足が動かない
一歩も踏み出せなくなる
どうやって足を前に出すんだっけ
そんな感覚。
すごいエッセイに出会った。
心の中で唸る。
構成、使う言葉、最後のオチ、伝えたいことの軸、テーマ
正直作者的にこんな文章を書く人だとは思っていなかった。
すぐにポケットに入っていたスマホを取り出し、メモアプリに下書きしてあった自分の文章にDeleatを連打した。
こんな構成じゃあ面白くない。
こんな言葉じゃあかっこよくない。
あっという間に真っ白になったメモアプリ。
でもあんな風に書けない。
文字が一文字も思い浮かばなくなった。
あんなに書きたいことがあったのに。
絵を描くこともそうだった。
私は小さい頃絵を描くことが大好きで、小学校のお昼休みは必ず真っ白の自由帳に絵を描いて遊んでいた。
特別、上手だねと言われたこともなかったし、当時どんな感情で描いていたか正直あまり覚えていないが、
ただ描くことが好きだったのだと思う。
でもある時気がついてしまった。あれは確か小学2年生の時。
自分の絵が衝撃的に下手なことを。。。
今の私からすれば、下手と言っても小さい子が描く絵の特徴そのもの。
頭と胴体が繋がっていて首がなくて、
腕と足がひょろひょろで、
髪の毛が異様に長い(長い髪の毛の憧れは、誰にでもあったはず!笑)。
当時の私は自分が漫画家のように描けているとでも思っていたのだろうか。
だとしたらすごい思い上がりだ。
でもその時の私は、本の中の絵と自分の絵の違いに気づき、圧倒されてしまった。
この下手さからあんなに上手く描けるようになるはずがない。
努力という言葉をまだ知らず、才能という言葉だけ知っていた私は、
あんなに好きだったお絵かきをパタッと辞めた。
そして絵が下手というレッテルを自分で自分に貼り、絵を描くことを長年嫌い続けた。
好きなことを本当はやりたいのに、やらなくなったことはまだある。
小学校高学年のお話を書くことも、
高校生の時にやっていたギターも、
小さい頃から憧れて、やっと大学の時にはじめた演劇も、
みんな今は辞めてしまった。
これ以上自分はできないと、限界線を自分で引っ張った。
正直、そのまま続けてどこまでできたか分からない。そこか本当に限界だったのかもしれない。
でもその先にある選択しなかった未来を知らないからこそ、勿体なかったと今では思う。
続けた人にしかみえない世界があることを知っているから。
足踏み状態のまま、先日ある雑誌でインタビュー記事を読んだ。
「私、すごい人を真似してみるんです。」
そうか。まずは真似してみればいいのか。
真似しても、全く同じにはならない。そこからオリジナルになる。
そうして書いているのがこの文章。
一歩足の踏み出し方を教わった気がした。