イタリア・セリエAのミランで公式戦406試合に出場して5度のスクデットと2度のビッグイヤーを獲得した元イタリア代表MFのアルベルティーニが「決して満足しないこと。それに物凄い帰属意識があった。何人かの指揮官から教えられたことだが、カルチョにおいては、よいことも悪いこともすべてが伝染する。あの時のミランにおいて、帰属意識がみんなに浸透していた。新たに加わった選手も、ミランのプロフェッショナルなメンバーを見て適応していき、それができない者は去っていった。」と、自身が在籍した90年代のミランの強さの秘訣を明かしました。
続けてアルベルティーニは「ロッカールームは、(当時の)ガリアーニCEOの役割を奪うことなく、選手たちだけでも成り立っていた。(元イタリア代表DF)バレージや(元イタリア代表DF)タソッティ、(元イタリア代表DF)ガッリに(元イタリア代表MF)エヴァーニらすべてのマエストロから伝えられたものが私の力になっていた。」と、当時のロッカールームの様子も明かしました。
また、アルベルティーニはミラン在籍時の指揮官にも言及し、1998-1999シーズンに(ミランで)スクデットを獲得して2014年W杯では日本代表の指揮も執ったザッケローニ監督については「バレージやタソッティ、ガッリが抜けて最悪の2シーズンを味わった後で、ザッケローニ監督の時は再建の時代だった。過去と比較して哲学も変わった。運よく勝てた試合もあり、常に素晴らしいカルチョをできていたわけではなかった。」とコメントし、自身を17歳の時に(ミランで)セリエAにデビューさせたサッキ監督と自身をレギュラーに抜擢して1991年から1994年の間にスクデット3連覇を達成したカペッロ監督については「2人は私のキャリアを総括する存在。サッキ監督は私をサッカー選手として受け入れ、偉大な選手に育ててくれた。カペッロ監督は長年、あのレベルに君臨していたチームで私を先発に抜てきする勇気を持ってくれた。」と感謝の意を述べました。
ミランの背番号4と言えば、元オランダ代表MFフリットが良くも悪くも印象に残っていますが、それでもやっぱりアルベルティーニだと思います。
また、アルベルティーニが4番を決定付けたのは、まだ背番号が固定されていなかった時のカペッロ監督の4-4-2で間違いないと思います。
一方、ザッケローニ監督の3-4-3もしくは3-4-1-2では、背番号4は重要な番号ではなかったと思います。
カペッロ監督の4-4-2でのアルベルティーニのセンターでのペアと言えば、元オランダ代表MFライカールトもしくは元フランス代表DFデサイーがすぐ思い浮かぶのですが、ザッケローニ監督の3-4-3の時は元イタリア代表MFアンブロジーニだったことがすぐには思い浮かびませんでしたし。
それはカペッロ監督のミランではアルベルティーニとライカールトもしくはデサイーの2枚のセンターハーフがキーポジションだったのに対し(またそれは後にカペッロ監督が率いたセリエAのユベントスでも踏襲され、元フランス代表MFビエラと元ブラジル代表MFエメルソンの2センターハーフがキーポジションだったと思います)、ザッケローニ監督の3-4-3ではCFとWBがキーポジションで、それらの違いによるものだと思います。