「オカルト・スピ系・占いには手を出すな」アメリカのエクソシストが警告、ゲイリー・トーマス神父インタビュー(未編集版)
アンソニー・ホプキンズ主演のハリウッド映画「ザ・ライト」(2011年)のもととなった原作本「ザ・ライト」、のモデルとなったアメリカのゲイリー・トーマス神父のインタビュー。
神父言わく、人は皆、霊的体験を求めており、クリスチャンでも、カトリックでも、そうでない人でも、スピリチュアルと名の付くものに、色々手をだす人がいますが、インタビューでは、オカルト・スピ系・占いなどに関わることの危険性について話します。
もし、そのような体験から、悪霊が入ってきてしまったときにはイエス・キリストを主とし、聖霊を心に招き入れ、過去に色々な「偽の神々」の声を聞いてしまったことを悔い改めれば、悪霊への扉を閉じることができます。
動画の中で神父も「ある依頼者が以前スピりチャル店で買った、天使の置物を持ってきたらその天使人形の中に何か不気味な骸骨?みたいなものが刻まれたものが入っていた」と。
だが驚くには及ばず、サタンでさえも光の天使を装うのである。<コリントへの手紙2・11章14節~>
カトリックは、司教から任命された聖職者だけが悪魔祓いをすることが認められていますが、プロテスタントでは
<マルコ16章17~18節>
「信じる者にはこのようなしるしが伴う。彼らはわたしの名(イエス)で悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、そして毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」をベースに、「信じる者」に全てにイエスから与えられた権威があると理解できます。
前記事にていくつか動画を載せてきましたが、実際、ジョン・ラミレスやクリス牧師なども教会にて悪霊祓いをしています。
悪霊に取り憑かれるとは、
●自分の本来の意思でない行動をする、周りを攻撃しろなど思考が浮かぶ(頭に脅威の囁きがくる)
●自分を脅かすような攻撃的な人物に出会う、どこに行っても周りにそんな性格の悪い狂った人間に遭う
何か頭の中が暗いモヤに覆われているようで落ち込み暗い気分になり、人・物事に対して悲観的になる現代の鬱病の症状
日常の生活の中で突然、自分の体の制御が他者に奪われる
自分の存在が他者から切り離される ( From In deep 記事より)
「自分の行動や感覚のコントロール権を他者に奪われる」=悪霊による自分を乗っ取られる現象
詳しくは、私がいつも愛読している「In deep」で おかちゃんが丁度これについて触れていたのでお読みください。おかちゃん応援してます
http://indeep.jp/bizarre-reality-story-of-the-mysterious-vanished-survivors-second/
以下、In Deepより抜粋 http://indeep.jp/there-might-be-nothing-we-can-do-to-prevent-a-catastrophe-of-this-world/
長編小説『エクソシスト』(1977年)について書いたことがあります。この小説の後半は、カラス神父という人と、上級神父であるメリン神父のふたりが少女リーガンにとり憑いた悪霊を追い出すための悪魔払いのシーンが長く描かれます。
その中で、カラス神父が、メリン神父に、
「悪霊が人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょうか」
と尋ねるシーンがあります。
メリン神父は、以下のように答えます。
「それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。そしてまた、こうも考えられる。やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある」
「やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている」
映画エクソシストのメリン神父(左)とカラス神父
・The Exorcist
つまり、メリン神父は、悪霊が人間にとり憑く理由を、
「私たち人間に、人間と人間社会に対して絶望させるように仕向けることにある」
あるいは、「人間という存在が醜悪で野蛮で無価値なものと、人間に思わさせるため」
トーマス神父の言う、カトリックの悪魔祓いについての教えや教理に必ずしも全部同意しなくても、イエス・キリストを主とするものは、学ぶことがあるのではないでしょうか?まず、これがただの「宗教」ではなく霊の世界がある、ということを認識することが第一です。
(一部文章を動画投稿者のfreedom in Christさんより抜粋させて頂きました)