販売期間
営業車以外:
1979年11月 - 1983年10月
営業車:
1979年11月 - 1993年7月
設計統括
石川康雄
デザイン
園勲夫
乗車定員
5人
ボディタイプ
4ドアセダン / バン / ワゴン
2/4ドアハードトップ
エンジン
Z20E/Z20型 直4 2L
Z18ET/Z18E→CA18E/Z18→
CA18型 1.8L 直4
Z16→CA16型 1.6L 直4
Z18P型 LPG 直4
LD20/LD20T型
ディーゼル2L 直4
駆動方式
FR
変速機
4速 / 3速AT
5速 / 4速MT
サスペンション
前:マクファーソンストラットコイル
後:セミトレーリングアームコイル
全長
4,510mm
全幅
1,655mm
全高
1,370mm
ホイールベース
2,525mm
車両重量
1,110kg
ブレーキ
前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル
2ドアHT 2000SSS-ES 5速MT(前期型)
別名
北米:日産・マキシマ(初代)
-自動車のスペック表-
ブルーバード史上、最後のFR車となる。1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、このモデルは派生型のロングホイールベース型や直列6気筒モデルを廃止するという思い切った見直しが図られ[注釈 13]、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。
510型を髣髴とさせる直線基調の機能的且つ、クリーンでボクシーなスタイルなども手伝って、小型車(1.6L - 2.0Lクラス)で27か月連続新車登録台数第1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。広告のイメージキャラクターには沢田研二を起用し「ザ・スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた[注釈 14]、このCMで910型大ヒットの立役者となった沢田は引き続き次作U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了までイメージキャラクターを務める事となる(後述)、本人が歌うCMソングやナレーションも話題となった。
輸出仕様も国内仕様に準じたかたちで4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の北米向けのみは、ホイールベースを100mm延長し、L24E型2.4L直列6気筒エンジンを搭載したセダンとワゴン(GL910 / WGL910型系)がラインナップされ、「ダットサン・810マキシマ」の愛称で発売された。国内向けガソリンエンジンは全車直列4気筒のZ型に統一され、また、この910型からディーゼルエンジン(LD20型)が登場し、後にディーゼルターボ(LD20T型)エンジンも追加される。営業車には、LPGエンジンのZ18P型が搭載された。SSSシリーズには開発当初、スカイラインRS用の4バルブDOHCのFJ20Eエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブームまっただなかということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある[注釈 15][注釈 16]。
足回りは、フロントサスペンションが日本製FR車初のゼロスクラブと、ハイキャスターにセッティングされた、マクファーソンストラットコイル、リアは、SSS系にはセミトレーリングアームコイル、エレガント系、タクシー、後期型ワゴンは4リンクコイル、バン、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは半楕円リーフリジッド(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。また、豪州日産では1985年まで生産を行っていた。
バンの最廉価グレード、および営業車を除く全車にフロントベンチレーテッドディスクブレーキを標準装備。キャブレター仕様を除くSSS系、後期型 2.0L のエレガント系にはウレタン製衝撃吸収大型バンパーが装備された。これらの機構的特長を前面に押し出した「走る。曲がる。止まる」のキャッチコピーは、「技術の日産」ファンのユーザーの購買心理に好意的に迎えられた。
SSS-XGシリーズにはデジタルメーターも標準装備する。
当モデルの2ドアハードトップをオープンカーに改造したものが、発売当時開場したばかりの横浜スタジアムでリリーフカーとして使用されていた。
1979年
11月 - 発売。
12月 - バンとワゴン(名称はADワゴン 1800GS / GL)[注釈 17]を追加発売。
1980年
3月 - 1800EGIターボ(Z18ET型 135馬力)のターボSSS / ターボSSS-S / ターボSSS-X / ターボSSS-XG追加。
4月- セダン2000ディーゼル(LD20型 65馬力)GL / GFを追加。サンルーフ、オートエアコン装着車を設定。
10月 - 1800 SSSターボとセダン1600GL / GFにAT車追加。これを機に2000SSS-ESは廃止。
1981年
1月 - 2000キャブレター仕様(Z20S型・110馬力)の2000 GL / GF / SSS-Lを追加。
2月 - 特別仕様車セダン1600スポーティーGL発売。
5月 - セダンターボSSSベースの特別仕様車発売。
8月 - 特別仕様車1600スポーティーGL-II・V20ターボスペシャル発売。
9月 - 特別仕様車スポーツスター1600スペシャル発売。
10月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。
1982年
1月 - マイナーチェンジ。内外装変更。同クラス初のピラーレスの4ドアハードトップモデルを追加。2ドアハードトップは1800ターボSSS / ターボSSS-Sの2グレードに整理。
5月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。
6月 - 特別仕様車発売。
10月 - 一部改良。自然吸気の1.6L / 1.8LガソリンエンジンをCA16、CA18 / CA18E型に変更。ターボ車は4速AT化。
1983年
2月 - 特別仕様車50シリーズ発売。
3月 - スーパーエクストラシリーズ発売。
5月 - 特別仕様車50スペシャルII発売。
7月 - ドアミラー採用。
10月 - 営業車モデル(タクシー、教習車)を除き販売終了。
モータースポーツ
1981年10月 - オーストラリアで開催された耐久レース「バサースト1000」に参戦。結果はオーバーヒートによりリタイア。
1982年5月 - 当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「ブルーバード・ターボ」が登場。2ドアハードトップ(KY910型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルを装着。ドライバーは、柳田春人。
エンジンは直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T型(2082cc 570ps/7,600rpm、55kgm/6,400rpm)を搭載する。この車両は当初シルビアの兄弟車ガゼールのカウルを装着していた。この個体は近年レストアを受け、現在は座間事業所内にある日産座間記念車庫に保管されている。
モンスター田嶋が全日本ダートトライアルにFJ20Eを搭載した車両で参戦していた。
主な戦歴
1982年5月 - 「富士GCシリーズ第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞
1982年5月 - 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞
1982年10月 - 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)
1982年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞
1983年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝
1983年 - 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得
Wikipedia参照
910流行ったよな。赤いハードトップ、
俺的にはシルバーのセダンがお気に入り。
憧れて結局買えなかった一台である。