御無沙汰してます。
なんと、1ヶ月半以上も更新してませんでした。
娘の結婚式が10/5に無事に終わり、ブログの更新も写真のUPもする間もなく、10/9に母が他界しました。
80歳でした。
昨日、四十九日の法要を滞りなく終える事が出来、一区切りが付きました。
喪に服してたというよりも、気持ち的にも落ち着かなくて、更新する気になりませんでした。
母は、2010.1.16に心筋梗塞を患い、カテーテル治療をしました。
その後元気になってたのですが、同年9月6日に小脳出血で救急搬送されました。
高齢ということもあり、手術はリスクが高いので、点滴だけで様子を見てたのですが脳圧が下がらなくて、結局手術をすることに。。
心筋梗塞の後、血液をサラサラにするワーファリンという薬を飲んでたので、脳出血を止める為にその薬を止めたのですが、そのせいで今度は入院中に2度の脳梗塞。
2度目の脳梗塞の範囲が広く、意識を掌るところが梗塞でダメージを受け、その後全く意識が無くなりました。
脳出血の手術の後は順調に回復し、意識も戻って会話もできるようになり、食事もゼリー状の物を食べられるまでになってたのに・・・
でも、ワーファリンを止めなくては出血は止められなかったし、手術も出来なかったし、、、
どっちに転んでも、って感じだったのです。
意識不明になってからは2度危篤に陥りました。
血圧も上が48とかに下がり、医師からは延命するかどうか家族会議で決めるように言われました。
父と妹と3人で話しあい、延命措置はしないという結論に至りました。
でも母の生命力は素晴らしく、きっと生きたいという気持ちも強かったのでしょうか、3年間意識が戻る事はありませんでしたが、娘の結婚式が終わるまで頑張ってくれました。
結婚式の3日後のお昼に容体が急変し、危篤に陥りました。
心室細動が起こり、身体の酸素量が不足してる状態。
会社を早退し、病院に駆けつけ、近しい親戚にも来て貰いました。
でも、いつかわからないし、夜は取りあえず父と娘たちを帰らせました。
妹と二人で一晩母の傍に付き添いました。
心室細動というのは心臓がビリビリ痙攣してる状態で、そのせいで心拍も300くらいに。。。
酸素量も70%とか。
血圧も70台。
それが朝方心拍が120くらいまで下がりました。
素人の私達は快方に向かってるのかと思ったのですが、違ってました。
心臓が、少しずつ動きを止めていったのです。
その時の看護師さんが「まだ5時になってないし、心拍が80くらいに下がってから家族を呼んだらよい」と言ったのですが、そこからは急速に下がりだし、私達は「あかん、間に合わない」と判断し、皆を呼びました。
3年間毎日仕事の様に母の病室に通ってた父だけは最期を看取らせてあげたかった。
だけど、4時50分頃にその動きはフェイドアウトするように静かに止まりました。
看護師さんが「お父さん来るまで待ってよ」と言いながら一生懸命心臓マッサージをしてくれました。
私達も「待って、まだじーちゃん来てないから」と言いながら母の身体を叩いたり擦ったりして呼び掛けました。
父が到着したのが丁度5時。
そこでドクターが死亡確認をしました。
本当に安らかな最期でした。
人ってこんな風に亡くなるんだって初めて見た気がします。
そして、母はあんな状態になっても3年間安定していて、母が死ぬなんて考えて無かったけど、こんな日が来たんだって思いました。
娘の結婚式の4日後、このタイミングで亡くなるなんて、きっと待っててくれてたのですね。
通夜告別式には沢山の方に会葬して頂き、本当にありがたかったです。
孫3人の弔辞も涙が止まりませんでした。
3人とも母にはとっても関わって貰ってて、それぞれの感謝の言葉で送りました。
本当に温かく送り出せたと思います。
いつまでも皆の心の中に生きているよね。
お母さん、ありがとう。
そして、お疲れさまでした。
お父さんのことは妹と二人で見るから心配しないでください。
これからは家族みんなで力を合わせて、前を向いて生きて行きたいと思います。
またブログの更新もボチボチして行きたいと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
なんと、1ヶ月半以上も更新してませんでした。
娘の結婚式が10/5に無事に終わり、ブログの更新も写真のUPもする間もなく、10/9に母が他界しました。
80歳でした。
昨日、四十九日の法要を滞りなく終える事が出来、一区切りが付きました。
喪に服してたというよりも、気持ち的にも落ち着かなくて、更新する気になりませんでした。
母は、2010.1.16に心筋梗塞を患い、カテーテル治療をしました。
その後元気になってたのですが、同年9月6日に小脳出血で救急搬送されました。
高齢ということもあり、手術はリスクが高いので、点滴だけで様子を見てたのですが脳圧が下がらなくて、結局手術をすることに。。
心筋梗塞の後、血液をサラサラにするワーファリンという薬を飲んでたので、脳出血を止める為にその薬を止めたのですが、そのせいで今度は入院中に2度の脳梗塞。
2度目の脳梗塞の範囲が広く、意識を掌るところが梗塞でダメージを受け、その後全く意識が無くなりました。
脳出血の手術の後は順調に回復し、意識も戻って会話もできるようになり、食事もゼリー状の物を食べられるまでになってたのに・・・
でも、ワーファリンを止めなくては出血は止められなかったし、手術も出来なかったし、、、
どっちに転んでも、って感じだったのです。
意識不明になってからは2度危篤に陥りました。
血圧も上が48とかに下がり、医師からは延命するかどうか家族会議で決めるように言われました。
父と妹と3人で話しあい、延命措置はしないという結論に至りました。
でも母の生命力は素晴らしく、きっと生きたいという気持ちも強かったのでしょうか、3年間意識が戻る事はありませんでしたが、娘の結婚式が終わるまで頑張ってくれました。
結婚式の3日後のお昼に容体が急変し、危篤に陥りました。
心室細動が起こり、身体の酸素量が不足してる状態。
会社を早退し、病院に駆けつけ、近しい親戚にも来て貰いました。
でも、いつかわからないし、夜は取りあえず父と娘たちを帰らせました。
妹と二人で一晩母の傍に付き添いました。
心室細動というのは心臓がビリビリ痙攣してる状態で、そのせいで心拍も300くらいに。。。
酸素量も70%とか。
血圧も70台。
それが朝方心拍が120くらいまで下がりました。
素人の私達は快方に向かってるのかと思ったのですが、違ってました。
心臓が、少しずつ動きを止めていったのです。
その時の看護師さんが「まだ5時になってないし、心拍が80くらいに下がってから家族を呼んだらよい」と言ったのですが、そこからは急速に下がりだし、私達は「あかん、間に合わない」と判断し、皆を呼びました。
3年間毎日仕事の様に母の病室に通ってた父だけは最期を看取らせてあげたかった。
だけど、4時50分頃にその動きはフェイドアウトするように静かに止まりました。
看護師さんが「お父さん来るまで待ってよ」と言いながら一生懸命心臓マッサージをしてくれました。
私達も「待って、まだじーちゃん来てないから」と言いながら母の身体を叩いたり擦ったりして呼び掛けました。
父が到着したのが丁度5時。
そこでドクターが死亡確認をしました。
本当に安らかな最期でした。
人ってこんな風に亡くなるんだって初めて見た気がします。
そして、母はあんな状態になっても3年間安定していて、母が死ぬなんて考えて無かったけど、こんな日が来たんだって思いました。
娘の結婚式の4日後、このタイミングで亡くなるなんて、きっと待っててくれてたのですね。
通夜告別式には沢山の方に会葬して頂き、本当にありがたかったです。
孫3人の弔辞も涙が止まりませんでした。
3人とも母にはとっても関わって貰ってて、それぞれの感謝の言葉で送りました。
本当に温かく送り出せたと思います。
いつまでも皆の心の中に生きているよね。
お母さん、ありがとう。
そして、お疲れさまでした。
お父さんのことは妹と二人で見るから心配しないでください。
これからは家族みんなで力を合わせて、前を向いて生きて行きたいと思います。
またブログの更新もボチボチして行きたいと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
私も最期を看取ったのは、一度しかないけど、静かで安らかでした。
見守られて逝く事が出来るお母さんは、最期まで幸せでしたね。
私が親と離れて暮らして、ひとつだけ気になるのは、看取れることが出来るのか?って事。
有難う、って言って看取りたいな
母を亡くすという事がこんなにも精神的にダメージを受けるとは思って無かったよ。
過激な母だったけど、それだけ情の深い人だったと思う。
お母さんと離れてるのはこれからどんどん心配になってくるね。
でも母親にとって娘が幸せなことが一番の幸せだと思うからもし間に合わなかったとしてもきっと分かってくれると思うよ。
お母さんも家族のみんなも長い間お疲れ様でした。
お父さん大丈夫ですか?
お母さんはこれから天国からずっと見守ってくれるでしょう。
うちはまだ親も若くて二人とも何らか病気してるけど元気やし、親孝行せなあかんなーと思います。
最近は毎朝のラジオ体操も復活して参加してるし、昼間もあっちこっち行ってるみたい。
ちょっと物忘れは酷いけどけどね。
12月になったらランチでも飲み会でも行こうね~
近すぎると腹が立つ事も多いけどね。
居なくなると淋しいもんだよ。
お疲れ様でした。
私も母とは散々いろいろありますが、
本当にいなくなってしまうという事が
想像できません。
ついつい生きているのが当たり前って思う。
でも、そうではないんですよね。
必ず誰でもいつかは別れが来る。
そう思うと、自分を含め、毎日大切に生きなきゃ
とは思うんですけどね・・・。
お母様のご冥福をお祈りします。
特に母親っていつまでも居る気がして、なかなか居なくなった事が受け入れられなかったです。
親孝行もあんまり出来なかったなぁ~
本当の親子だからこそ、ぶつかりあったりもするんだと思うのね。
うちの母は感情の起伏が激しかったから、よく怒られたし、なんでそんな事で怒るの?っていつも思ってたけど、その分場の深い人だったな。
みわちゃんも親孝行してね。
変換間違った。
情でした・・・