Luck Key 7🗝

明るくなれるように
誰かのために
自分のために
Essay

一歩の踏み出し方

2022-01-30 21:56:00 | 日記

足が動かない
一歩も踏み出せなくなる
どうやって足を前に出すんだっけ
そんな感覚。

すごいエッセイに出会った。
心の中で唸る。
構成、使う言葉、最後のオチ、伝えたいことの軸、テーマ
正直作者的にこんな文章を書く人だとは思っていなかった。

すぐにポケットに入っていたスマホを取り出し、メモアプリに下書きしてあった自分の文章にDeleatを連打した。
こんな構成じゃあ面白くない。
こんな言葉じゃあかっこよくない。
あっという間に真っ白になったメモアプリ。
でもあんな風に書けない。
文字が一文字も思い浮かばなくなった。
あんなに書きたいことがあったのに。

絵を描くこともそうだった。
私は小さい頃絵を描くことが大好きで、小学校のお昼休みは必ず真っ白の自由帳に絵を描いて遊んでいた。
特別、上手だねと言われたこともなかったし、当時どんな感情で描いていたか正直あまり覚えていないが、
ただ描くことが好きだったのだと思う。
でもある時気がついてしまった。あれは確か小学2年生の時。
自分の絵が衝撃的に下手なことを。。。
今の私からすれば、下手と言っても小さい子が描く絵の特徴そのもの。
頭と胴体が繋がっていて首がなくて、
腕と足がひょろひょろで、
髪の毛が異様に長い(長い髪の毛の憧れは、誰にでもあったはず!笑)。
当時の私は自分が漫画家のように描けているとでも思っていたのだろうか。
だとしたらすごい思い上がりだ。
でもその時の私は、本の中の絵と自分の絵の違いに気づき、圧倒されてしまった。
この下手さからあんなに上手く描けるようになるはずがない。
努力という言葉をまだ知らず、才能という言葉だけ知っていた私は、
あんなに好きだったお絵かきをパタッと辞めた。
そして絵が下手というレッテルを自分で自分に貼り、絵を描くことを長年嫌い続けた。

好きなことを本当はやりたいのに、やらなくなったことはまだある。
小学校高学年のお話を書くことも、
高校生の時にやっていたギターも、
小さい頃から憧れて、やっと大学の時にはじめた演劇も、
みんな今は辞めてしまった。
これ以上自分はできないと、限界線を自分で引っ張った。

正直、そのまま続けてどこまでできたか分からない。そこか本当に限界だったのかもしれない。
でもその先にある選択しなかった未来を知らないからこそ、勿体なかったと今では思う。

続けた人にしかみえない世界があることを知っているから。

足踏み状態のまま、先日ある雑誌でインタビュー記事を読んだ。
「私、すごい人を真似してみるんです。」
そうか。まずは真似してみればいいのか。
真似しても、全く同じにはならない。そこからオリジナルになる。

そうして書いているのがこの文章。
一歩足の踏み出し方を教わった気がした。


今、大事にしたいこと

2022-01-23 10:13:00 | 日記


原田マハの「独立記念日」を読んだ。

人と人との触れ合い、繋がり、出会い

短編だけど、少しずつ繋がっている。
一つのストーリーが終わった後も、
その先を覗き見してるような、
登場人物の人生が続いていく感じが、
現実ではできないからこそ読みがいがあった。
最後のお話しを読み終わった後、
「まさしく、こういう本が読んでみたかったんだ!」
と思わず心の中で叫んだほどだ。

でもこのコロナ禍、
人と人との繋がりが減った。
いや、接客業からIT業界に転職したせいかもしれない。
どちらにしろ、最近話す人といえば、
家族と職場の人。
そこに人生のターニングポイントとなるような人との出会いは(今のところまだ)ないし、
人との繋がりを楽しめることも少ない。
相手の笑顔がマスクで見えないからだろうか。

コロナ前は、接客業をしていた時は、
良いことも悪いことも含めて、人との出会いの面白さに気づき始めていた頃だった。

それでも今も、全く人と会わないわけじゃない。
出社はするから、会社の人とたくさんではないけれど、業務内容くらいは話す。
電車に乗るから、そこで席を譲ったり、ぶつかるのを避けたり。
買い物も時々するから、店員さんとも、
「一括払いでいいですか?」
「はい」
くらいは言葉を交わす。
毎日会話するからこそ当たり前になっちゃってたけど、家族とも会話をする。

幸い、誰とも交流がないわけじゃない。
だったら、この小さな円の中の人たちとの会話だけでも大切にしようと思った。
今ある出会いを一つひとつ。

しっかり目を見て、聞いて、自分が考えたことを話す。
言葉のキャッチボール。

何気ない毎日で忘れてたこと。

コロナ禍ではあるけど、
だからこそ、
人との繋がりを大事にしよう。

小説の中の人たちのように、どこかで繋がってることを想像しながら。


孤独と存在意義

2022-01-21 12:05:00 | 日記


「変わってるね」
この言葉が小さい頃の私にとって褒め言葉だった。
そう言われたくて、わざと少し変わった言動をやってた時期もある。

他の人と違うことが嬉しくて、
少数派である分、そこに存在意義があると、
当時の私は信じていた。

そこから何年経っただろう。
もうすぐ20年経つだろうか。

「変わってるね」
この言葉はもう耳にしなくなった。
代わりに空気で感じる。

私、少し周りとずれてるかも。

そこに「存在意義」ではなく、「孤立」を感じるようになった。

家族と話していても、驚かれたり、
同僚と話していても、話が噛み合わなかったり。

自分を表現することは好きだけれど
決まって変な空気になる
それを恐れていつのまにか自分を表現するのが怖くなった
口をあまり開かなくなった

その方が楽だ…



そんな私が唯一自分を表現できる場所
それが文章だ
そう自分に言い聞かせる

変わってるから書けることがある
変わってる中にも、共通することがあるから

孤独を感じない人はいない
孤独を感じなくなることはない

だったらこの孤独が、文章となり、
そしてこの文章が存在意義に繋がることを目指して
私は今日も文章を書く。

この文が誰かの心を動かせる日を目指して

昨日と今日と明日の境目に生きる

2022-01-20 09:56:00 | 日記

地下駅から地上に出ると、太陽の眩しい光の代わりに、
家に帰りまったりタイムの人々の部屋の明かりで構成された、オレンジ色や白色の夜景が広がっていた

今日の夜から働いて、明日の朝に家に帰る
昨日の夜から働いて、今日の朝に家に帰る

どっちが正しいのだろう

どっちも同じことだ

時々夜に働くと、一日の境目が分からなくなる。

今日は昨日と明日、どちらに含まれるのだろうと

占いだったら昨日のこと?明日のこと?

改めて、1日に境目なんてないことに気付かされる

朝に新しい一日が始まって、夜に一日が終わるなんて、
私たち人間が勝手に決めたことに過ぎない。
いつだって一日は地続きで、
昨日も今日も明日も「今」の連続で繋がっている

今、目の前の状況は、昨日の自分が作りだしたもの
今の行いが未来を創る

そう考えると怠けていては、同じ日々が続いてしまうことを思い知らされ、
努力の大切さを思い知らされる。

それでもやっぱり太陽の光を浴びると一日の始まりを感じるし、
気持ちもリセットされ、まだはじまったばかりの今日のために頑張りたくなるものだ。

そんなことを考えていたら、
電車窓から見える空がピンク色に染まっていた。


さぁ、今日も一日がはじまる

2022-01-18 21:14:00 | 短編小説


残業終わりの帰り道、ふと気づいた。
仕事が終わったのにあなたのことを考えてる。

あなたの優しい声のことを、電車に乗ってる間ずっと頭の中でループしてた。

残業終わりなのに、疲れよりむしろ楽しかったの方が勝る。

笑顔の目元を思い出すと、不思議と私もマスクの下で笑っていた。

ああ、これが恋ってやつか。

久しぶりだ。この想い。この感情。

だけど分かってる。
この恋が実る可能性が低いことを。

次の日から会話がギクシャクし始める。
まともに目を合わせることもうまくできない。
意識すればするほど、どんどん遠ざかる。

とことん不器用だ。
それはきっと恋の経験が少ないから。

昼休み、友達からの結婚式の招待状の返事をしなきゃと思い出す。
昨日会った友達も同棲してるって言ってたっけ。

周りの「結婚」「彼氏」「同棲」の声が私を余計に暗闇に放り込む

恋なんてしてる場合じゃない年齢

こんな私でもいつか結婚できるのだろうか。

一体いつまでこんな状態が続くんだろう。



“私はあなたに恋をしました。
それが苦しくて苦しくてたまりません。
どうかこの恋よ実ってください。
出なければ恋の蕾みよ、そのままとじて。”