お昼ごろ
ゆめちゃん家のKくんとパパさんが
真虎におやつを持って来てくれました
食いしん坊なので
きっと喜んでいると思います
ありがとう
いつもの散歩道
大好きな公園等々を車でまわって
15時、霊園です
真虎と別れるのがいやでいやで
このまま家に戻ろう
と、旦那に言いました
旦那は
剥製にするのか?
と。。。
2015年11月6日生まれ
5歳4ヶ月
あまり手のかからなかった真虎
ちょっと臆病で、ちょっとせっかちで
泣き虫で、寂しがり屋で
甘えん坊で、痛いのは嫌いで
我慢も嫌い、食いしん坊で
優しくて
くりくりした目が忘れなれない
我が家に生まれてきてくれて
ありがとう
そして
お花をいただいた皆様
ありがとうございました
(この記事はR3.4/8に書いたものです)
口元等が汚れてしまったので
シャンプーをお願いしました
15時頃になるそうなので
一旦帰宅しました
真虎、急変の連絡を受けた時
あわてて家を出ので
遅くなったけど
絢愛に、朝ごはんを食べさせました
そして
1階の事務所を片づけました
感のいい絢愛は
きっと
雰囲気で感じていると思うけど
真虎が亡くなった事
気付かれないように。。。
1階の事務所に真虎は
帰ってきます
病院に向かっている途中2時半ごろ
シャンプーが終わった
と、連絡が入りました
病院で担当の先生と話したこと
思い出せない
院長が手術中で、挨拶できなくて。。。
みたいなことは言ってたと思う
綺麗になった真虎を乗せて
お家に向かいました
お家に帰る途中で、お花を買いました
お家に着いて
絢愛の散歩と、晩ご飯を済ませました
ゆめちゃん家の皆さんが
お花を持って
真虎に会いに来てくれました
ありがとうございました
最後の夜
真虎は、いつものように旦那と一緒にすごしました
(この記事はR3.4/8に書いたものです)
令和3年4月6日
真虎
亡くなりました
4月5日
19時25分頃 晩ごはん食べ終わってすぐ
痙攣がはじまりました
10分ほどしても痙攣は、治まりませんでした
かかりつけの病院に電話しました
少し様子を見るように指示されました
少し治まったかのように見えたけど
また痙攣がはじまりました
病院に再度連絡
病院に真虎を連れてくるように。。。
病院に移動する間も
10回ほど痙攣が起きました
真虎は、時々ヒーヒー鳴き声をあげていました
がんばれ!
と、何度も願いました
病院に到着して
処置をしてもらいました
血の検査、点滴
痙攣が治まらないと、脳のダメージが大きくなるので
マイケルジャクソンが使用していた
麻酔をかけて眠らせて痙攣を抑えます
血液検査の結果
血栓の値も、異常はないみたいでした
病院内に残って、真虎の側にいることは難しい
と、院長にいわれました
心配なので
病院の前のホテルに泊まることにしました
ホテルの人に事情を説明して
夜中の出入りの許可をしてもらいました
夜中1時に面会しました
口からは、食べたフードがタラタラでていました
鼻からも血が混ざったフードがでています
麻酔をかけているけど
完全には眠っていない状態でした
真虎を診ている女医に、不安を感じてました
かかりつけの病院は、ほかにも医者が数名いるのだけど
たまたま、夜間はこの女医でした
素人に毛がはえたみたいな人
ホテルに戻って
朝6時に面会です
まだ、口からタラタラごはんが
流れ出てました
強い吐き気止めを入れたそうです
心配です
ラッキーが亡くなった時と、同じ様な感じです
熱は
一旦下がっていたけど
また、上がってました
朝8時くらいには、ほかの先生も来る
とのことなので
なんかもやもやしたまま
絢愛を留守番させているので
一旦、帰宅しました
私は、絢愛のトイレの為、散歩を軽くすませました
朝ごはんを食べさせてから
病院に向かおう
と、思ってました
9時頃
麻酔の量を調節して
ゆっくり目を覚ませていく予定だと
聞いていました
旦那は
一足先に9時前に、病院の近くに到着していたので
コンビニにいたそうです
そして
真虎が急変した
と、電話が入りました
旦那が病院に着いた時には
人工呼吸器をつけ
心臓マッサージをしていたそうです
まだ、数値もましだった
みたいなことを言ってました
私が
旦那から連絡を受けて
病院に着いた時にも、心臓マッサージをしているところでした
朝、吐いて急変した
と、先生が言ってたと思います
それをじっくり聞く余裕が
私にはなかったです
数値は、だんだん悪くなり
足も冷たくなってきました
もう、自力で心臓は動いていません
1時間半ほど
心臓マッサージしてもらったけど
心臓は動かなかったです
11時10分前だった
と、旦那が言ってました
管を外してもらいました
私は、涙が止まらず
だだ、真虎をさすってあげることしか
できませんでした
(この記事はR3.4/8に書いたものです)