明治政府は明治7年に租税制度の改革に着手しましたが、そのときの様子を「会津大津絵」の歌詞としてまとめたものです。大津絵節は関西の遊郭で流行し、江戸を経て会津に入ったのは幕末の頃だったと思われます。今では「会津大津絵」といえば白虎隊の歌詞でばかり唄っていますが、明治初期には三味線伴奏で「地名尽し」や「きのこ尽し」、「なし尽し」など洒落た文句で唄っていたようです。この史料はここ30年撮りためた写真の中にあったもので、今となっては何から撮ったものか残念ながら判りません。筆者所蔵室井平蔵筆「なし尽し大津絵節」の筆跡と酷似していますので、金井沢出身で当時金井沢地区の地租改正事務に従事していた室井平蔵と考えられます。地租改正は前後7年に亘り実地されますが、この歌詞の内容から、実際に着手した明治7年頃のものと考えられます。歌詞の最初に「文明開化のありがたさ」などと書いていますが、税率の高さから反対運動が起きて実際は紆余曲折をたどりました。
「大津絵ふし」写真
釈 文
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