goo

お天気 快晴 気温 5℃

(3/14書き込みです。これまで停電でアップ出来ませんでした)

大津波当日、11日取材データです
この日の夕方、大地震が発生しました。我が家では被害こそなかれ停電になり、かなりの大きな地震でした。事務局では地震あと自宅無事を確認してから急いで諏訪神社下湾に取材に出かけました。途中、久慈港にある工場従業員が白衣のまま、高台へ徒歩で避難するおばちゃんらとすれ違いました。津波第一波が終えたあと自宅に帰り、サイトに取材画像アップしようと思ったら、よく考えたら停電でPC使用出来ないじゃないですか。このあと13日まで停電が続きました。東北地方太平洋沖大津波と命名されました。

11日、午前中の久慈市内通常取材の様子です

事務局では春用ファッションに衣替えしました
今日は春めいた様な??気温になっていますが、寒くないと言ってもヤセ我慢ですけどね。モモヒキはまだ離せません(^_^;)
アンバーホール裏手堤防河川敷には毎年ネコヤナギを見ることができます。今年は伐採されたのか例年より少ない様な感じがします。それでも美しい真綿が青空に栄えていました
土風館には盛岡のごきげんTV取材車が見えていました。レストラン取材だそうです
最近長内地区の毎年取材している梅蕾を気にしていますが、まだ数日前と蕾(つぼみ)変わりありません。まだ寒いんでしょう
最後の画像は、その近くの知り合い宅畑の福寿草です。他なにか春花咲いているかと見ても福寿草以外咲いていません。おばちゃん宅の玄関から「春ですよ~、福寿草が待っていますよ~」声かけたら、部屋から顔を出し「まぁださむがべーやー」確かに寒いです。

B01 B02 B03 B04 B05 Img_0001_41

上記の画像は2011年3月11日、歴史に残る悲惨な状況になるとは夢にも思えなかったでしょう、のどかな午前中の取材の様子でした。

下の取材画像は、津波当日の久慈市内玉の脇からの画像です

事務局の自宅大地震14時46分時刻、ブラウン管大型TVが台から落ちないように手で押さえながら「地震が早く収まってくれ~」と祈りなが押さえていました。長い地震でしたね。また大型窓ガラスが無事であってくれと、ガラスを確認するのは怖かったです。なんとか事務局では壊れるような被害はありませんでした。数年前の大地震は縦揺れでしたが、今回が横揺れだったのの違いでしょう。

大きな揺れと津波警報が出たので「これは絶対津波が来る!」と確信して直ぐ諏訪神社下に取材に向かいました。諏訪神社階段前広場に車を止めました。もう消防団の皆さんが警戒しています。事務局は諏訪下に車を止め階段上り諏訪神社展望台向かいました。展望台着いたらもう沢山の人たちがおりました。NHK取材班の三河さんと会い「車を何処へ置いてきたの?」聞かれ、下に置いてきたと話したら「一応、あそこはどかした方がいいじゃない?危ないよ」言われたので、たった今階段登り疲れていたのですが「じゃここへ持ってくるか」と再度下に降りて行き、車で境内に上ってきました・・・・その瞬間「お~、来たぞ~」の声になり事務局でも急いで取材です。初めて見る津波に興奮しての取材です。第一波が収まったので、先ほどまで車を置いた階段下道路を取材したいと思い降りていったら先ほどまで車を止めた場所が、津波が打ち上げたらしく、車が市場向こうの方に数台プカプカ浮いているじゃないですか。先ほど車を移動させなければ事務局のポンコツ車流されるところでした。危なかった~、駅前の三河さんに言われなければそのままにして置くところでした(^_^;)、いくらポンコツ車でも流されれば泣くところでした。焦りました・・・・

諏訪展望台から終えたあと、元水産高校校舎裏からの玉の脇漁港の様子です。この時点では「野田の旭町は病院だけ残ってあとは全て流されたみたいだよ」話題になっていました。野田村の旭町は事務局の故郷です。親戚、知り合い宅がたくさんあります。市内久慈川沿いなどを取材あと、薄暗くなったのですが野田村取材に向かいました。野田村ではすっかり暗くなっていました。なので全体の様子はわかりませんでした、まさか数日あとの取材で事務局の故郷、旭町住宅街が姿を消しているとは考えてもみませんでした。

B01 B02 B03 B04 B05 B06 B01_3 B02_3 B03_3 B04_3 B05_3 B06_3 B07_3 B08_3 B09_3 B10_3 B11_3 B12_3 B13_3 B14_3 B15_3 B16_4 B17_3 B18_3 B19_3 B20_3 B21_3 B22_3 B23_3 B24_3

以下は、久慈湾大津波取材終え、暗くなった中を野田村へ駆けつけ北区、門前小路地区の被災ヶ所の様子です。車で北区へ入ろうと思ったのですがガレキで前に進めません。野田駅に車を止め徒歩で商店街に入りました。全て停電なので真っ暗です。懐中電灯で歩くのですが辺りの様子がよくわかりません。北区の宇部川堤防では「おーいおーい」と、誰かを捜す叫び声がしています。愛宕山にうっすらと灯りが見えます。事務局では愛宕山に登ろうと思い丸山酒店さん前の橋を進み、ところがマミーさん前の道路に津波で流されてきたらしい大きな建物があって進めません。郵便局裏手の路地をウロウロしても暗闇とガレキの山で愛宕山下にたどり着けません。そしたら知り合いの方と出会い、車で工業高校への山越えで門前小路へ出て、お寺から行った方は良いというので車で向かいました。愛宕山神社境内には、知り合いの方々が暗い街を眺めていました。境内にはあまり人は居なかったです。夕方には皆さん避難所に入っていたようです。境内で役場そばの北田さんご夫婦と出会い、暗闇の木々の間から我が家方面を月明かりで見つめ「あ~あそこの家が見えない、うちは残っているような??」話しています。津波の時に避難して明るい時間には我が家の様子を見ることは出来なかったんでしょう。(後になり本人と出会い自宅の様子を取材させて頂きました。もちろん一階はめちゃめちゃだったそうです。事務局では当日愛宕山で出会ったのを忘れていました。言われて「あ~そうだった」と思いだしました)

B01 B02 B03 B04_2 B05 B06 B07 B08 B09 B10 B11 B12 B13 B14 B15 B16 B17 B18 B19 B20 B21 B22_2 B23_2 B24_2 B002_2

(大津波当日の取材画像は、あとで編集しました。この時点では停電になっていました)

東日本大震災 記録と記憶 2011 iwate(きてきて久慈市) (音が出ます、気をつけてください)
コメント ( 0 ) | Trackback ( )