ここ数日
光あふれる空と
厚い雲に覆われた空が
交差するように
くるくると
お天気が変わりやすくなっていますね
暦の上では、8月7日に立秋を迎えたものの、
まだまだ暑い日がつづいています
今年は6月から暑くなったので、
夏の季節が長いですし、
お盆休み前でお忙しくされていらっしゃる方も多いかと思いますが、
どうか質のよい睡眠をしっかりととって、暑さに負けない
健やかな日々をお過ごしくださいね
冷たい食べ物や、飲み物に惹かれる季節ですが
エアコンで冷え切ってしまった夏のカラダは
意外とあたたかい飲み物や、食べ物を求めているかもしれません
こういう時こそ、すこしあたたかなものを手にしたり
ゆったりと湯船につかって汗をかいたりすることで
カラダもココロもリフレッシュできて、リラックスできたりするかもしれません
よろしかったら、お試しくださいね
さて、
じつは、つい先日書いたブログの内容が、どうにも消化不良な気持ちで・・・
ずっと頭の片隅に残っていました
こころの景色というタイトルのものだったのですが、
なんだかうまく書けなかったなぁと思ってしまって、
伝えたいことを伝えるという行為
文章であっても、口頭であっても、意外と難しいものですね
悩んでいる人から相談をうけて、勇気づけようとしたり、
励ましたりしたいと思って、ついいろいろアドバイスしたくなるのですが、
ときに、それは、自分の世界でのアドバイスであって、相手の負担になったり、ときに傷つけてしまったり、コントロールするようなことになったりし兼ねない・・・
そんなときには、あまりあれこれアドバイスするよりも、その人が、その人の世界のなかに、自分の中に、じつは最初からもっているであろう答えにたどり着けるように、ひたすら話を聞いたり、寄り添ったり、共感したりして、その人のこころが整理される時を待つだけでもよい時もある・・・
そんな自分自身の経験から、書いたブログだったのですが、上手く書けなかったように感じています・・・
人と人との関係性のなかで、心に留めておきたいたいせつことは、たくさんあるかと思いますが、
そのなかで、たいせつなことの1つに、人は、それぞれ自分の内面を投影した世界に住んでいるということがあるのではないかと思います
「鏡の法則」という書籍の著者でもいらっしゃる心理カウンセラーの野口嘉則先生が書かれていらっしゃった内容が、とても素晴らしくて、心に響いて、わたしのお伝えたかったことと一部重なっていたこともあって、一部抜粋して、ご紹介させていただけたらと思います
ご興味のあられる方は、ぜひ野口先生のご著書などを手に取られると良いかもしれないですね
心理カウンセラーの野口嘉則先生の文章から
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最初に、ある寓話から紹介します。
ある町の入り口に 一人の老人が座っていた。 そこに、よその町から 一人の若者がやって来た。
若者は老人に尋ねた。 「この町はどんな町ですか? どんな人たちが住んでいますか?」
老人 「君はどんな町からやって来たのかね?」
若者 「僕がいた町は、 利己的で悪賢い人が多かった。 安心して住めない、ひどい町でした」
老人 「この町も同じようなものじゃよ」
若者は疑いの目で老人を見ると、 町に入っていった。
そして間もなく、 老人が言ったとおりの町であることを知った。
その後しばらくして、 別の若者がやって来て、 老人に尋ねた。
「この町はどんな町ですか? どんな人たちが住んでいますか?」
「君はどんな町からやって来たのかね?」
「僕がいた町は、 やさしくて親切な人が多かった。 とても住みやすい、素敵な町でした」
「この町も同じようなものじゃよ」
若者は老人にお辞儀をすると、 町に入っていった。 そして間もなく、 老人が言ったとおりの町であることを知った。
この寓話は、 講演などでもよく耳にする話なので、 ご存知の方も多いかもしれませんね。
僕たちはものごとを ありのままには見ていません。
ものごとに自分が意味づけをして、 その意味を見ています。
ものごとに自分の心を投影して、 その投影を見ているのです。
つまり人は、外界を通して、 自分の内面を経験しているのです。
ということは、僕たちは、 自分の内面にないものは経験できない ということですね。
たとえば、 僕たちが花を見て「美しい!」と感動するのは、 心の中にある「美」を投影して、 「美しい」と感じているのです。
「美」は僕たちの心の中にあるのです。
動物や虫は、花を見ることはできても、 花の美しさを感じることができません。 花の美しさに感動することはないわけです。 動物や虫の内面には、 「美」という理念がないからです。 これはつまり、 動物や虫が生きる世界には、 「美しい花」は存在していないということです。 (植物としての花は存在しますが)
また、僕たち人間も、 執着心に囚われているときや、 競争心・闘争心で心がいっぱいのときは、 花の美しさに気づかないまま、 見過ごしてしまいます。
そんなときは、僕たちが住む世界に 「美しい花」は存在していないのです。
僕たちは、 自らの内面を投影した世界に住んでいます。 自らの心の“ありよう”を映し出した世界に 住んでいます。
周りの人が 善意の人ばかりに見えるときは、 僕たちの心の中の善意が 周りに投影されているのです。
周りの人が 悪意の人ばかりに見えるときは、 僕たちの心の中の悪意が 周りに投影されているのです。
物理的には、 「一つの客観的な世界に、 すべての人間が住んでいる」 という見方ができますが、
心理的には、 「それぞれの人間は、 それぞれの主観を投影した世界に 住んでいる」 という見方ができるわけです。
それぞれの人間が、 それぞれの主観を投影した世界に 住んでいるのであれば、 「僕たち一人ひとりの数だけ世界がある」 ということになります。
つまり、自分が住んでいる世界と、 相手が住んでいる世界は、 実は“違う世界”であるということになります。
しかし僕たちは、 「自分が見ている世界こそが 客観的な一つの世界である」 と勘違いしていて、 その客観的世界(実は自分が見ている 主観的世界)に 相手も住んでいるものだと思い込んでいます。
そのため、 相手の「感じ方、ものの見方」が 歪んで見えるのです。 「あなたは何を見ているの? 何を考えているの? 私が提供した情報を知れば、 結論は明らかだよね。 どうしてそれが理解できないの? あなたには事実が見えないの? あなたの『ものの見方』は歪んでいるよ」 なんて言ったりするのは、 「相手も自分と同じ世界が 見えているはずだ。 世界は一つしかないのだから」 という、 おそるべき思い込みがあるからなんです(^^;
「相手は自分と違う世界に住み、 違う世界を見ている」 という真実に気づくと、 相手の「感じ方、ものの見方」を、 「私には計り知れないもの」として 敬意をもって尊重することができます。
ユング心理学者の河合隼雄先生が、 「人の話を聴くときは、 『相手にとっての真実』に 耳を傾けることが大切」 と述べておられます。 「自分にとっての真実」と 「相手にとっての真実」は 違っていて当然なのですから、 「自分こそが客観的な真実を見ている」 という思い込みを手放し、 「相手にとっての真実」に、 畏敬の念をもって耳を傾けることが 大切なのですね。
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心に響きました・・・
後半の文章にあったユング心理学者の河合隼雄先生のお言葉も、とても印象的でした
人と人との関係において、
物理的に同じ空間に居たとしても、それは物理的に同じ空間を共有しているだけであって、
じつは、全く違ったものの見方をして、全く異なったものの感じ方をしている・・・
人の数だけ世界があって、決して、1つではないということ・・・
同じ経験をしたとしても、その人それぞれにおいて、その経験は全く解釈が異なったりするということ・・・
そのことに気がつくと、人間関係におけるたくさんの悩みは、軽減するかもしれないですね
人が存在する数だけ世界は存在するのなら、はじめから、わかり合えないと思ってしまったり、あきらめたりしてしまうということではなくて、
だからこそ、自分の世界の偏りに気づいたり、相手の世界に敬意をもったり・・・
そうすることで、互いに歩み寄り、寄り添い、相互理解ができたときの素晴らしさを感じ合えたなら、素敵なことだなぁってあらためて、感じます
もうすぐ夏休みに入られる方も多いかもしれません
ときには、自然に気持ちを向けて
自然の美しさに感動できるような時間を
ご自身にプレゼントしてあげてくださいね
こんなに暑くても
自然界では
夏のお花が元気に咲いたりしています
ハスだったり
キキョウだったり
サルスベリだったり・・・
うつくしい花々が咲いています
青い空と
もくもくとした白い雲
そして、
まぶしいほどの光も
もうそんなに長くつづくわけではないかもしれないです
この季節にしか感じることのできない
すばらしい時間を
どうか大切になさってくださいね
それでは
きょうも
すこやかで
素敵な1日をお過ごしください!