江戸日本橋 えどにほんばし コレクション アート工房 雲のゆくえ
五街道の起点である日本橋は、江戸の経済の中心であり、両岸には整然と並ぶ蔵屋敷があった。北の橋詰にある魚河岸には、多くの船が荷を運び、橋はいつも賑やかだった。この市場は、徳川家康公が入府された時、摂津の漁民が30人ほど一緒に移り住むようになり、彼らが白魚漁の権利を得るようになったことが始まりといわれている。 中央には、橋の擬宝珠(ぎぼし)が黒く大きく描かれている。擬宝珠は橋の格を表しており、擬宝珠があると、幕府が管轄する公儀橋であることの証となる。江戸城下では日本橋と京橋、新橋にのみ許されていたが、日本橋の擬宝珠は、明暦の大火(1657年)に焼失。1658年(万治元年)再建された。
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