以前間違いがあると書き込みしました。
完全なチョンボは一か所と思いますが、ほかにも疑問がいっぱいありました。
間違いは
P17 「高知の山中、久万町畑野川の・・・」
これは、蘭丸さんも指摘してます。
疑問点は以下のとおりです。
・P17 岩本寺から金剛福寺までは、94kmもの距離がある。
・P59 第37番岩本寺から90余km、徒歩3泊4日はかかる、
・P17 全長1400km
・P95 その全長は1400キロメートルを超え、
・P56 「独鈷山」の読み方
本誌ーとっこうざん
霊場会HP-どっこざん
協力会解説編ーどっこざん
五来 重ーとっこさん
真魚の里ーとっこうざん
・P56 「陸路でも、湾の北側を通る道と、南側の横浪半島を越える道があるが、いずれも難路であるとして、近世から「船おゆるしのよし申伝ふ」『道指南』とされてきた。」
とあるが、『道指南』の頃に横浪半島を横断する道があったのか?浦ノ内湾はもちろん南側の太平洋側も集落を結んでいたのは「船」ではなかったのか!
・P58 「百々山」の読み方
本誌ーどどざん(霊場会、善楽寺HP、五来、真魚の里も同じ)
どとおさんー解説編
・P74 三角寺の標高
本誌ー430m
協力会地図ー500m(or480m?)
国土地理院地図ー385m(推定)
マピオン地図ー354m(推定)
・P82 「・・・そこから巡拝をはじめ、1番へ帰るのである。そうすることで、自分の足跡がつながり、閉じる。これを『お遍路曼荼羅』といったりする。」
1番に帰ることを「お遍路曼荼羅」って初めて聞いた気がするのは私だけかな?
長々書き込みましたがまだ他にもあるかもわかりませんし、私の勘違いもあるかもしれません^^
賢明なる諸兄のご指摘、ご教授いただけましたら幸いです。
一個人の本の中では歩きとして書かれてあると思います。
ですから、歩いたことの無い人が、資料だけを見て書いているのでは、と思いますね^^
私の場合、一巡目は単純に88カ寺だけを回って千百数十キロ、二巡目は逆打ちで別格20か寺その他も少し参拝して1400kmでした。
ワタシのやばい、もとい、場合は1巡めに使ったた本と、
2巡めい使った本とでは、ところどころ距離が違っていました。
番外、寄り道、間違えて戻った、等々で1400Kmはゆうに越えてます。
P56の山号ですが、先達さんがいただいている『先達教典』には『とっこうざん』とあるので、真魚の里さんもそう読まれているのでしょうが、霊場会のHPと相違があるのは知りませんでしたし、どっちが本当なんでしょうね?
P58の百々山も先達教典では『どどざん』となっています。
距離に関しては、歩き道と車道経由での違いもあるでしょうし、人によってかかる日数の違いもあるでしょうがね~
いやあ、参りました
脱帽です
一言一句、くまなく読み進まないと、絶対にわからないことです。
新米のかめ大変勉強になりました。
2日遅れのハッピーバレンタインです。