c'est joli ここちよく たのしく すこやかに・・・

庭で育てた草花と描く情景画
les couleur
高折みゆき

こころの中の景色 つづき

2022年08月09日 11時20分40秒 | 自分をたいせつに・・・


ここ数日

光あふれる空と

厚い雲に覆われた空が

交差するように

くるくると

お天気が変わりやすくなっていますね

暦の上では、8月7日に立秋を迎えたものの、

まだまだ暑い日がつづいています

今年は6月から暑くなったので、

夏の季節が長いですし、

お盆休み前でお忙しくされていらっしゃる方も多いかと思いますが、

どうか質のよい睡眠をしっかりととって、暑さに負けない

健やかな日々をお過ごしくださいね

冷たい食べ物や、飲み物に惹かれる季節ですが

エアコンで冷え切ってしまった夏のカラダは

意外とあたたかい飲み物や、食べ物を求めているかもしれません

こういう時こそ、すこしあたたかなものを手にしたり

ゆったりと湯船につかって汗をかいたりすることで

カラダもココロもリフレッシュできて、リラックスできたりするかもしれません

よろしかったら、お試しくださいね



さて、
じつは、つい先日書いたブログの内容が、どうにも消化不良な気持ちで・・・
ずっと頭の片隅に残っていました
こころの景色というタイトルのものだったのですが、
なんだかうまく書けなかったなぁと思ってしまって、
伝えたいことを伝えるという行為
文章であっても、口頭であっても、意外と難しいものですね

悩んでいる人から相談をうけて、勇気づけようとしたり、
励ましたりしたいと思って、ついいろいろアドバイスしたくなるのですが、
ときに、それは、自分の世界でのアドバイスであって、相手の負担になったり、ときに傷つけてしまったり、コントロールするようなことになったりし兼ねない・・・
そんなときには、あまりあれこれアドバイスするよりも、その人が、その人の世界のなかに、自分の中に、じつは最初からもっているであろう答えにたどり着けるように、ひたすら話を聞いたり、寄り添ったり、共感したりして、その人のこころが整理される時を待つだけでもよい時もある・・・
そんな自分自身の経験から、書いたブログだったのですが、上手く書けなかったように感じています・・・


人と人との関係性のなかで、心に留めておきたいたいせつことは、たくさんあるかと思いますが、
そのなかで、たいせつなことの1つに、人は、それぞれ自分の内面を投影した世界に住んでいるということがあるのではないかと思います

「鏡の法則」という書籍の著者でもいらっしゃる心理カウンセラーの野口嘉則先生が書かれていらっしゃった内容が、とても素晴らしくて、心に響いて、わたしのお伝えたかったことと一部重なっていたこともあって、一部抜粋して、ご紹介させていただけたらと思います

ご興味のあられる方は、ぜひ野口先生のご著書などを手に取られると良いかもしれないですね


心理カウンセラーの野口嘉則先生の文章から
=====================================

最初に、ある寓話から紹介します。
ある町の入り口に 一人の老人が座っていた。 そこに、よその町から 一人の若者がやって来た。
若者は老人に尋ねた。 「この町はどんな町ですか? どんな人たちが住んでいますか?」
老人 「君はどんな町からやって来たのかね?」
若者 「僕がいた町は、 利己的で悪賢い人が多かった。 安心して住めない、ひどい町でした」
老人 「この町も同じようなものじゃよ」
若者は疑いの目で老人を見ると、 町に入っていった。
そして間もなく、 老人が言ったとおりの町であることを知った。

その後しばらくして、 別の若者がやって来て、 老人に尋ねた。
「この町はどんな町ですか? どんな人たちが住んでいますか?」
「君はどんな町からやって来たのかね?」
「僕がいた町は、 やさしくて親切な人が多かった。 とても住みやすい、素敵な町でした」
「この町も同じようなものじゃよ」
若者は老人にお辞儀をすると、 町に入っていった。 そして間もなく、 老人が言ったとおりの町であることを知った。

この寓話は、 講演などでもよく耳にする話なので、 ご存知の方も多いかもしれませんね。
僕たちはものごとを ありのままには見ていません。
ものごとに自分が意味づけをして、 その意味を見ています。
ものごとに自分の心を投影して、 その投影を見ているのです。
つまり人は、外界を通して、 自分の内面を経験しているのです。
ということは、僕たちは、 自分の内面にないものは経験できない ということですね。

たとえば、 僕たちが花を見て「美しい!」と感動するのは、 心の中にある「美」を投影して、 「美しい」と感じているのです。
「美」は僕たちの心の中にあるのです。


動物や虫は、花を見ることはできても、 花の美しさを感じることができません。 花の美しさに感動することはないわけです。 動物や虫の内面には、 「美」という理念がないからです。 これはつまり、 動物や虫が生きる世界には、 「美しい花」は存在していないということです。 (植物としての花は存在しますが)

また、僕たち人間も、 執着心に囚われているときや、 競争心・闘争心で心がいっぱいのときは、 花の美しさに気づかないまま、 見過ごしてしまいます。

そんなときは、僕たちが住む世界に 「美しい花」は存在していないのです。

僕たちは、 自らの内面を投影した世界に住んでいます。 自らの心の“ありよう”を映し出した世界に 住んでいます。

周りの人が 善意の人ばかりに見えるときは、 僕たちの心の中の善意が 周りに投影されているのです。

周りの人が 悪意の人ばかりに見えるときは、 僕たちの心の中の悪意が 周りに投影されているのです。

物理的には、 「一つの客観的な世界に、 すべての人間が住んでいる」 という見方ができますが、
心理的には、 「それぞれの人間は、 それぞれの主観を投影した世界に 住んでいる」 という見方ができるわけです。

それぞれの人間が、 それぞれの主観を投影した世界に 住んでいるのであれば、 「僕たち一人ひとりの数だけ世界がある」 ということになります。

つまり、自分が住んでいる世界と、 相手が住んでいる世界は、 実は“違う世界”であるということになります。
しかし僕たちは、 「自分が見ている世界こそが 客観的な一つの世界である」 と勘違いしていて、 その客観的世界(実は自分が見ている 主観的世界)に 相手も住んでいるものだと思い込んでいます。

そのため、 相手の「感じ方、ものの見方」が 歪んで見えるのです。 「あなたは何を見ているの? 何を考えているの? 私が提供した情報を知れば、 結論は明らかだよね。 どうしてそれが理解できないの? あなたには事実が見えないの? あなたの『ものの見方』は歪んでいるよ」 なんて言ったりするのは、 「相手も自分と同じ世界が 見えているはずだ。 世界は一つしかないのだから」 という、 おそるべき思い込みがあるからなんです(^^;

「相手は自分と違う世界に住み、 違う世界を見ている」 という真実に気づくと、 相手の「感じ方、ものの見方」を、 「私には計り知れないもの」として 敬意をもって尊重することができます。

ユング心理学者の河合隼雄先生が、 「人の話を聴くときは、 『相手にとっての真実』に 耳を傾けることが大切」 と述べておられます。 「自分にとっての真実」と 「相手にとっての真実」は 違っていて当然なのですから、 「自分こそが客観的な真実を見ている」 という思い込みを手放し、 「相手にとっての真実」に、 畏敬の念をもって耳を傾けることが 大切なのですね。

=====================================

心に響きました・・・

後半の文章にあったユング心理学者の河合隼雄先生のお言葉も、とても印象的でした

人と人との関係において、
物理的に同じ空間に居たとしても、それは物理的に同じ空間を共有しているだけであって、
じつは、全く違ったものの見方をして、全く異なったものの感じ方をしている・・・
人の数だけ世界があって、決して、1つではないということ・・・

同じ経験をしたとしても、その人それぞれにおいて、その経験は全く解釈が異なったりするということ・・・

そのことに気がつくと、人間関係におけるたくさんの悩みは、軽減するかもしれないですね

人が存在する数だけ世界は存在するのなら、はじめから、わかり合えないと思ってしまったり、あきらめたりしてしまうということではなくて、

だからこそ、自分の世界の偏りに気づいたり、相手の世界に敬意をもったり・・・
そうすることで、互いに歩み寄り、寄り添い、相互理解ができたときの素晴らしさを感じ合えたなら、素敵なことだなぁってあらためて、感じます


もうすぐ夏休みに入られる方も多いかもしれません
ときには、自然に気持ちを向けて
自然の美しさに感動できるような時間を
ご自身にプレゼントしてあげてくださいね

こんなに暑くても
自然界では
夏のお花が元気に咲いたりしています
ハスだったり
キキョウだったり
サルスベリだったり・・・
うつくしい花々が咲いています

青い空と
もくもくとした白い雲
そして、
まぶしいほどの光も
もうそんなに長くつづくわけではないかもしれないです

この季節にしか感じることのできない
すばらしい時間を
どうか大切になさってくださいね


それでは
きょうも
すこやかで
素敵な1日をお過ごしください!





こころの中の景色

2022年08月04日 14時07分54秒 | 自分をたいせつに・・・


厚い
厚い雲が
幾重にも重なりあって

昨日まで
あんなにも
光に溢れていた青い空が
どこかに行ってしまったよう

今朝は、曇り空がひろがって、
これまでよりも
とても過ごしやすいですね

なんだか今朝はとても早く目が覚めてしまって
まだ若干暗いくらいだったので
思い切って、草木の手入れをしました
夏の雑草の生育は、とてもはやくて
処理しても処理しても
根をぐんぐんと土の中で伸ばしてしまって
すくすく成長してしまいます

かわいそうなのですが、根元から
抜いていかないと、大切な草花が弱ってしまうので
やはり・・・残念ですが仕方ないですね
今朝は、屋外で作業をしていても
涼しくて、作業がはかどりました


お話は、変わりますが
仕事柄なのでしょうか・・・?なぜかこれまでの人生で
悩みを打ち明けていただくことが多いかなと思います

以前は、悩みを打ち明けられると、
相談していただけたり、心を見せてくださることがうれしくて、
なにかお役に立ちたいと、自分なりに
これがいいのではないかという回答を、ときに意気揚々と・・・
応えていたのですが、
ここ数年・・・あまり回答らしい回答を言わないようになりました

わたし自身が感じることなので、人によって考え方はいろいろだと思うのですが、
これまで、わたし自身にも、道に迷ったり・・・
まるで、稲妻が落ちたかのような
青天の霹靂のような出来事が、それなりにありました

そんなときに、一人ではどうしていいかわからずに
誰かに聞いてもらったり、相談したことも、たくさんありますが、
良かれと思って、一生懸命にアドバイスしてくださることは、とても有難くて
うれしいのですが、なぜだか、その後、さらに苦しくなったり、
なぜか傷ついたり、なぜか悲しくなったり・・・
そんなことがたくさんありました

あたりまえのことなのですが、
アドバイスしてくださる内容や、回答は、その人の考えであって、
自分自身の内面からでたものではないからかもしれません

こうするといいのではないか
ああするといいのではないか・・・
悩みを打ち明けられれば、それぞれに、一生懸命に考えて、誠意をもって、その人らしい回答を出すのだと思うのですが、やはり、それは、その人の考えであって、悩んでいるご本人の答えではないのだと思います。

もちろん、時には、そのアドバイスや、回答の中に、おおきなヒントが隠されていて
すっきりと解決できることもあって、感謝されることもあるかと思いますが、
じつは、そうでない場合も多くて、人の意見を聞くことで、混乱したり、迷ってしまったりして、余計に自分の心の声から遠のいてしまって、自分の声がわからなくなってしまう・・・
そんな経験をされた方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか・・・・

いまは、情報過多の社会なので、調べれば、それなりの回答も、すぐに導き出せることも多いかと思うのですが、情報が増えれば増えるほど、その情報に振り回されることがあることも忘れてはいけないたいせつなことかなと思います

たいせつなのは、いつだって、他の誰かではなくて、自分自身のこころだということを、思い出していただけたらなって思います(決して偏った自己愛をおすすめしているわけではないのですが・・・)


自分自身、悩んだ際にそんな風に感じることが多かったせいか、悩みを打ち明けていただいた際には、できるだけ、こうした方がいいという自分の主張的な考えは、答えないようにして、できるだけ、相手の話したい話を、ただただ耳を傾けたり、気持ちを整理できるような方向に転換するようにしています

答えは、自分の中にあるものです
時間がどんなにかかっても、心細くて、いっぱい寄り道しても、迷っても、苦しくても、悲しくても、必ずいつかは、自分の中に、じつは最初からあった答えに、きっとたどり着くことができます

以前、ご相談いただいた際に、わたしなら、こうします。 わたしなら、こうだと思います。
とたくさん答えてしまっていたなって・・・
今になって思い返すと、ほんとうに未熟だったなって思います。
良かれと思って答えたつもりでしたが、場合によっては、とても相手を傷つけてしまっていたのかもしれません・・・

もちろん、あなたならどうされますか?と聞かれれば、答えなくもありませんが、それを話したところで、実際に経験したわけでもないことだったり、経験していたとしても、やはりひとりひとりケースもバックグラウンドも異なるでしょうし、できることなら、混乱させてしまうかもしれないようなことは、言わない方がいいかなと思うようになりました。
信頼されていればされているほど、時にその言葉が、相手によっては、無意識にコントロールされてしまうかもしれないと思うと、なんだかとてもこわくなったからかもしれません。

人間関係のことで悩まれる方が、やはりとても多いかなと思います。
人生を歩む上で、人間関係は、とても大切で、たくさんの歓びや幸せをもたらしてくれるものですが、同時に、ほんのすこしのすれ違いなどから、悩みに発展していくことも多いのも事実です

家族の関係だったり
職場の人間関係だったり
友人関係だったり
恋人やパートナーに関することだったり・・・


いろいろなケースがあるかと思いますが・・・
人間関係において、たいせつにしておきたいなと感じていることの1つに

自分のなかに、どこかで欠けている思うなにか(気がついていないケースが多い)を、
人間関係のなかで、誰かに満たしてもらおうとしたり、
欠けているなにかを、埋めてもらおうと
自分以外の外側に、求め続けてしまうと
さらに、求め続けることになって、満たされることは、ほとんどないかもしれないなってことです

心理学でいう、自己肯定に関係しているかもしれませんが、さらにそれを超えた感覚をたいせつにできたら・・・そんな風に思います

外側ではなくて、ほんとうは、自分自身のなかに、解決したり、満たしたりすることができる力が、既にあるのに、それに気づくチャンスを失ってしまうかもしれません。

相手との関係がどうこうではなく、自分自身が、自分のことを、一番に愛する、
ありのままで、もうすでに、十分に・・・無限に・・・価値がある・・・etc.
ときには
自分のこころの中には、夏のお陽さまくらいパワフルな力が既にある・・・

そんな風に、ご自身の在り方そのものを、ご自分自身で決めていくことで、
すこしずつ行動や、言動に変化が起きてくるのではないかなと思います。

はじめは、変化した言葉や、行動も、とてもちいさなことかもしれませんが、その積み重ねで、愛情問題だったり、そのほかの問題も、大きく変化していく可能性もあるかと思います。

わかりにくいかもしれませんが、相手のためにとしていると思っている奉仕的な行為も、自分の純粋な歓びベースから行っている行為ならとても素晴らしいのですし、自分自身が満たされた状態で行えているなら、とても素敵なのですが、じつは、自分の何か(存在、愛情)を満たしたいと思ってしているなら、自己犠牲的な想いが背景にあったりすると、結果的には、相手からの反応を期待したり、見返りを求めたりするようになるので、かえってしない方が良かったりすることもあったりするかと・・・

もっと、わかりにくくなってしまった気がします・・・
わかる人にはわかるということで・・・!
長くなってしまったので、この辺りで!

それでは、
厚い雲に覆われたこんな日でも、
お陽さまは、いつだって、空にあります

外の景色がどんなに雨模様でも
心の景色には、澄みきった青い空と
ここちよい風を描いてください

そして、夏のお陽さまの光を
思い出して、
太陽に負けないくらいの素敵な笑顔を
先ずは、ご自身にプレゼントして・・・
それから、たいせつな人たちにプレゼントしてくださいね

きょうも
すこやかで
素敵な1日をお過ごしください!




こころの中の景色

2022年08月04日 14時07分54秒 | 自分をたいせつに・・・


厚い
厚い雲が
幾重にも重なりあって

昨日まで
あんなにも
光に溢れていた青い空が
どこかに行ってしまったよう

今朝は、曇り空がひろがって、
これまでよりも
とても過ごしやすいですね

なんだか今朝はとても早く目が覚めてしまって
まだ若干暗いくらいだったので
思い切って、草木の手入れをしました
夏の雑草の生育は、とてもはやくて
処理しても処理しても
根をぐんぐんと土の中で伸ばしてしまって
すくすく成長してしまいます

かわいそうなのですが、根元から
抜いていかないと、大切な草花が弱ってしまうので
やはり・・・残念ですが仕方ないですね
今朝は、屋外で作業をしていても
涼しくて、作業がはかどりました


お話は、変わりますが
仕事柄なのでしょうか・・・?なぜかこれまでの人生で
悩みを打ち明けていただくことが多いかなと思います

以前は、悩みを打ち明けられると、
相談していただけたり、心を見せてくださることがうれしくて、
なにかお役に立ちたいと、自分なりに
これがいいのではないかという回答を、ときに意気揚々と・・・
応えていたのですが、
ここ数年・・・あまり回答らしい回答を言わないようになりました

わたし自身が感じることなので、人によって考え方はいろいろだと思うのですが、
これまで、わたし自身にも、道に迷ったり・・・
まるで、稲妻が落ちたかのような
青天の霹靂のような出来事が、それなりにありました

そんなときに、一人ではどうしていいかわからずに
誰かに聞いてもらったり、相談したことも、たくさんありますが、
良かれと思って、一生懸命にアドバイスしてくださることは、とても有難くて
うれしいのですが、なぜだか、その後、さらに苦しくなったり、
なぜか傷ついたり、なぜか悲しくなったり・・・
そんなことがたくさんありました

あたりまえのことなのですが、
アドバイスしてくださる内容や、回答は、その人の考えであって、
自分自身の内面からでたものではないからかもしれません

こうするといいのではないか
ああするといいのではないか・・・
悩みを打ち明けられれば、それぞれに、一生懸命に考えて、誠意をもって、その人らしい回答を出すのだと思うのですが、やはり、それは、その人の考えであって、悩んでいるご本人の答えではないのだと思います。

もちろん、時には、そのアドバイスや、回答の中に、おおきなヒントが隠されていて
すっきりと解決できることもあって、感謝されることもあるかと思いますが、
じつは、そうでない場合も多くて、人の意見を聞くことで、混乱したり、迷ってしまったりして、余計に自分の心の声から遠のいてしまって、自分の声がわからなくなってしまう・・・
そんな経験をされた方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか・・・・

いまは、情報過多の社会なので、調べれば、それなりの回答も、すぐに導き出せることも多いかと思うのですが、情報が増えれば増えるほど、その情報に振り回されることがあることも忘れてはいけないたいせつなことかなと思います

たいせつなのは、いつだって、他の誰かではなくて、自分自身のこころだということを、思い出していただけたらなって思います(決して偏った自己愛をおすすめしているわけではないのですが・・・)


自分自身、悩んだ際にそんな風に感じることが多かったせいか、悩みを打ち明けていただいた際には、できるだけ、こうした方がいいという自分の主張的な考えは、答えないようにして、できるだけ、相手の話したい話を、ただただ耳を傾けたり、気持ちを整理できるような方向に転換するようにしています

答えは、自分の中にあるものです
時間がどんなにかかっても、心細くて、いっぱい寄り道しても、迷っても、苦しくても、悲しくても、必ずいつかは、自分の中に、じつは最初からあった答えに、きっとたどり着くことができます

以前、ご相談いただいた際に、わたしなら、こうします。 わたしなら、こうだと思います。
とたくさん答えてしまっていたなって・・・
今になって思い返すと、ほんとうに未熟だったなって思います。
良かれと思って答えたつもりでしたが、場合によっては、とても相手を傷つけてしまっていたのかもしれません・・・

もちろん、あなたならどうされますか?と聞かれれば、答えなくもありませんが、それを話したところで、実際に経験したわけでもないことだったり、経験していたとしても、やはりひとりひとりケースもバックグラウンドも異なるでしょうし、できることなら、混乱させてしまうかもしれないようなことは、言わない方がいいかなと思うようになりました。
信頼されていればされているほど、時にその言葉が、相手によっては、無意識にコントロールされてしまうかもしれないと思うと、なんだかとてもこわくなったからかもしれません。

人間関係のことで悩まれる方が、やはりとても多いかなと思います。
人生を歩む上で、人間関係は、とても大切で、たくさんの歓びや幸せをもたらしてくれるものですが、同時に、ほんのすこしのすれ違いなどから、悩みに発展していくことも多いのも事実です

家族の関係だったり
職場の人間関係だったり
友人関係だったり
恋人やパートナーに関することだったり・・・


いろいろなケースがあるかと思いますが・・・
人間関係において、たいせつにしておきたいなと感じていることの1つに

自分のなかに、どこかで欠けている思うなにか(気がついていないケースが多い)を、
人間関係のなかで、誰かに満たしてもらおうとしたり、
欠けているなにかを、埋めてもらおうと
自分以外の外側に、求め続けてしまうと
さらに、求め続けることになって、満たされることは、ほとんどないかもしれないなってことです

心理学でいう、自己肯定に関係しているかもしれませんが、さらにそれを超えた感覚をたいせつにできたら・・・そんな風に思います

外側ではなくて、ほんとうは、自分自身のなかに、解決したり、満たしたりすることができる力が、既にあるのに、それに気づくチャンスを失ってしまうかもしれません。

相手との関係がどうこうではなく、自分自身が、自分のことを、一番に愛する、
ありのままで、もうすでに、十分に・・・無限に・・・価値がある・・・etc.
ときには
自分のこころの中には、夏のお陽さまくらいパワフルな力が既にある・・・

そんな風に、ご自身の在り方そのものを、ご自分自身で決めていくことで、
すこしずつ行動や、言動に変化が起きてくるのではないかなと思います。

はじめは、変化した言葉や、行動も、とてもちいさなことかもしれませんが、その積み重ねで、愛情問題だったり、そのほかの問題も、大きく変化していく可能性もあるかと思います。

わかりにくいかもしれませんが、相手のためにとしていると思っている奉仕的な行為も、自分の純粋な歓びベースから行っている行為ならとても素晴らしいのですし、自分自身が満たされた状態で行えているなら、とても素敵なのですが、じつは、自分の何か(存在、愛情)を満たしたいと思ってしているなら、自己犠牲的な想いが背景にあったりすると、結果的には、相手からの反応を期待したり、見返りを求めたりするようになるので、かえってしない方が良かったりすることもあったりするかと・・・

もっと、わかりにくくなってしまった気がします・・・
わかる人にはわかるということで・・・!
長くなってしまったので、この辺りで!

それでは、
厚い雲に覆われたこんな日でも、
お陽さまは、いつだって、空にあります

外の景色がどんなに雨模様でも
心の景色には、澄みきった青い空と
ここちよい風を描いてください

そして、夏のお陽さまの光を
思い出して、
太陽に負けないくらいの素敵な笑顔を
先ずは、ご自身にプレゼントして・・・
それから、たいせつな人たちにプレゼントしてくださいね

きょうも
すこやかで
素敵な1日をお過ごしください!




あたらしい物語のはじまりに

2022年06月20日 10時52分54秒 | 自分をたいせつに・・・


ふんわりと
淡くて
やわらかで・・・

すべてを
やさしく
つつみこんでくれるような
サーモンピンクの優しい夕空

昨日の夕陽もきれいでしたね

忙しい日々のなかでも
朝夕だけは、空をみつめてみるような・・・
自然と同調するような・・・
時間がとれると
ふっと心が軽くなるような気持がしますね

ここ数日
とても暑い日が続いていますので
どうかご自愛くださいね
これまでよりも、なんだか疲れが取れにくい方は
質の高い睡眠や、質の高い休息など・・・
これまでよりもすこし違った
質の高さにすこしだけ意識を向けて・・・
ご自分の為に、眠る前にいつもと違った習慣などでもよいので
プレゼントしてあげてください
例えば、快眠できそうなストレッチを
夜眠る前に習慣として取り入れてみるとか
快眠できそうな飲み物だったり、音楽だったり・・・
寝具とか枕を替えてみるのもいいかもしれません

展覧会の準備で忙しい日々が続いていて
こちらも書けないことが多いですが、
きょうは週の始まりですし、明日は夏至ということもあって
すこしなにか書けたらと思います



人生の物語には、
とても幸せでうれしい・・・
順境のときもあれば、
できることなら、巡り会いたくなかった
辛いできごと
悲しいできごと
できることなら避けて通りたい逆境のときも
必ずあります

意識が高かったり、志が高かったりする方ほど、
人生の物語には、逆境も多かったりするように感じます

望まない逆境に直面してしまった時、ルサンチマン的な生き方を選んで生きていくのか
あるいは、ほんの少しでも感じられる光の側面に目を向けて
できる限り意識や行動を変えていくことで、光に向かって歩みを進めるのか・・・
おおきく分けると、この2択なのかもしれません。

常に前向きに生きることは、困難な時ももちろんあって、落ち込んでしまう時もたくさんあるかと思います。
そんな時は、それでも、いいのだと思います。
無理しすぎたり、躍起になって、現状を変えようとしても良いことは、なにもなかったりも
するので、落ち込みたい時には、落ち込むだけ落ち込んでみても良いのでは・・・と思ってしまいます。

ただ、落ち込むだけ落ち込んで、気持ちがすこし戻ってきて、その出来事をある程度落ち着いて見つめることができるようになったなら、そこからは、その出来事に関する“解釈”を見直してみることも大切で、もしも起きた出来事を自分以外のなにか・・・人だったり、環境だったり・・・に責任があるという思いや、責める気持ちが強かった場合には、他責する意識を少しだけ切り替えて、自分自身が人生の物語の執筆者で、同時に主人公であることを、ほんの少し思い出してみてはどうでしょうか。

その出来事を、ご自分が選んで自ら起こしたのかもしれない・・・その出来事から、なにかを経験したくて、なにかを得たくて、起こしたかもしれないという、全く別の角度から、その出来事を見つめてみるのもいいかもしれません。

もしも人生の物語の執筆者が自分自身で、主人公も自分自身であるなら、その経験は、きっとこれまでと違った生き方をするために必要な出来事だったのかもしれないですし、
これからの人生を歩むためには、自分をより深めていくためには、必要な出来事だったのかもしれないということもあると思います。

辛く悲しい出来事を味わうことで、
人への思いやりの気持ちが、これまでよりも、より深まったり、
これまではなかなか気づくっことができなかった人の優しさや思いやりに、
とても深く・・・感動できたり
感謝できたりする自分になったりするのかもしれません。


心理学のなかでも、引き受けという言葉ありますが、
人が何かのできごとなどを、他人の責任や環境の責任にしている間は、
解決はしないことが多いそうなのです。

なぜか、その人のこころが軽くなり、
その出来事から解放されるときには、ほとんどの方が、
自らにも責任があったことを認め、また、
その状況を自らが選んでいたことに気づいたりするなど、
その状況を自らが招いていたことを、
素直に引き受けされることが多いそうです。

ただ、この引き受けには、心の強さが大きく関係していて、
心の強さによって、そこにたどり着くまでに、
ある程度の時間も、人としての経験や意識なども必要かと思います。

誰にでも経験があるかもしれないですね・・・
誰かのせいにしてしまっているときには
解決しなかった問題が、
なぜか、自分に責任があった、自分がそうさせてしまっていたと認めることができたとき
不思議と、その問題がすーとほどけていくように
解決したりする経験があるかもしれないですね


人生の物語を描いたのも、
それを演じる主人公も、ご自分自身なのだということを、
ほんの意識されることで、
好きでもない物語に、やりたくもない役を演じさせられているという意識を
変えていくことができるのではないかなと思います。

もしも自分が描いた物語という意識で、
自分がその主人公という意識を持った際に、
どのような意図があって、どのように演じるのがふさわしいかという観点・・・
もってみても、面白いかもしれないなと思うのです。

辛くて、大変なときも・・・解決する力ももちろん大切ですが・・・
それをどうとらえるか・・・
どう解釈するのかという角度の視点・・・
ときには、すこし客観的にとらえてみて、

今こそが人生の物語の見どころで、
ここからどんな風に物語が展開されるか、
主人公的には、どんな生き方をしていきたいか・・・
ある意味、物語の執筆者的な視点で、その出来事を受け入れて、
想像して、さらにそこから創造してみても、面白いかもしれません。 

人生を創っていけるのは、だれでもない、
ご自分自身で、解釈によって、どのようにでも、
解釈することができるし、
そして、創っていけることもできるということを、
ときには思い出してみられることも、良いかもしれません。

2022年という年も、はやくももう半年が過ぎようとしています。
後半の半年・・・あたらしい幸せな物語を創るような気持で、日々を過ごされますように

泣き笑いが多い人生だったとして、
それはなにもないよりも、とても豊かな人生なのだと信じて・・・
そして、解釈して
ご自分にも
たいせつな方々にも
できるだけ・・・笑顔が多い物語を
プレゼントするような気持で
日々を過ごされますように!

あたらしい週のはじまり
今週も素敵な週を創る気持ちで
気持ちをあたらしく整えていきましょ!


口角をキュッとあげて
太陽の恵みをいっぱいに感じて
自然の恵みをいっぱいに感じて
健やかで
笑顔で
素敵な1日を創造していきましょ!








きらめく光 (きょうという1日の終わりに・・・)

2022年06月07日 09時19分53秒 | 自分をたいせつに・・・


まばゆいほど
きらきら輝く
朝陽のなかで
この世界は
まるで
すべてが
あたらしく
あたらしく
生まれ変わったかのように
どこまでも
どこまでも
みずみずしい
光を放つ

昨日の雨模様から一転
今朝は、どこまでも光が届くかのような
気持ちのよいお天気ですね

朝の間は、
日中にくらべると、
風もなんだかさわやかで
気持ちよいですよね

もうすぐ夏至をむかえるので、
ある意味
いまというこの季節は
光があふれている季節とも言えますよね

夏至を迎えると、徐々に日が短くなっていくので、
この光の季節
たいせつに
たいせつにしたくて、
日焼けはすこし気になるものの
やっぱり
お陽さまの光をいっぱい感じたい
そんな季節です

じつは、夏至がもうすぐということは、
今年もあと半分程・・・なのです

確認したら
きょうで158日が終了して、
残りは、207日・・・
もう200日程度なのです

以前ご紹介した 田坂広志先生も、ご著書のなかで
死生観について、書かれていらっしゃるのですが、
人は、必ず死ぬ。
人生は、一度しかない。
人は、いつ死ぬか分からない。
・・・

あたり前のように感じられる方もいらっしゃるかもしれません・・・

以前、研究機関に勤務していた際に
京都大学の死生観研究者の方が講演をしてくださったのですが
その際にも、似た感じのお話をしてくださいました
核家族が増加したことで、
身近な人の死というリアルな経験が減っていること・・・
それでいて、
ニュースや、ドラマ、ゲーム等のバーチャルな世界のなかでは、
日々たくさんの死に直面していること・・・
バーチャルの世界での死は、年間平均何件程度と・・・
お話ししてくださったのですが、その件数までは、
残念ながら、失念してしまいましたが、
言葉を失ったことがあるので、
かなりの数だったように認識しています

その講演で、現代人の多くは、以前の死生観とは大きく変化した
ある種歪んだ死生観を持つようになっている・・・
とも話されていらっしゃったことが、とても印象的でした

ひとは、繰り返される日々のなかで
いつしか・・・
このあたりまえに思えてしまう死生観を・・・
たいせつな真実を、
ほんとうの意味で
深く感じることはなくなってしまうように感じます。

余命が30日と言われれば
今日という1日が
いまというこの瞬間が
愛おしいほど大切で、掛け替えがない日だと思うことでしょう
その残された日々を
可能な限り・・・
大切な人たちとの幸せな時間に使ったり
やり残したことを出来得る限りされる方もいらっしゃるかもしれません
きっと・・・
これまでの過ごし方とは異なった
密度の濃い日々を送ることを意識されるのではないでしょうか

逆に
余命は、30年といわれると、
なんだか日々はぼんやりとしたものになり、
気がつけば、同じように感じる毎日を
どこまでも
ゆるんで、弛緩して過ごしてしまうかもしれません

きょうという日は
たった1つ
いまという時も
たった1つ
1日を、1瞬を
どんな風に捉えて
どのような使い方をするかは
それぞれの自由意志と選択にゆだねられているように感じます

お勤めをされていらっしゃる方ならば、
自由意志で、選択など
とてもできないと感じられる方も
いらっしゃるかもしれませんし、
そのお立場によっては、
難しいご事情もあられるかなと思います

それでも
意識しなくても
意識しても
平等に与えらえている
この毎日を
この時間を
どんな風に考えて過ごすかで
やはりおひとりおひとりの
意識の仕方なのかもしれないですね

どう日々を生きるかで
人生の密度は
やはり
とても変わってくるように思います

今年残された200数日を
まだまだたくさんある
と思わるのも良いでしょうし、
もう、200日程なのって、気持ちを引き締めるのも良いでしょうし
いろいろな考え方があって、
その考え方のどれもが、それぞれですし
どれがいいとか、悪いとかでもなく、その全てが良いようにも思います

わたしの場合は
のんびり屋さんにみられるのですが
どちらかというと
後者かもしれません・・・
今年したいなぁと思っていたこと、
半分もできていない・・・
ふと、そんな風に思ったからかもしれません

できることなら、
後悔のない日々を過ごしたいです

先日
わたしがとても信頼を寄せている方が
人は、死の間際になると
してしまった後悔よりも
しなかった後悔のほうが
重くのしかかるというお話をしてくださいました

とても印象的でした

後悔には
確かに大きく分けると2つありますよね

あんなことしなければ良かったという後悔・・・

そして、どうしてあの時こうしなかったのかという後悔・・・

後悔という感情は
その時起きた出来事ばかりでなく
その際に、あじわった感情の度合いによって、
その先の人生に大きな影響を及ぼす可能性があるかと思います

大きな罪を犯すのは別として
どちらかというと、
わたしは前者を選ぶ方です
わからないまま・・・というのが
すこし苦手だからかもしれません

ただ、大人になるにつれて
わからないままということも
時には必要なのかも・・・
白と黒だけでなくて
ときには、あいまいなグレーなどの中間色が落ち着くことがあるように・・・
そんな風に思えるようにもなりつつありますが・・・
それでも、やはり前者タイプでしょうね

お話がすこしずれてしまいましたが、
後悔のない日々をすごすために
密度の濃い日々を過ごすために
ときには
ときには
ほんのすこしでも死生観を意識されてみてもいいのかもしれません

きょうという日が
2度と再び訪れない大切な日であることを

そして
もしも
きょうという1日が
まだまだずっと続くと信じていた
人生という物語の
じつは
最後の
最後の
1ページだったなら
残された数行だったとしたなら

あなたは
どんな日を過ごしたいですか
なにを見て
なにを食べ
そして
誰と過ごしたいですか
そして
その人に
なにを伝えておきたいですか

そして最後に
自分に
なにを伝えたいですか

ありがとう!

楽しかったね!

よかった! 精一杯生きれたね

それとも

もっとやりたいことがあったのに・・・

全然足りなかった・・・


いろいろな
言葉が浮かんでくると思います

ちょっと、重いテーマだったかもしれません

こうした気持ちで
毎日を過ごすことは難しいかもしれませんが

ほんとうは
それほどまでに
日々というものは
時間というものは
意識しなければ
どこまでも
はかなくて
ははかなくて
消えていってしまうものなかもしれません

だからこそ
だからこそ
たいせつに
たいせつに
時々は
このようなことを
ほんのすこし感じてみると
日々が
時間が
とても愛おしくて
日々のできごとが
きらきらと
あたらしい輝きを
もたらしてくれるかもしれません
そして、どこまでも
日々がうつくしく
感じられるものかもしれません



なんだか
お説教っぽくなりましたが、
わたし自身にも
この文章は
贈りたいと思って書いています
ここ数日・・・
ちょっと弛緩した日々だったので・・・!

それでは、きょうという日

どうか笑顔で
そしてそれぞれの
お立場で
自分らしさを大切にしながら

世界で
たった一人の大切なご自分に

世界でたった1つの大切な1日を

最高の1日として

プレゼントするようなお気持ちで・・・お過ごしください


今日という日の終わりに

よかった!

今日も良い日だった!

そんな風に

笑顔で思える

そんな素敵な

1日の終わりをお迎えくださいね!