あおい空
生まれたばかりの
やわらなかみどりの木々
やさしく頬をなでる
さわやかな風
降りそそぐ光の束
昨日
熱田神宮へお参りしてきました
(またしてもっ)
あまりにもお天気がよく
あたたかな空気を感じて
ふと、訪れたくなりました
ここ最近
訪れることが習慣になりはじめ
以前は、なにか大切な前だったり
悩んだりしたときに訪れることが多かったのですが、
あまり構えずに、ふっと訪れたくなった時が
なにかしらのサインかもしれなくて
もう少し気軽に、フットワークを軽く・・・
そんな直感的な気持ちを大切にしたいなって思います
昨日はお天気もよく
空も青く澄んで
東門をくぐると
別世界
空気が澄んでいて、
ニワトリやハトたちがのんびりと遊んでいて
生まれたての新緑の
緑がやさしくて
木漏れ日のお陽さまの光がきらきらと
熱田の森を照らします
心地よいな
心が喜んでいるのがわかります
気がつくと
顔の表情も自然とやさしくなっていくよう
直接お参りする前の
境内を歩いている瞬間から
もうすでに、思考が洗われるよう
そんな気持ちになります
なにも、意気込んで、これこれこういうお願いを!
っと思わなくても、自然とお話したいことも
浮かんできます
なんならお参りしなくても
この気持ちよい聖域を歩いているだけで、
おおきな安心感につつまれます
来てよかった!
ここちよい風と
あたたかな光の中
鳥の楽し気なさえずりに
心が動きだすようです
もっと近かったら
毎日散歩したくなるでしょうね
参拝すると
気も引き締まって
おおきなおおきな愛につつまれるような
心があたたかくなるような
そして清々しくなるような・・・
言葉の表現って少ないですね
もっとお伝えできたらいいのですが
なにかパワーをいただくとか
お願いごとを叶えていただくとか
そういう感じよりは、
ただ日々の感謝とかそんな気持ちをお伝えするだけで
自分のなかで、眠ってしまっていたような
大切ななにかが、スイッチがONするような気がします
その感覚こそが、とても大切だと思います
そして、
訪れる神社も
きっと相性があるのではないかなって思うのです
なんとなく惹かれるとか
この神社に来ると、歓迎されているような
うれしい気持ちになれるとか
そうした感覚って、数値であらわれるものでないので、
あくまで、ご自身の感覚なのですが
そうした神社を見つけたり、ご挨拶に訪れるのは
日本人として生まれたわたしたちには
とても大切なことかもしれないですね
宗教に特化した考えとはまたすこし違って、日本人のなかには
すでに自然と組み込まれているたいせつな感覚だと思います
ここさいきん
こうした神社のお話しや、
ちょっとスピリチュアルなお話をこちらで書くことが増えてきました
コロナウィルスの関係で
外部との接触も、否が応でもすくなくなり
自分自身の内面と向き合うことが多くなっているというのもあります
また、そういう時間をわたしだけでなく、たくさんの方々が感じているのではないでしょうか
幼かったころ
花とはなしたり
木々とはなしたり
お天気が悪くても、お願いすると晴れになったり
見たこともないはずの龍の絵を描いたり
神様の存在を感じて、お話したり
いわゆる目に見えない世界と
あたりまえのようにつながっていたように思います
いわゆる不思議な変わった子だったかもしれません
ただ、いわゆる怖いとか、幽霊とかっていう存在に関しては、
まったく無縁で、一度もみたことはありません
大きくなるにつれて、大人になるにつれ、生活する上では、こうしたことって
ひょっとして私って、かなり変わってるのなって気がついて
閉じてしまった気がします
それでも、作品作りをするようになってから、
わたしの作品つくりの世界では、
花や植物たちと、対話するように作品つくりをするので、
その感覚がとても心地よくて
自然と受け入れるようになり、同時に子供の頃に感じていた感覚も自然と戻ってきたように感じています
作品つくりを通して、
その絵と出会ってくださり、迎え入れてくださる
ご縁ある方々が、
迎え入れてくださったご縁のあった作品とともに、
日々のふとした瞬間に、その作品とひとときでも
幸せな時間を過ごしていただけたら・・・
そして、その方々のなかにある、その人らしい笑顔に戻れる
一助になれたなら
なによりもうれしいことなのです
日々のなかのちいさな・・・ふとした瞬間って
とてもちいさな気がしますが、
それでも、その瞬間瞬間の笑顔の積み重ねもとっても大切で、
その積み重ねの一つ一つが
その人らしさと、その人の未来の礎になるのだと思いますし、
そのちいさな時間こそが、おおきな時間につながっていると思うので、
とても意味ある大切なことだと信じています
草花たちは声は、もちろん直接聞こえないかもしれませんが、
なぜだかわたしには、お陽さまにむかって、笑顔で歌っているように感じます
そして、この世界は美しいということを、輝いているということを伝えたい、そして笑顔の時間を贈りたいって
なんだか懸命に思っている気がするのです、
わたしは、その想いを形にする楽器みたいなものなのかなって
思ったりしています
作品つくりをしているときは、自我がつよすぎると良くないなって思うので、
できるだけ、ニュートラルな状態で、プラスにもマイナスでもない
真ん中にいる
ある意味、楽しみながらも、情熱を持ちながらも、淡々とするところは淡々と
そんなふうに、向かうように気をつけています
それでも、忙しくなったり、目的が変わってしまうと
この感覚から大きくずれてしまうので、今後はさらに、そのことに気をつけて、
気を引きしめて大切にしていきたいと思います
なかには、こうした精神世界的なことって、
苦手な方もいらっしゃるので、もちろんその感覚も、大切で、
それを否定する気持ちもないですし、
その感覚も大切だと、思っています。
むしろ、精神世界に傾きすぎては、実生活が疎かになるようなことは、
本末転倒で、ふわっとしたファンタジーなスピリチュアルには、
なぜだか、いい感覚を覚えないところが、わたしにもあります。
現実生活をより充実させることができ、自分自身も、大切な人たちも心地よく幸せな時間を過ごせてこその人生
できることなら、パワフルに人生をクリエイトしたい。
そのあくまで一部として、自分自身について理解するためのツールとして、
スピリチュアルな感覚も、否定したくないという感じです。
でも、人によって、とらえ方も様々なので、
できるだけ、あまりお話ししないようにもしていましたが、
多様性の時代
そしてこの混沌とした変革の時代
自分のなかのもともとある神性に、
たくさんの方が気がついて
日々の中で、自然と本来の心地よい自分でいられる
そんなことが、とても大切な時代に移行したようにも感じます
こうしたお話も、時には、気分転換にいいのかもしれないと思い、
ちょっとずつ小出しに・・・
書いていけたらと思います
きょうも笑顔で心地よい時間を過ごせますように
健やかな日々があたりまえでないことに感謝できる日でありますように