
1969年(昭和44年)10月に最初のマイナーチェンジを実施。フロントウインドシールド下のベンチレータースリットの大型化、およびラジオアンテナ下にサイドターンシグナルランプが追加装備され、他には助手席にシートベルトとヘッドレストの標準装備化、4ウェイハザードランプの新設、各ランプ類の別系統ヒューズ化が施された。これに伴い、トラックに上級グレードの「デラックス」が追加。
1971年(昭和46年)3月には2度目のマイナーチェンジを実施。フロントウインドシールド下のベンチレータースリットが廃止され[注釈 1]、フロントターンシグナルランプのレンズ部分の色がクリアからアンバーに変更となった。
空冷エンジンを搭載した車種ゆえに昭和50年排出ガス規制を達成することができず、1975年(昭和50年)12月をもって販売を終了、軽自動車を除く日本の自動車用空冷エンジンの歴史はミニエースの終焉をもって幕を閉じた。以後このクラスのトラックは1982年(昭和57年)のスズキ・ジムニー1000ピックアップまで、一方の1BOXワゴンも1983年(昭和58年)のスバル・ドミンゴまで日本国内から姿を消し、トヨタのリッタークラスの1BOXワゴンは2000年(平成12年)10月登場のスパーキーまで25年間不在となる。
Wikipedia参照
私は働く車が好きでトラックなんか大好物である。
スポーツさは無いが一般人でも買える価格設定。
なんと言っても荷物を積めるのが私にとっては理想的。
なんか古い軽トラが欲しいな。