親不孝ながら父が亡くなってから14年、思い出も日に日に薄れていくと言う今日この頃です。しかし父の日には歌と自転車の件を思い出します。
サラリーマンをしていた父が家から駅に向かう朝の風景です。我が家にとって自転車がまだ貴重な足であった頃の話です。
♪今日も暮れゆく異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ・・・
父は私を自転車の荷台に乗せ、異国の丘を歌って駅に向かいました。毎朝同じ歌でした。私が4年生か5年生の頃、大人用の自転車に乗れるようになってからです。
もう一つは歌・異国の丘、いまから今から思うと異国の丘が流行り始めから10年が経った昭和30年代前半の頃になります。
♪今日も更けゆく異国の丘に 夢も寒かろ冷たかろ
♪今日も更けゆく異国の丘に 夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ ・・・
3番までの歌詞を完璧に諳んじ、歌い終わる頃ちょうど駅に着ました。」
3番までの歌詞を完璧に諳んじ、歌い終わる頃ちょうど駅に着ました。」
そしてポケットからお小遣いと言って5円をくれました。私にとっては貴重なお小遣いでした。家族にとっても必須かつ貴重な自転車だったのです。