かなり久々の投稿になります。
さて今回は、以前に新潟県上越に住んでいる友達のところに行った時の写真を
アップしたいと思います。
上越市の大町というところにある、「旧師団長館舎」に連れて行ってもらいました。
木の間から瀟洒な建物が見えました。
旧陸軍第十三師団第三代師団長、長岡外史(ながおかがいし)中将です。
師団長館舎としてこれを建てた方ですね。
とても立派なお髭ですね…
何を使って固めていたのでしょうか…
そもそも、本当にこのようなお髭だったのか…
振り向いたとき、人に当たらなかったのか…
と、疑問は尽きませんが、建物の話に戻りましょう。
パンフレットによると
創立は明治43年(1910)、
建物の設計者は、旧陸軍経理部技手、加藤栄太郎で
施工者は、西頸城郡能生町高島組(高島順作)。
米1升が12銭の当時に、建築費用は13300円だったそうです。
内部はこのような感じです。
男子応接室。
半温室。
書斎。
階段の踊り場から。
この赤い絨毯が、いかにも洋館という感じがしました。
二階には和室もありました。
和室を借りることもできるようでした。
一室一時間につき100円、とパンフレットにはあります。
お茶会などに良さそうですね。
二階の窓からは日本庭園が見えました。
もっと詳しく知りたい方は、上越市のHPをご覧下さい。
今回は庄内からだいぶ離れて、アメリカでとった写真を載せてみました。
高校2年のとき、国際コースというクラスだったので
アメリカに語学研修に行った時の写真です。
↑アメリカに着く前に撮った写真です。
このころはまだフィルムカメラが主流でしたね。
スキャナーで取り込んでみました。
アメリカに語学研修に行った時の写真です。
↑アメリカに着く前に撮った写真です。
このころはまだフィルムカメラが主流でしたね。
スキャナーで取り込んでみました。
L.Aから3時間くらいはかかるところだったでしょうか、
ロンポックという町にホームステイをしました。
確か、花の栽培が盛んな町だったと記憶しています。
私がホームステイした、ハッチャー家の庭です。
ハッチャー家は、パパのネイル(Neil)、ママのスージー(Susi)、
確か、花の栽培が盛んな町だったと記憶しています。
私がホームステイした、ハッチャー家の庭です。
ハッチャー家は、パパのネイル(Neil)、ママのスージー(Susi)、
当時小学生のアール(Earl)の三人家族でした。
さすがアメリカ、庭も広いなあと感心しましたね。
さすがアメリカ、庭も広いなあと感心しましたね。
↓そしてこれが家の前の道路です。
日本では国道ぐらいの広さですよね。
一家族に一人がホームステイしたので、
最初の1週間は時間がとても長く感じられました。
月曜から金曜は近くの建物を借りて、クラスのみんなと英語の授業を受け、
最初の1週間は時間がとても長く感じられました。
月曜から金曜は近くの建物を借りて、クラスのみんなと英語の授業を受け、
週末はホストファミリーと過ごす、というスタイルでした。
ホストファミリーは馬を持っていたので乗せてもらったのですが、
高所恐怖症の私はずっと叫んでましたね
馬に乗ると結構高いんですよねぇ。
高所恐怖症の私はずっと叫んでましたね
馬に乗ると結構高いんですよねぇ。
…二度乗りません、ハイ。
別の週末には海にも連れて行ってもらいました。
山形に住んでいるとあまり見る機会のない太平洋です。
↑とてもきれいな海で感動しました!
そしてこのビーチには、6人乗りの自転車があってみんなで乗りました。
屋根もあって快適でしたよ。何かウケたし
そしてこのビーチには、6人乗りの自転車があってみんなで乗りました。
屋根もあって快適でしたよ。何かウケたし
この語学研修は修学旅行も兼ねていたので(他のクラスは当時シンガポールでした)
ディズニーランドとユニバーサルスタジオにも行きました。
ディズニーランドとユニバーサルスタジオにも行きました。
親にはお金を使わせてしまいましたが、
いい社会勉強をさせてもらったなと思いますね。
CREA TRAVELLER (クレア トラベラー) 2008年 08月号 [雑誌] 文藝春秋 このアイテムの詳細を見る |
神奈川県に住む友達に会いに行ったときに、
連れて行ってもらった赤レンガ倉庫です!
古い物好きな私はかなり感動しました!
でも中はおしゃれなお店がいっぱいで、これまた楽しめましたね~。
天気も良くて最高でした!
ぜひまた行きたい場所№1です。