札幌は雪祭りでしょうね。
といっても、毎年のことで意外と地元の人間は行かなかったりするらしい。
私も子どもの頃のことが鮮明で、あとは、息子と行った記憶…あ、高校時代にBFと行ったこともあったか。……、一人でのこのこと行ったこともあったから、割と行っているほうかもしれませんね。
物凄くわくわくした記憶というのは、私自身が子どもの頃のことです。どんなテーマの雪像だったか覚えてないのですが、確か、大きな船が仕掛けで動くっていうのがあって、それがライトに照らされて(夜だった)雄大で、まるで波をかき分けて、白い船が進んでいくような気がしたものでした。
大人の事情で真駒内の会場は消え、変わってサトランドというところと、大通りと、ススキノ方面で行われてます。
大きな行事が行われるたびに、人は日常でない何かを求めるんだなあと思います。
それこそ『祭り』が、淡々と続けられる営みに色を添えてくれるのを、人々は心待ちにし、楽しむことで、日常の淡白な時間を超えられるのかなあと。
日々の営みって、なんというか、生きるために必要なことを辛くてもけだるくても続けていかなきゃならないでしょ。
生きる⇒食べなきゃいかん⇒仕事する⇒家事をする⇒寝る 死ぬまで続く繰り返し……。
生物は生きて死ぬものですが、未来を知らずその日暮らしをしていれば良かった日々は、人間には遠い昔です。
多分、人間は明日を思い煩うということを知ってから、『祭り』が必要になったような気がします。
そして、眠るということは動物にとって、一回死ぬことだと思うのですよね。語弊がありますか。
眠った後に来る明日を、信じるとか、意識するとか、きっと人以外の生物は思っていないような気がします。そのほうが、きっと幸せだろうなあと思います。
でも、人間はそうじゃなくなった。
だから、繰り返す毎日に、なにか不安を持ったんじゃないかな。
その不安を払拭するために、未来に灯明を必要とした…なんてね。思うわけで。
さて、喜ばしいことに日本には四季があります。だから、節目節目で気分をリセットできる。それって、けっこう、いいことですよね。
たとえ、見に行かなくても参加しなくても、季節ごとにイベントがあると、ああ、今年もこんな時期なんだなあ~と、思ったりできるんですから。
南のほうではもう梅の開花。沖縄では桜も終わった頃でしょうか。
春がもうすぐそこまで、来ていますね~。