おはようございますかな、MAOです。
12時前に寝て起きて、今まで起きています(⌒-⌒; )
もう少し寝ようかな。
先日、「キネマの神様」を観ました。
最初に、沢田研二さんが、78才のギャンブル依存症、
アルコール依存症で、借金をして競馬をする…
こんな主人やお父さんは嫌だ、と思われるような役から
始まりましたので、この人が主人公って、ヤダなぁ…
こんな人は嫌だとか、こんな老後は嫌だとか、もう
最悪の人生だわ、と思いながら見始めました。
ストーリー自体は、先が読めるというか、安心して
観れる話なのですが、今の年取ってダメになった
おじさんを演じる沢田研二さんと、若い時の思い出の
時代を演じる菅田将暉さんのギャップを観ていると、
何だか、人間の人生って儚い、虚しい感じがしました。
自分も、若い頃から自分なりに一生懸命生きていて、
少しずつ歳を取りながら、その時の精いっぱいを生きて
います。
あの時、別の進路を選んでいたら、もっと、やりがいが
ある仕事で、人生が違っていたんじゃないだろうか…
違う人と結婚していたら、どうだったんだろうとか…。
映画の話とは、外れていきますが、たとえば、駆け落ち
して、好きな人と一緒になって、幸せいっぱいの瞬間を
切り取ったら、幸せだけど、
その後の現実の生活は大変だろうし、駆け落ちしてから
甘い幸せな生活は考えにくいし、そこから老後まで、
波瀾万丈だった場合、駆け落ちしたのが幸せだったと
思えるのか、後悔したりするのか、
また、燃え上がるような恋愛を諦めて、親が勧める人と
結婚しても、生活が穏やかで、老後も孫の世話が
できたりして、そこそこ幸せだったら、いい人生だった
と思えるのか、やっぱり好きな人と結婚できなかった
ことを一生悔やむのか、
結局…歳を取った時の、「その時の今」の瞬間が重要な
感じがして、歳を取った時に、今幸せと感じられたら、
人生での選択が、全部良かったと思えるのかも知れない
なぁ、と思いました。
主人とよく、結果が大事か、過程が大事か、って話を
しますが、主人は、結果が大事って言います。
それが、こういうことかな、と思います。
どんなにカッコいい人も、夢に向かってがんばってる人
も、かわいい女の子も、歳を取って、老後がやってくる
ということが、
分かっていることなんだけど、この映画で、すご〜く
実感しました。見たくないものを見た、という表現は
おかしいかな。
ひとつの人生の結果は、老後、または、死ぬ間際、って
いうことになります。
普通に無意識に生きていたら、その「結果」の
良し悪し=幸せか不幸かが、
お金があるかないか、健康か病気か、家族がいるか
1人暮らしか、自分に社会的な地位があるかないか
などなど、自分の周りの状態で、決まることが多いと
思います。
だけど、周りの状態に関係なく、自分の心が幸せである
ことが大事な気がします。人生のいい結果に繋がるため
には、そんな過程が大事だと思います。
映画の中のよしこちゃんは、観てる方からは分からな
かったけど、もしかしたら、幸せだったかも知れない
です。
人生の過程で、常に物事を明るく受け止めることが
できるようになれば、最後に、いい人生だったと思える
可能性が高いのではないか、と思います。
ちょうど、今、高齢で、やや認知症で、目が見えず、
うつ病気味の姑の人生と重なりましたので、いろいろ
考えさせられました。
最後は、もう、こういう展開だろうと分かっているのに
泣きそうになって、我慢していましたが、エンディング
の菅田将暉さんの歌で、少し泣いてしまいました。
「うたかた歌」だったかな。