記録的な豪雨による被害をもたらした九州北部。
安否不明者の捜索、住民の救出活動に
警察や消防、自衛隊、海上保安庁が一丸となって
全力を挙げているとの報道に、
一刻も早くと願っているのは日本人の共通の思いでもある。
特に「ぶらり旅人」にとっては、
まさに同日・同時刻をくぐり抜けたという旅工程、
振り返れば奇跡が起こったと表現してもあまりある幸運の旅に。
今回は悠久の時の流れを今に残す九州の島々への探訪。
なかでも玄界灘の荒波に洗われる壱岐と対馬は、
『魏志倭人伝』にも記されている
古代のロマン漂う島をゆったり、ぶらりと探索。
<ひつじ雲>

<九州佐賀国際空港>

<唐津城>

豊臣秀吉の家臣・寺沢広高が唐津に封じられ建てた城。
現在は、別名「舞鶴城」として唐津のシンボルとなり、
多くの市民に愛されてる。
<鏡山展望台>

奈良時代からさまざまな歌人が訪れ、
万葉の歌を残したと伝えられる標高284mの山。
山頂は虹の松原や、唐津市街を見渡せるビュースポット。
青い海と空、緑の松との美しいコントラストを望める。
<原ノ辻(はるのつじ)遺跡>

壱岐は九州本土の北岸、玄界灘に浮かぶ島で
古来から対馬とともに中国大陸、朝鮮半島との
対外交渉に重要な役割を果たしてきた。
大正時代に地元の研究者により発見され、
魏志倭人伝に記載されている国々で初めての遺跡とか。
平成12年(2000年)に弥生時代の遺跡として
登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)に次いで
国の特別史跡に指定。
<左京鼻>


一面芝生に覆われたなだらかな草原と、
玄界灘に面して続く約1kmもの切り立つ
海蝕崖のコントラストが見事。
この崖にひっそりと咲く花に自然界に舞うクロアゲハが…
<猿岩>

黒崎半島のさらに先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。
まるで猿が水平線の彼方を見つめているかのような
奇岩というより気紛れな自然の造形。高さは約50mあり、
壱岐誕生の神話を秘めて語りつなげている。
<黒崎砲台跡>

猿岩隣の小高い丘にある東洋一の砲台といわれる砲台跡。
対馬海峡を航行する艦船を攻撃する目的で設置されたとか。
普段は地下に潜り、海上からは見えない構造で、
一度だけ試射したそうですが、
北朝鮮のボクチンもこれらを戦争遺産とすべきでは…。
<はらほげ地蔵>
胸のところに供物をあげる丸い穴があるので、
はらほげ地蔵と呼ばれている。
満潮になると頭上まで海水にかくれ、
遭難した漁民の冥福のため、鯨の慰霊のため、
あるいは疫病退散祈願のためとも伝えられている。
<寺院と教会の見える風景>

丘の上に建つ、尖鋭な屋根と十字架が特徴の
「平戸ザビエル記念教会」と、
その手前に「光明寺」「瑞雲寺」が重なって見えるスポットだ。
外国との交流が深かった平戸ならではの、
日本と西洋文化が融合した風景となっている。

<九十九島遊覧船・パールクイーン>

九十九島は、佐世保港の外側から北へ25kmにわたり
島々が点在する海域のこと。島の密度は日本一。
その間を縫うようにパールクイーン号は進む。
元の島、鳥の巣島、横島、桂島等々。
九十九(くじゅうく)とは数がたくさんある
という意味で使われる例え言葉で、実際の島の数は208あるとか。
マストに乗り込んで探索!




<追記>
ぶらり旅の先駆者、放送タレントの草分け・
永六輔さんが亡くなって(2016.7.7)1年。追悼の意も込めて
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など作詞家として
数々のヒット曲や著書「大往生」を始め、
交遊録の数々がラジオで紹介された。
その中での本人の語り。「商人」について。
「商という文字、まわりは人の意味なんです。
頭があって、両手があって、両足がある。その中に口と書いてあります。
商人は声を出さないとダメなんです。市場だってそうでしょ。
「安いよ、安いよ、おばちゃん、奥さん」という掛け声。
声を出すのはタダ。活気のあるところにお客は必ずきます。
それと第一印象が大事。
デパートのなかで、一番最初に挨拶を変えたのが西武。
それまでは三越も松坂屋も伊勢丹も、開店の時にずらっと並んで
『いらっしゃいませ』と頭を下げていた。
でも『いらっしゃいませ』という言葉には返す言葉がない。
そこで、午前中は『おはようございます』午後は『こんにちは』と、
ちゃんと返事のできる挨拶を心掛けた。
そう変えただけで客足が増えたというんです。
大きい声、小さい声、静かな声、やかましい声、美しい声、可愛い声、
いろいろな声を出すべきです。
同時に反応する声が出やすい語り、キャッチボールができれば商売は繁盛。
楽しい人間関係も築け、豊かな人生になっていけるはずです。ハイ、と。
大要、以上のような六輔節でした。
当たり前の話、分かりきった話、
でもいい話だなと、改めて「大往生」の先達に合掌。
安否不明者の捜索、住民の救出活動に
警察や消防、自衛隊、海上保安庁が一丸となって
全力を挙げているとの報道に、
一刻も早くと願っているのは日本人の共通の思いでもある。
特に「ぶらり旅人」にとっては、
まさに同日・同時刻をくぐり抜けたという旅工程、
振り返れば奇跡が起こったと表現してもあまりある幸運の旅に。
今回は悠久の時の流れを今に残す九州の島々への探訪。
なかでも玄界灘の荒波に洗われる壱岐と対馬は、
『魏志倭人伝』にも記されている
古代のロマン漂う島をゆったり、ぶらりと探索。
<ひつじ雲>

<九州佐賀国際空港>

<唐津城>

豊臣秀吉の家臣・寺沢広高が唐津に封じられ建てた城。
現在は、別名「舞鶴城」として唐津のシンボルとなり、
多くの市民に愛されてる。
<鏡山展望台>

奈良時代からさまざまな歌人が訪れ、
万葉の歌を残したと伝えられる標高284mの山。
山頂は虹の松原や、唐津市街を見渡せるビュースポット。
青い海と空、緑の松との美しいコントラストを望める。
<原ノ辻(はるのつじ)遺跡>

壱岐は九州本土の北岸、玄界灘に浮かぶ島で
古来から対馬とともに中国大陸、朝鮮半島との
対外交渉に重要な役割を果たしてきた。
大正時代に地元の研究者により発見され、
魏志倭人伝に記載されている国々で初めての遺跡とか。
平成12年(2000年)に弥生時代の遺跡として
登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)に次いで
国の特別史跡に指定。
<左京鼻>


一面芝生に覆われたなだらかな草原と、
玄界灘に面して続く約1kmもの切り立つ
海蝕崖のコントラストが見事。
この崖にひっそりと咲く花に自然界に舞うクロアゲハが…
<猿岩>

黒崎半島のさらに先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。
まるで猿が水平線の彼方を見つめているかのような
奇岩というより気紛れな自然の造形。高さは約50mあり、
壱岐誕生の神話を秘めて語りつなげている。
<黒崎砲台跡>

猿岩隣の小高い丘にある東洋一の砲台といわれる砲台跡。
対馬海峡を航行する艦船を攻撃する目的で設置されたとか。
普段は地下に潜り、海上からは見えない構造で、
一度だけ試射したそうですが、
北朝鮮のボクチンもこれらを戦争遺産とすべきでは…。
<はらほげ地蔵>

胸のところに供物をあげる丸い穴があるので、
はらほげ地蔵と呼ばれている。
満潮になると頭上まで海水にかくれ、
遭難した漁民の冥福のため、鯨の慰霊のため、
あるいは疫病退散祈願のためとも伝えられている。
<寺院と教会の見える風景>

丘の上に建つ、尖鋭な屋根と十字架が特徴の
「平戸ザビエル記念教会」と、
その手前に「光明寺」「瑞雲寺」が重なって見えるスポットだ。
外国との交流が深かった平戸ならではの、
日本と西洋文化が融合した風景となっている。

<九十九島遊覧船・パールクイーン>

九十九島は、佐世保港の外側から北へ25kmにわたり
島々が点在する海域のこと。島の密度は日本一。
その間を縫うようにパールクイーン号は進む。
元の島、鳥の巣島、横島、桂島等々。
九十九(くじゅうく)とは数がたくさんある
という意味で使われる例え言葉で、実際の島の数は208あるとか。
マストに乗り込んで探索!




<追記>
ぶらり旅の先駆者、放送タレントの草分け・
永六輔さんが亡くなって(2016.7.7)1年。追悼の意も込めて
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など作詞家として
数々のヒット曲や著書「大往生」を始め、
交遊録の数々がラジオで紹介された。
その中での本人の語り。「商人」について。
「商という文字、まわりは人の意味なんです。
頭があって、両手があって、両足がある。その中に口と書いてあります。
商人は声を出さないとダメなんです。市場だってそうでしょ。
「安いよ、安いよ、おばちゃん、奥さん」という掛け声。
声を出すのはタダ。活気のあるところにお客は必ずきます。
それと第一印象が大事。
デパートのなかで、一番最初に挨拶を変えたのが西武。
それまでは三越も松坂屋も伊勢丹も、開店の時にずらっと並んで
『いらっしゃいませ』と頭を下げていた。
でも『いらっしゃいませ』という言葉には返す言葉がない。
そこで、午前中は『おはようございます』午後は『こんにちは』と、
ちゃんと返事のできる挨拶を心掛けた。
そう変えただけで客足が増えたというんです。
大きい声、小さい声、静かな声、やかましい声、美しい声、可愛い声、
いろいろな声を出すべきです。
同時に反応する声が出やすい語り、キャッチボールができれば商売は繁盛。
楽しい人間関係も築け、豊かな人生になっていけるはずです。ハイ、と。
大要、以上のような六輔節でした。
当たり前の話、分かりきった話、
でもいい話だなと、改めて「大往生」の先達に合掌。
更新ありがとうございます☆
天候など、全てに守られた素敵なぶらり旅。。
猿岩と教会・お寺の文化融合に感動致しました。
幕末…でしょうか?
「龍馬伝」にハマっていたせいか、
とても思い起こしていたのでした。
文化交流に感謝です!!!
いや高すぎる
龍馬を四文字で表すと「飛耳長目」
耳を飛ばし同志からの情報を得て処理をする、
そして先見力を持って諸策を練る。
伝によると鼻くそばかりほじって勉強しない龍馬が
千葉周作道場での稽古で技と志を体得。
同時に海の彼方の自由な国に好奇心を
やがて薩長同盟から大政奉還まで
苦難の道を歩むが、33年の生涯はまさに歴画
いやはや、その頭のこなしは両親のDNA
感謝合掌です