「日常」
そんなもの
簡単に
壊れるんだ
そう
今回の訃報で
再確認した
父が
病になった
時も
亡くなった
時も
そう思うたな
以前から
blogにも
書いてるけど
ダンナは
出来るなら
「家を建てたい」
らしい
その理由は
家族皆が
気兼ねなく
のびのび
暮らしたい
そして
もし自分(ダンナ)が
先立った時
私が
施設に入らず
暮らせる様に
と言うてた
でも
もし仮に
ダンナが
先立ったたら
私は
その時
その「家」で
暮らせる
だろうか?
持ち家とか
借家とか
関係なく
「ダンナが
居なくなった」
家に
住めるだろうか
私の母は
「お父さんとの
最後の場所」
だからと
住み続けてた
それも
そうだと思う
けれど
私には出来ない
そう思う
だって
そこに居た人が
そこに座って
笑ったり
話したり
してた人が
居ないんだ
どこを
探しても
いくら
待っても
そこに
居ないんだ
そんな
当たり前の
「日常」
を思い出し
ながら
その「家」で
私は
暮らせる
自信がない
想い出は
大切
だけど
想い出は
辛い
当たり前の
「日常」
いつまで
続くのか
保証のない
「日常」
だからこそ
本当は
一日一日を
ちゃんと
生きないと
いけない
そんな事も
私は
出来てない
一日一日を
感謝して
笑って
楽しく
生きること
そんな
生き方に
少しでも
近づけたら
いいな
明日から
新年度
私は
何を
始めよう