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お天気 晴れ 気温 8℃

予報ではあまりいい天気ではないはずなのですが、寒くはない青空の見える天気になりました
お天気さえ良ければ被災者の方々もいくらかは暖かい気持ちにはなれるでしょう

国道沿いのガレキ置き場も日増しに山積みが広がって見えています。これまでは個人宅から出されたタタミとか電化製品などは北区の駐在所脇の広場に置かれていたのですが、事務局もボランティアで
今日も役場前には県内外からのボランティアの皆さんの大型バスが続々と駐車場に入ってきます
物資を積んだトラックも役場保管場所に横付けされています、やっと救援、人も物も動きが出てきているようです
事務局では、ほとんど毎日破壊された街並みを取材していますが、なんとか通り面は車などがスムーズに通れるようになりましたが、一歩奥側を見てみれば破壊された個々の宅のガレキが山積みになっています。これからもボランティアの力が必要とされています。もっともっと皆さんの力を野田村にお貸しください。

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事務局では最初のころ取材でガレキ内を歩くと、写真やらフイルムネガなどが散乱している、家族集合で写っている画を見て心が痛みました。ガレキの撤去も大事だがこの様な家族単位の持ち物を当人に届けてあげるのも大事だな思っていました。今日は役場前で流失された住宅街から集めた、被災者にとって命から二番目に大切であったろう写真等の数々をなんとか本人に返してあげたいとの思いのボランティアの若者が作業していました。女性スタッフは泥で汚れた写真を一枚一枚汚れを落として乾かしています。男性スタッフの彼の自宅も銀行近くだそうですが、自宅も破壊されたそうです。自分らはこの様な形で応援したいとの思いからの行動なんでしょう、頭が下がりますね。役場前にテーブル備えアルバムなど表していますからどうぞ心当たりの方は出かけてみてください。あきらめていたでしょう想い出の写真らがもし見つかったら嬉しさが目に浮かぶようです。

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村のメインストリートもだいぶ片付けが進んでいます。あらためて目を覆いたくなるような悲惨な光景が目に入ります。まがと橋前で男性の方がガレキの中から使える物をより分ける姿がありました。この付近が事務局の子供のころ遊んだ場所で、男性に声掛けたら、事務局の若い頃出稼ぎ時飯場で一緒に寝起きした彼ではないですか。もちろんこの自宅も知っていましたが、その後彼とは数十年会った事はありませんでした。気の毒で慰めの言葉もありません。津波の話を教えてくれましたが、地震のときは家にいたそうです。あまりの揺れの大きさで一時表に出たそうです。TVでは高い津波の注意を呼びかけていたので、これはマズイと思い、家族皆に避難を呼びかけ車二台で工業高校へ避難したそうです。避難場所に家族を置き、自分は家が心配で、もう一度車でこの場所自宅へ一人で帰ってきたそうです。自宅へ着いて車を降りようとしたら、目の前の川で国道水門方向から川の水が溢れながら近寄ってきたそうです。これはマズイと思い急いで車に乗り山門方向へ走ったそうです。途中元銭湯前付近にはまだ人が避難のために歩いていたそうです。車はスムーズに走れたそうですが、門前小路の方では少し車の渋滞があったそうですが何とか無事走れたそうです。「カネヨの辺りでは、まーだ歩いている人がいたんだよ~、あの人達は無事逃げたんだか・・」と、案じていました。もし戻ったとき家の中にいて、水が溢れて来るのに気づかなかったら命が無かったろうと話していました。彼が二回目の避難したその時点ではまだ国道越える津波は見えていなかったそうですが川水が溢れ上がって押し寄せて来るが見えたそうです。自分と家族車は無事だったそうです。ものすごい体験談でしょう。「住むとこは無くなったがなんとかなんべ~」話しています。「自分はまたこの場所に住む!」話していました。そうです、あなたはまがと橋前に住む事務局の知り合いなのです。最後の画像はお休み処(元銭湯)の場所で、野田祭りの桃燈が寂しそうに残っていました。

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久慈からのボランティアの皆さん見えていました。ガレキなどの片付けです。拾っても拾ってもガレキが中から中から出てき終わりのない作業です。感謝します。

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米軍三沢基地から救援活動のための80人の隊員が作業していました。三沢市周辺でも今回の大津波で被害受けた地域があり、これまでは基地近場の救援活動してきたそうですが今日、初めて遠い地区の野田村救援活動に入ったそうです。彼女は通訳の女性で、左彼は今回の活動の隊長だそうです。最初、彼女を見て、一生懸命にガレキをかき分けて見えたので、この旭町の方かと思い「あなたの自宅ですか?」尋ねたら通訳の女性でした。嬉しいですね、国籍を問わず私たちの野田村で救援活動してくれることは感謝でいっぱいです。

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