真衣のブログ

たまに入院しますが前向きに生きてます(╹◡╹)♡

暑いわね〜🥵

2024-07-08 13:06:00 | 日記

今日の朝の番組は

都知事選の話題で持ちきりで

ま〜ね

都民ではないから

選挙には参加してなかったけど

ちょっと選挙に関係ある話しを

書いてみるね

実は日本は意外にも

早くから行われていたんだよ

幕末が舞台の時代劇で

欧米は選挙と言う物で
代表者を決めていて
日本には無い事で
なんて素晴らしい事かと

こんなセリフがあったりするけど

ちょっと誤解があるんだよね(^^)

確かに選挙って名前ではないけど

入れ札って制度があったんだよ

特に農村部
(城下町から離れた農村地帯)

この農村を運営していく役人を

決める時に入れ札をしてたんだよ

つまり投票による選挙が

行われていたんだよ😃

盛んになったのは江戸時代中頃で

徳川吉宗が行った

享保の改革、、、

幕府財政が厳しいから

今で言う大幅な増税だよ

当然、農家の生活は圧迫され

暮らしが二極化され

金持ちと貧乏人の差が広がり

力のある農家は開拓したり

米以外の農産物を作って

収入を増やし豪農となるけど

逆に力のない農家は

自分の田畑を手放して

年貢込みの小作料を払い

所謂、小作人になる訳ね

やっぱり小作料など

不平不満が出て

村役人に訴え出したんだよ

村役人は武士ってイメージだけど

実は、、、

東日本地方では名主

西日本地方では庄屋と

呼ばれていて

その村役人は世襲制で

庄屋、名主が村役人をしてたんだよ

ただ、享保の改革以後は

小作人達の暮らしはきつく

年貢の徴収で不正があったり

横暴な徴収があったりする事が

多くなり

これは、村全体の不利益だと

小作人達が村役人を(庄屋や名主)

飛び越えて村の領主に訴えて

村方騒動を起こすようになり

で、、その結果

村役人は世襲でなく

立場の弱い農民から

支持される人を村役人を

選ぶような制度が生まれたんだよ

では、村役人をどうやって

決めたか、、、だよね

これが入れ札なんだよ

具体的な記録ですが

幕末の記録には

現在の長野県の佐久間良子町

なんだけどね

先ずは有権者の名簿を作り

人数分の投票用紙を有権者に配り

ちなみに、、

この記録を見たら

女性も3名入っていて

つまり戸主であれば

選挙権があったんだよ(^。^)

投票場では本人確認の割り印を

押して候補者の名前を書いて

投票するんだよ

これで最多の投票を獲得した人が

村役人になるんだよ(^。^)

被選挙権のある人は

本百姓と言う人達だけどね

小作人は選挙には出られません

それに農家の戸主だけで

戸主意外は選挙にはいけません

だから今と違い

公平な選挙とは言えないけど

より良い村作りの為に

より農民が豊かに暮らせる為に

入れ札制度があったんだから

凄いと思わない?

しかも、女性でも戸主になれたし

入れ札にも参加出来ていたんだよ

それに江戸ではないけど

町役人も入れ札で
(城下町の役人ね)

決めていた地域もあるんだよ

町役人を入れ札で決めていた

地域はね

投票権は長屋暮らしの人達にも
(ほとんどの町人商人」あ

あったんだよ

江戸時代の地方自治は

入れ札制度で

結構上手く行ってたんだよ

切り捨てごめん

大名行列などイメージと

違い事を書いて来たけど

都知事選にちなみ

江戸時代の選挙について

書いてみました(^◇^)

真衣










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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ukuleleman)
2024-07-08 13:17:52
🍉🥵🍦
返信する
いいね! (あぁちゃん)
2024-07-08 14:01:11
ときがかわっても変わらぬですね・・

はなまる五つをよいことだけ上げます!
     💮💮💮💮💮


 異常に暑い日が、、
熱中症にはくれぐれもご自愛ください。
返信する
Unknown (luffy000616)
2024-07-08 14:09:47
ありがとう😊
本当に暑いね〜🥵
あぁちゃんも暑さには
気をつけてね(o^^o)
返信する
Unknown (ぐふ)
2024-07-08 16:04:55
暑いですね、頑張られてるとつい、ケアを忘れがちなので、どうかいたわってくださいね。

入れ札・・ぉぉ、そういう言葉を忘れていました。
ちょっと苦い事申をさねばなりません。
 享保の改革の頃の「改革」は、今で予め使われるところの粗悪なことではなく、およそ結果的によくなったことでしか後世(昭和末まで)使われていませんでした。享保の改革は、むしろ入れ札制度の導入だったかと。
ちなみに、ルターの宗教改革は、あまり確たる良いイメージでもありませんでしたが、それでも、最近までに従来とは違う内容に変えられた様子。
現在は、歴史づかい言葉の好感覚イメージを利用して、キャッチにのぼせている人が出てきて、大多数の生半可な学習で済ました人をまんまと騙してる。
吉宗の話に戻りますと、
やり方を許可したのは吉宗のほうで、そのために庶民の意見を広くひろっていた(聞く)現われが目安箱。最近までにちらっと聞こえたところによれば、これも全然違う説明になってるから用心してね。
江戸時代が好きなわけではないけど、吉宗は知将の筆頭でした。
幕政の足を引っ張ったのが、なんといっても作物が穫れなくなる飢饉。
吉宗のやり方、つまり「庶民の意見を知る制度」
が廃れるのと飢饉は一致してきます。
一揆が起こったりし、その結果、各所、意見を封じられるしわ寄せが、残った罪もない人々への苦しみごとになったようです。

どうも、忘れてしまいかけたこと、思い出させてくれてありがとうございます。

そういえば、若い頃にすでに日本史がやられるとの情報があったことも思い出しました。こういうことだったんだなって。。。
返信する
Unknown (luffy000616)
2024-07-08 16:34:07
こんにちは😃
教科書も随分と変わりましたね
聖徳太子は厩戸皇子になったり
坂本龍馬も無くなるみたいよ
鎖国も無くなるとか、、、
ま〜幕府の許可を得て
薩摩や対馬、北海道の松前藩は
貿易をしてましたからね〜(^^)
うちの娘も
〜の変 〜の乱 〜の役
変、乱、役 の違いを
知りませんですからね😅
蒙古襲来の文永の役と
弘安の役も日本の武士は
役に立たないで
台風(神風)により助けられた
なんて事にされていたけど
全く違った訳で、、、ね
明治天皇の玄孫で
元宮家だった竹田恒泰さんが
書いた国史の教科書が
初めて教科書検定に合格したけど
古墳時代を大和時代と書いて
騒がせたけど
何故、大和時代なのかを
解説して読んだら納得したよ
年表だって変わってるけど
年表の数字が嫌いで
私は歴史嫌い、、苦手かな?
だったんだよ(笑)
返信する
Unknown (ぐふ)
2024-07-08 19:41:07
>luffy000616 さんへ
私も無機質に見える年の数字を覚えたほうが試験に有利とわかりながら、さいごまで放置していた質です。といいながら、自分まわりのことは年数で表さざるをですが・・、
1983(s.58)年頃には、日本史に続いて世界史で、そして年表でなかみに異変が出ていました。
私の知る頃は社会科系の専門、あるいは国公立の試験でもなければ、日本史を覚えていなくてもよい人たちばかりでした。
しかも高校で文系は日本史、理系は世界史と、授業から分けられてたっけ。高校生はどうしても大学受験のための学習になってしまうから、記憶に残れてなくても不思議に思わない。
この分けられるというのは、どうもきな臭いです。インボイスセイドの取り付け方も互いが見えない化の狙いだから、なにか共通するな。
日本語もそうですが、歴史も一貫したとらえ方ができるような記述に法則性があったようで、1979(s.54)年頃まではそんな説明もありながらで学んでいました。
世界史にくらべ、日本史はたしかに誰もがよく知っているところから展開していたのか独特なイメージもありましたが、そのぶん、人々がじかに伝え聞き、関わってきていることで、正確性はむしろあったのかも。
なので、おっしゃるようにどんどん変えられているとすれば、私はどうも心配。
うちの親もそうでしたが、自分の祖先の事灯台下暗しにされる伝承できなかった部分は、いまは逆に拡大してきています。
なにより、現代の逆運びを正当化するための大嘘は、ばらまかれているどころか、既に中央にすえてしまって従わせてしまってますんで・・今さらではあるけど。
私自身、気が滅入る事態ですが、だいじなことなので書き込み、すみません。
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