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薔薇の吐息2014

前ブログから引越しをよぎなくされ、流れ着いたおばさんのひとりごと

現世と来世

2009-05-23 00:30:57 | 日記

人って。

脳みそが大きくなってしまったがゆえに、考えなくてもいいことを、うじうじと考えるようになってしまって、かなり、不幸なのだよなあと、

常々思ってまして。

死んだらどうなる・・・って、

普通、考えてもしようがないことを、考える、能力を持ってしまったがゆえに、

または、自分では処理しきれないような、不幸とか、苦しみとか、理不尽とか、もろもろを、昇華する、もしくは、消化するために、

もろもろの宗教が生まれたような気がしたりしてます。

結局、自分自身が揺らがない人には、宗教なんか必要ない。と、私は思います。多分。

自分が処理できないものを、自分よりも、大きな存在に託したい、その人にゆだねたい、、、とか思うようなもので、

あったらいいな・・・、いたらいいな・・・的な、絶対的なもの(神)を、きっと、人間って求めてしまうんですよね。

どの時代でも。どんな場所でも。

で、もって、あったらいいな神様には、人間を越える力とか、奇跡とか、あってほしいのですよね。ほしいのです、そういう力とか、具現とか。

で、人は希望を力とか、事象に変える、力がありますからね。

変えちゃったりする。

人間以外の動物は、多分、何も考えてないですよね。どう生まれてどう生きて、どう死ぬかなんて。人間もそうあるべきだった、と、私は思うのですよ。

時々、人間は、動物に擬人的な感情を投影するけど、

それって、おかしいことだと思うんです。

だって、が運命の牛とか豚とかがどう考えているかってことを、擬人的に反映してごらんなさいな。

怖くて、この牛、美味しいとか、言えなくなってしまうでしょう?

食べて美味しい牛は、牛という商品で。

生きている時は可愛くて、生き生きと躍動していた一個の生物だってことを、人は、けっこう忘れて食べてる。というか、忘れなきゃ、食べられない・・・かもね。

している人だけが、知っている・・・の、かなあと、思ったりします。

屠る・・・ってことが、身近だった、ちょっと前の話を、知らない世代が、私の後にいるような気がします。

私の世代はギリギリ、屠ることを聞ける世代だったかも・・・です、経験上。(経験は内のですけど・・・)

神はいないし、来世もない。

こういったら、きっと、バッシングされますね!!! 色んなところから・・・

だって、宗教批判だし・・・・。

でも、宗教は、ちょっと、おいておいて、

生きるということは、現世を、しっかり、生きて、子孫を残して、できうる限りの生涯を全うすること。

来世・・・っていう考え方は、今生をしっかり生きられないというか、生きられなかった人のための、方便だと思います。

来世なんかに期待するから、ちゃんと、生きられない・・・ような気がしたりする・・・

ような気分に・・・・・・この頃なったのです。

もともと、私は、かなり神秘主義というか、オカルトとか、人智を超えたものとか、ものすごく、興味があったし、あるのかもしれないと、思ってました。

心霊的なものを見た人も知ってますし、私自身、そういう、ちょっと不思議経験がちょこっとあったりして、かなり、心は傾いてたのですよね。

でも、

それを、現実をきちんと生きられない理由にしているってのは、どっか違う。

慰めにできるのは、まだいいけど。

それで、人生変えるってのは、納得がいかない。

生きているのは、

自分という、

たった一つの、個性って、ちゃんと、理解してほしいものなんですよね。

生きている

ってことが、

常に

素晴らしい、、、、んです。

本当。

死んだら、永久にお仕舞い、、、、来世なんてないです、、、、って

私は。

思います。

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