みなさん、こんばんは☘️
突然ですが
皆さんには、「1年後も一緒にいる」
と確信を持って言える人が身近にどれだけいますか??🌸
先日、友人と何気なく話している中で無意識に出た言葉です🌱☟
「来年はここに一緒に行こうね」
…イルミネーションの話をしていました🎆
もう時期的に、イルミネーションはなかなか見られるものではありませんね。
だから、来年。
来年、このイルミネーションを一緒に見に行こうね。って、話の流れとしては全くおかしくないですよね💐
でも、言った後にハッとしたものです。
来年、、、?
果たして私は、来年もこの人と同じ時間を過ごしているんだろうか。
同じ時間に、同じ場所で、
同じものを見て同じものを食べて
当たり前のように
今はこの時間を過ごしているけれど、
果たして来年は?5年後、10年後は??
すごく仲の良い友人だと思っていましたが、なぜか確信があまり持てませんでした☘️
学生までの間は、良くも悪くも区切りがありましたね🏫
6年、3年、4年…と、
一定期間は「ずっと同じ場所で同じ時を過ごす」という保証があったと思います☀️
仲が良かろうが悪かろうが
「また明日ね」と何の疑いもなく言える人が沢山いたんだなと振り返るものです。
大人になると、そんな保証なんてどこにもないなと感じます。
まさに、一期一会という言葉の重みを感じます😳
今日出会った人と、次また会える時が本当にあるかなんてわからないし
今この瞬間、友人関係・恋人関係にある人と
「来年も一緒にいようね」
が本当にあるかわからない。
今という時間、同じ時を過ごしている人の存在は本当に奇跡なんだなと
なぜか深いことを考えたこの頃でした💐
LINEやInstagramなど、
気軽に遠隔でメッセージをとり合えてしまう媒体は
一期一会という概念の重みを軽減させてしまうと感じます。
今この出会いをなんとしても掴みたい、
なんとしてもまたあの人と会いたい、
そんな思いを遠ざけるきっかけになりうるものだと感じます。
戦時中を生きた特攻隊員の青年が書いた遺書の話を以前聞いたことがあります。
その中にあった文で
「またこの場所で、次に貴方と逢える日を心待ちにして、心から楽しみで仕方が無かった。
ただ、その願いは叶わなかった。」
というものがありました。
なんのSNSも無い時代、いつ命が終わるかわからない時代
誰かと逢えることを心待ちにする
という体験、令和という究極に便利で平和すぎる時代を生きる私達は
そう幾度と経験しているでしょうか??
幸福を感じるアベレージが
高くなりすぎている?逆に低くなっている?
とにかく、
「1年後も、5年後も10年後も笑い合って、お互いを思い合う仲でいよう」と、互いに確信を持って言い合える存在が欲しいなと強く思いました🌱
そんな、自分にとって「見ずとも信じれる」ような大切な存在がいかに多いか、かなり人生の幸福度に影響するだろうなと感じました😳
まずは、自分から人を信じることですね✨
人との出会いひとつひとつを大切に、
心から感謝して日々を生きてゆきます❄️
では、また明日🌸
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