人って。
脳みそが大きくなってしまったがゆえに、考えなくてもいいことを、うじうじと考えるようになってしまって、かなり、不幸なのだよなあと、
常々思ってまして。
死んだらどうなる・・・って、
普通、考えてもしようがないことを、考える、能力を持ってしまったがゆえに、
または、自分では処理しきれないような、不幸とか、苦しみとか、理不尽とか、もろもろを、昇華する、もしくは、消化するために、
もろもろの宗教が生まれたような気がしたりしてます。
結局、自分自身が揺らがない人には、宗教なんか必要ない。と、私は思います。多分。
自分が処理できないものを、自分よりも、大きな存在に託したい、その人にゆだねたい、、、とか思うようなもので、
あったらいいな・・・、いたらいいな・・・的な、絶対的なもの(神)を、きっと、人間って求めてしまうんですよね。
どの時代でも。どんな場所でも。
で、もって、あったらいいな神様には、人間を越える力とか、奇跡とか、あってほしいのですよね。ほしいのです、そういう力とか、具現とか。
で、人は希望を力とか、事象に変える、力がありますからね。
変えちゃったりする。
人間以外の動物は、多分、何も考えてないですよね。どう生まれてどう生きて、どう死ぬかなんて。人間もそうあるべきだった、と、私は思うのですよ。
時々、人間は、動物に擬人的な感情を投影するけど、
それって、おかしいことだと思うんです。
だって、が運命の牛とか豚とかがどう考えているかってことを、擬人的に反映してごらんなさいな。
怖くて、この牛、美味しいとか、言えなくなってしまうでしょう?
食べて美味しい牛は、牛という商品で。
生きている時は可愛くて、生き生きと躍動していた一個の生物だってことを、人は、けっこう忘れて食べてる。というか、忘れなきゃ、食べられない・・・かもね。
している人だけが、知っている・・・の、かなあと、思ったりします。
屠る・・・ってことが、身近だった、ちょっと前の話を、知らない世代が、私の後にいるような気がします。
私の世代はギリギリ、屠ることを聞ける世代だったかも・・・です、経験上。(経験は内のですけど・・・)
神はいないし、来世もない。
こういったら、きっと、バッシングされますね!!! 色んなところから・・・
だって、宗教批判だし・・・・。
でも、宗教は、ちょっと、おいておいて、
生きるということは、現世を、しっかり、生きて、子孫を残して、できうる限りの生涯を全うすること。
来世・・・っていう考え方は、今生をしっかり生きられないというか、生きられなかった人のための、方便だと思います。
来世なんかに期待するから、ちゃんと、生きられない・・・ような気がしたりする・・・
ような気分に・・・・・・この頃なったのです。
もともと、私は、かなり神秘主義というか、オカルトとか、人智を超えたものとか、ものすごく、興味があったし、あるのかもしれないと、思ってました。
心霊的なものを見た人も知ってますし、私自身、そういう、ちょっと不思議経験がちょこっとあったりして、かなり、心は傾いてたのですよね。
でも、
それを、現実をきちんと生きられない理由にしているってのは、どっか違う。
慰めにできるのは、まだいいけど。
それで、人生変えるってのは、納得がいかない。
生きているのは、
自分という、
たった一つの、個性って、ちゃんと、理解してほしいものなんですよね。
生きている
ってことが、
常に
素晴らしい、、、、んです。
本当。
死んだら、永久にお仕舞い、、、、来世なんてないです、、、、って
私は。
思います。