憩いの家西510

入院中の備忘録、記録、思い出として

ハッピーさんの事

2022-06-24 20:19:00 | 日記
ハッピーさんは、他系統ではあるが
四條畷にある天理教の教会の会長さん
もう、古い付き合いになる
かれこれ10年以上にはなるだろう
天理教とは縁もゆかりもない家庭に生まれ育ち
調理師学校を卒業後、フランスで修行をしたパティシエだった
そんな彼がどんなご縁か
天理教の教会の娘さんとお見合いして、結婚することになり
その教会へ婿養子で入られたのだと聞いている
結婚後もパティシエのお仕事を続けられ、自身のお店も開いておられた

僕たちの仲間とは、SNSを通じて知り合いになった。
ハッピーさんと言うのは彼が使っていたハンドルネームだ。
かけちがってとうとう彼のケーキを口にする機会には恵まれなかったけれど、その腕は大したもので
友人の娘は誕生日のケーキを彼にオーダーして特別に作ってもらったりしていた

前会長さんが高齢になられたので
教会長の座を引き継がれ、
所属大教会の敷地内にある「布教研修所」のような施設にも入られ熱心に、教会の御用も務めておられた

まだ年齢も若いのに、何度か病の話も聞いていたが、それでもたまにお会いする事があるとお元気そうで
僕らなんかは「せっかく」と、残念に思ってしまったりしたのだが
経営しておられたケーキ屋
のお店も閉じて
教会長としてのご用一筋で進まれる決意をされたようだった。

そんなある日、Facebookの記事に
「パーキンソン病と、診断されました」との書き込みがあって驚いた。
その頃僕は三重の実家に暮らしていて、なかなか会う機会もなく
ネットを通して伝わってくる近況に心配だけを募らせる日々だった

入院したけど、パーキンソン病の薬が体質に合わず苦しんでいる
とうとう起き上がれず寝たきり状態になった
聞こえてくる情報は決して芳しいものではなかった
そんな中、再度詳しく調べてもらったところ
パーキンソンではなく「多系統萎縮症」と、診断が確定されたと聞いた。MSAとして、MSAの治療が開始され薬も変わり、起きられるようになった、退院して自宅療養に移ったと、聞いて喜んだりもした。
だが病名はMSAなので、パーキンソンどころの騒ぎではなく
行く末は決して安閑とはしていない事は分かっていた。
 
メールをして、アポイントを取ったのち
何度か四條畷の教会まで足を運び
ほんの少しの時間話し相手になり、いやこちらが話し相手になってもらい
おさづけのお取次をさせてもらって、帰ってくると言う事が何度かあった。
距離も離れているし、頻繁に会えるわけではなく
そうすると会うたびに、病状の進行が目に見えて分かり
彼に会うために四條畷まで走るドライブは楽しい時間ではなかったかもしれない
歩き方が覚束なくなってきている、呂律が回らなくなってきている
教会の神殿に上がるわずかな段差を手を貸してあげる事も何度もあった

一度死んでも忘れない光景に出会した
教会に着いて、お参拝をし、ハッピーさんのいる隣の事務室に通ると、彼は天理教の布教をする時に配布するパンフレットを何枚も重ねて、一枚一枚に教会の住所や名前の書いたゴム印を押している
彼は言った
「らんぷさん、僕ねもう呂律がが回らなくなってきてね、それでもう言葉で伝える布教はもうだめやなと思ってね、これからは文書布教やと思って、それでこのパンフレットにゴム印押してるんです

たったそれだけの会話も緊張して聞いていないと、聞き取れない所があるような状態だった
そんな病状の人が
そんな病状だからこそこれからは文書布教だと言うて、そのための準備をしておられる

驚いたし感動した
そんな病の中にあって、こんなに前向きに将来を見据えている、その態度に頭が下がった
「パーキンソンって診断されるのは『無期懲役』の判決を受けたようなもので、MSAと診断されるのは『死刑判決』を受けたようなもんですよ」彼は回らぬ舌でそう言って笑った
MSAといえばただの病気ではない
いくら厚かましい僕であっても
断りもなしに押しかけていく事はできなかった
数日前から必ずメールでアポイントを取り、滞在時間も極力短くして、病人を疲れさせないように気を使った、この僕が気を使うなんて、僕の事を知る人はきっと笑うに違いない
いつの頃からかアポイントのメールに返事が来なくなった
「どうぞ来てください」と、言われなければ訪ねていけないので
辛抱強くメールの返事を待った 
でも、やはり返信メールは来なくなった
何度か「どうしてますか?」とか、「会いたいです」と、メールをしたがそれでも返信は来なかった
それで、とうとう訪ねていく事も出来なくなり、その内僕の身の上の方にも色々と変化があったりして
決して忘れたわけではないけど、何となくそのままになっていた
病気が病気なので、「もしかしたら?」と、言う思いも頭のどこかにはあったと思う

今回癌が見つかり、入院することになったある日の夜
夢の中に彼が出てきた
実年齢よりも若返ったように見える彼は、背も高くハンサムで早足で颯爽と歩いて僕に近づいてきた
「ハッピーさ〜ん、俺膀胱癌になったよ」って夢の中で彼に報告した
彼が何と返事を返してくれたか、夢の事で記憶が無い

手術室に向かうのは11時と聞いていたので、それまでの間にシャワーを済ませ
麻酔が覚めてから飲むのに、冷蔵庫の中に水を用意して
もう何もする事がないので、仕方なくベッドに横になって、看護師ちゃんが迎えにきてくれるのを待っていた。それでふと手にしたスマホ端末の画面に
Facebookからのお知らせアラートが届いた
「今日はハッピーさんの誕生日です』
正直言って、鳥肌が立ち同時に
「ハッピーさん、守ってくれてはるんやな、こらどんな事があっても大丈夫やな」と、確信した

今日、ハッピーさんと同系統の知り合いの会長さんに、彼の近況を尋ねてみた
「自宅での療養が出来なくなり、入院されたと聞いています」 と、返事がきた
正直安心した、よかったと思った
詳しい事が分かり、本当にコロナが終息して、病院に面会に行けるようなら、話し相手になってもらいにいくつもりである。

人は多くの他者に守られている
多くの人の思いを受けてこの世に生きている
ちょっとやそっとの膀胱癌くらいで死んだりするものか

こんな事を考えるようになったのも、膀胱癌になればこそだ
膀胱癌になるって本当に素敵だ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿