いちごんほうおん

半生語ってるような気がする…

夜中に起きてしまい、眠れなくなってしまったのでなんか語るか。

まずは調理師の専門学校の時のことでも語ってみますか…。
(※10何年前とかの話なんで、現代とのズレもあるかもなんで、そこはご了承を。)

調理師の専門学校ってその場で資格が貰える…わけではなく、学校を卒業すると資格取得に必要な証明書が貰えて、それを自分の住んでいる地域の管轄の保健所にて申請して初めて調理師免許が貰えるのです。
私は保健所に辿り着くのに大迷子になってしまったっけなあ…(白目)

ちなみに専門学校の場合だと最短1年で卒業出来ます。2年コースの人は最初の1年目で全員が調理師免許を取得、2年目は各コースの調理技術をあげていきます。あとは1年半の夜間コースもありました。

あとは別の学校ですが、高校に調理師科というのがあって3年間で普通の授業と一緒に調理師についても学んでいく…というタイプのところもあります。私が以前テレビで見た学校では調理師科の子たちが早朝から学校併設の飲食店を運営して実践練習を兼ねて調理、接客、販売などをしているところを特集してたな〜。

えー…話それました。
私の場合は1年制に通い、選択授業で製菓をやっていました。この時の選択製菓では試食や試飲を色々やりましたね!
産地別のコーヒーの試飲、産地別のカカオを使ったチョコの試食、お茶について、チーズについてなど様々。

調理師の授業には座学と調理実習があります。座学では栄養学とか公衆衛生学などを学びます。(※公衆衛生学は管理栄養士・美容師・医師などの国家資格を目指す人達にとっても必須科目だったりします。)
調理実習では日本(和食)、西洋(洋食)、中華、製菓の4つを学びました。
調理実習はどのジャンルも2コマ使って説明、調理、実食、片付けをします。
時には外部の先生が来てくれて特別授業もあったっけな〜!

試験は前期後期の2回行われ、座学は筆記試験、調理実習は筆記+実技でした。
ちなみに私は前期はギリギリ合格でしたが、後期は筆記と実技を追試しました…。(※追試料がかかったので親にしこたま怒られました…😭)

筆記は調理ならではの問題があり、例えば栄養学だと三大栄養素は何?とかそういう感じです。(※答えは炭水化物・脂質・タンパク質)
問題は"実技"なんですよオォォォ…!!!
これは"センス"なんかも非常に重要になってくるところでして……。
私は飲み込みが悪すぎる、そしてセンスが無かったので大苦戦したんですよねえ……。(虚な目、そして視線を逸らす)

日本料理は大根の桂剥き・鯵の三枚おろし、中華料理は蟹玉・きゅうりの細切り、西洋料理はオムレツ、製菓はクリームの絞り方……だったような???

大苦戦したのは鯵の三枚おろし…!!
追試を3回(本番出すと計4回)も試験をやることになり、その度に追試料と補習時に使う鯵の材料費を払うことになり、これまたしこたま怒られましたな……😱(虚無顔)
今も鮮魚コーナーで鯵を見かけると試験を思い出してしまう…!(ま、鯵自体は美味しいから食べるけどね。)

その他授業はテーブルマナーを習うためにホテルでフルコースを食べる授業があったっけな〜! 魚料理の骨取りに大苦戦したっけ!

あとは希望者は放課後に食育インストラクターの授業(※別途料金)を受けられたので、頑張ってちゃんと取りました。えっへん。
そして実は遅延以外では1年間皆勤でした。えっへん。

卒業後も何回かは文化祭的な催し物を見るために学校に行ったっけな〜。

たまにテレビに学校や当時の先生たちが出演する時があるので懐かしさで笑ってしまいます😂😂😂

以上! 調理師の専門学校の話でした。

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※ここからは私の辛かった記憶を書き出しているので、人によっては精神的なダメージを食らう可能性がありますので予めご了承ください。


さて…次は私の障害になってしまった理由と今日までの流れをざっくり…ざっくり?



自分はASD(自閉スペクトラム症)を中心に色々と精神障害が混じっておりまして…。

本当にこの2ヶ月くらいでやっと"普通に近い状態"になった気がします。冗談抜きで。


幼少期そして学生時代から…

・飲み込みが悪い

・好き嫌いが激しい

・感情の起伏があり過ぎる

・コミュニティー能力が薄い

・運動能力が乏しい

・学習能力が怪しい…など


まあ色々ありました。学生を卒業するまでは"個性"とか"個人差"だと思ってました。


でも違いました。

社会に出てから大変でした。


コミュ力が無さ過ぎて報連相が出来なくて怒られました。ひどい時にはいじめられたり、心無い事を言われました。


自分では伝えたり仕事もこなしてるつもりでしたが、どうも出来てなかったり、不十分なところが多かったようです…。


それでもメモを取るようにしたり、反復練習を行うことで業務はなんとかこなせていました。でもコミュ力はあげられず、職場が変わってもいじめられるとか、完全無視とか、そういうのはいくつか続いて、次第に心が病んでいきました…。


そしてとうとうある日、精神的疲労が限界を迎えてしまい、心が壊れてしまいました…。

その時は一人暮らしをしていた頃でした。

休みの日はカーテンを閉め切り1日中部屋を真っ暗にして、水しか飲まず、何もしないでケタケタ笑ってめそめそ泣いてをひたすら繰り返してました……。


流石に心が壊れていく感じに危機感を持ったので、妹が探してくれた心療内科へ行って治療を開始することに。


結果まず"うつ病"に該当していました。そしてそこで初めて「貴方はもしかしたら"発達障害"なのかもしれません。」と言われました。

心療内科受診前の電話で先生に半生を語ったら、どうにも当てはまる事が多々あったようでして…。


そしてうつ症状が治まってから、2日間に分けた検査を行い…ASD(自閉スペクトラム症)であった事が確定するのでした…!


まあ…失望はしなかったな。むしろ納得。

確定したことでやる事が決まった感じでした。


この時悲しいことに、自分は短期能力が薄い(※聞いた事をすぐ忘れる)、視覚情報が弱い(※検品作業に向いていない)、軽度の学習障害がある(※数学が壊滅的に苦手、授業についていけなかった)も発覚…!!

こんなステータスで、よく商業高校と専門学校卒業出来たよな…。(白目)


そして個性だと思っていた感情の起伏が激しいとか、コミュ力が無さ過ぎるのはおそらくASDによるものだと判明し、これまた大納得でした……。


そんなわけで、ここからは先は障害者雇用を目指して行った方がいいと思い、手帳を取得して就労を目指すことになるのですが…

この3年前〜現在がまあ…大変でした。


最初に行った就労移行では私に対して職員が説明不足な部分が多かったり、守秘義務を忘れて他の利用者に私の過去を話したりなどのぞんざいな扱いを受けることになり、合わずに辞めることにしました。

利用者も攻撃的な人が居て、事ある毎に突っかかるとか、心無い事を言うとかあってそれも重なった結果ですね…。


次に市のサービスを受けて、障害者雇用をしてくれる職に就きましたが…

本人を交えるはずの定着支援を本人無視で行うようになり、しまいには勝手に嫌だといったサービスを受けさせようとしてきたので辞めることになりました……。

この他にも複数の企業が入った施設だったので、別企業の利用者にちょっかいを出されたりして辛かったですね……。


ここで心が再び壊れました……。

この時はあらゆる人に対して攻撃的になってしまい、ご迷惑をかけてしまったことに対して罪悪感が蓄積してどんどん塞ぎ込みました。悲しくてつらくて寝込みまくってました。


しかし、このまま沈んでいても良くないとなんとか思い直しまして、重い体を引き摺りながら就労移行を探して、今現在通っている施設に辿り着きました。


そして1年をかけてじっくりと体を慣らして、感情の起伏をコントロールする術を学び、コミュ力を少しずつ蓄えて、ようやく就労というゴールが見え始めた……と言ったところでしょうか。


まだまだ課題はありますが、やっと壊れた心が修復され始めて、人間らしい感じになったように思います。


はあ……。

とりあえずモヤモヤもスッキリしたし、

そろそろ一旦寝ようかな…。


めちゃくちゃ長くなりました。

失礼しました。

全部読んでくれた方、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした…!!


とりあえず今は時々落ち込む日もありますが、大体は元気にやっているつもりです。

今後もよろしくお願いします。



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