詳しくは分からないのですが、ゲームというか、コミックというか、アニメというか、大規模なコミケがあるということで、息子は東京へ出かけました。
(私も若い頃、ちょいとしたコミケとかに参加していたので、高揚気分が分かります。しかし、参加するのに審査とかあるっていうのは、びっくりしましたよ。審査に通らないと門前払いってのは、凄いですね、参加するグループの数にもびっくり物です。)
まだ完成してないというゲームを友達と引っさげて、(できてないのにどう参加するんだ!!!)チープな旅行に出たわけです。
大好きなゲームのために生きているような息子だし、もう大人だし、親が口出す理由もないんですけどね。ゲームクリエーターなんて、本当になれるんでしょうかね。
趣味が高じて仕事になれば、そりゃあ、モチベーションも途切れないとは思うんですが。夢だけで喰っていけない世の中で……。
私が息子の年には、チョー現実的で、一生喰いっぱぐれのない安定した生活を得るためにはどうするか…って思ってましたけど。今になってみると、まったく夢見ることなくここまで来たな~って思います。
自分にはたいした才能はないから、現実をしっかり見て生きるのが最善。まあ、それほど深刻に考えたわけじゃなかったけど、若い頃の私はそんな風でしたね。
好きだったのはイラストを描くこと。小説まがいのものを書くこと。でもそれがどう将来の仕事に結びつくというのか、鼻から諦めてました。まあ、一度だけ、小説の投稿とかやってみましたが、今思うとあまりに稚拙で、ひどくて、才能なかったと思います。
それで身を立てようとかなんていう、ギラギラしたものもなくて、自分を磨くってこともしてなくて。才能というより、追求ってのが欠けていたと思います。
教師になったのだって、本当に教育者になりたいって思ったわけではなかったし。公務員ってのが魅力的だわね~って思っていたくらいで。今考えると一生の仕事を選ぶのに、かなり軽い気持ちでいたような気がします。それほど努力とかしてなかったし、適当に頑張ってたら、試験を通って、大学卒業と同時に無事就職って感じでした。
教師になるのが簡単だったと言うわけではありません。それなりに努力しなければ運だけではなれないと思います。でも、そこに夢というか、なんというか、どうしてもなりたい、こういう先生になりたいから、なるんだっていう、気概とかなんというか、熱いものがあったかなあと思うと、?マークが浮かぶということなのね。
なりたい自分には早くから見切りをつけて、夢は夢だと思って生きるのと、先の見通しがなくても夢を追いかけるのと、どっちが楽しいかって思うとやっぱり後者かなあと思います。
しかし! それはかなりリスクが高い。
親とすれば、なんとも危うい道を行くよなあって心配で困ります。きちんとどこぞに正社員で就職して欲しいって、やっぱり思いますよねえ。
ま、それでもやりたいことがあるだけましか。半ば諦めモードです。
業界一のクリエーターになるっていう息子の夢。壮大な夢ですが、まあ、夢見ることができるだけ、彼の人生は楽しいだろうなと、思うしかないですね。
やっぱ、人生は楽しんだものが勝ちですなあ。
どんなに苦しくても、希求する、なりたい自分があったという経験が人を強くするような気がします。
私も曖昧に生きることにちょっと疑問符投げかけて、先の人生、考えようかなと思いますね。