かおりんふぁんこてくんのひまつぶし自分史

かおりん(南かおりさん・関西のMCタレント)ふぁんのこてくんの独り言が書いて あります。将棋「も」大好きです。

軍師官兵衛・最終回・乱世ここに終わる(その3)

2014-12-22 19:28:34 | テレビ・映画
如水は・・・・死期を覚ります。


「後、ふたつきといったところだ・・・・」


というわけで、長政に


4年前の真相を語ります。









「あの時、お前はわしを超えた。嬉しかったぞ!!」


と。


そして、如水にとっての善助があるように、


お前にもそのような者がおるだろう・・・・・

と言うのでした。


(いや、4年前に褒めるべきだろう。
自分自身の野望が潰(つい)えたとしても・笑)



そして、兜・贈呈式です。





善助にはあの兜が贈られるのでありました。


こうして、やることすべてやりつくした如水さんは
1604年に伏見の屋敷でお亡くなりになりました。


・・・・・。えっ?後15分くらいあるのですが・・・・・


・・・・恐れていた事が起こりました。


なんとなんと、「大坂の陣」も少しドラマで
語られることとなったのです。


如水にとっての善助がいたように、
長政にとっては後藤又兵衛がいた・・・・はずでした。

ところが又兵衛は、14年後、大坂城の牢人衆の1人に
なっていました。









「道明寺の戦い」も描かれることと
なったのでした・・・・・。


この辺は再来年の大河ドラマ「真田丸」の予習として
見ていただければ幸いだと思いますが・・・・






現在、大阪城天守閣で所蔵されている、自らも大坂の役に参戦した
福岡藩主黒田長政が当時一流の
絵師を集めて描かせた大作の屏風絵「大坂夏の陣図屏風」
通称、「黒田屏風」・・・・
(以下略・ウィキより)


長政さんは一応参戦しているようなのですが、


大坂冬の陣では、江戸留守居役で
大坂夏の陣では、居るところが不明・・・・


なので、実際に又兵衛さんと戦ったのかどうかも
不明なのですが・・・・・



長政と又兵衛は結局不仲になってしまい、


長政さんは又兵衛さんが他の大名家の家臣に
なることを


ことごとく妨害した(笑)


ので、又兵衛さんが亡くなった時に、


ドラマの中で悲しんだような事が
実際にあったかどうかは・・・・・・。

(妨害してなかったら、どこかの
大名家に取り立てられていたことは
確実でして・・・・

大坂夏の陣で戦死することはなかったので・・・・・)

最後まで突っ込ませてくれる、
ある意味「伝説に残る大河ドラマ」
となってしまいました。(苦笑)


それにしても秀頼さん・・・・





最後まで「空気」でした。



そして、淀さん・・・・






☆小谷城(浅井長政)
☆北ノ庄城(柴田勝家)
☆大坂城(豊臣秀頼)



と、落城3冠を達成!!



最後までひどい目にあうのでした・・・・とほほっ。








家康 「如水、お主と約束したいくさ無き世が始まるぞ」


まあ、最後の15分はいらねえよなぁ~~~~

と思いながら見ていた、大河ドラマ「軍師官兵衛」でしたが、









それでも、久々な「戦国大河ドラマ」だったので、
(しかも地元だったので)


とても嬉しい1年間でした。


本当にありがとうございました。
そして、お疲れさまでした・・・・・。


完。





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