昔からなのですが、私は本当に流行に疎い性格で、というか、のろでぐずなので、どうしてもついていけないのですよね。
仕方ないので、自分を納得させるために、流行なんて一時の気の迷い…って思うようになりました。(後ろ向きだなあ~)
でも、それで良かったのかもってこの頃は思います。
小学生の頃、GSに乗り遅れ、ミニスカートに乗り遅れ、こっくりさんをしたこともないし、中学生の頃は何が流行っているのかもよく分からず、適当にスーパーカーにははまってました。
高校生の時も、友達がセーラー服の襟をひっ詰めたり、ぞろっと長いスカートをはいていたりしても、私は?のマークで理解不能。理解できないから、一緒にそんなカッコウはできないし、今ならかっこうのいじめ対象でしょうね。というか、いじめられていても気がつかなかったのかも。
今も、ブランド品の何がいいのか、理解不能なのです。実用的に優れているなら、いいとは思います。デザインがいいならそれも、ありですけど、名前で品を選ぶっていうのがね…。名前さえあればいいのか…。って思ったりして。
どうして物を入れておくバッグに10万も必要なのか、時を知ることができればOKの時計に50万も、100万も値がつくのか、どう考えても無駄にしか思えないんですよ~。
ですから、私は人から見れば、ひどくダサいかっこうをし、ダサいものを持っているんだと思います。
高級な物を身につければ、その人間も高級になれると思わせる何かが、ブランドものとか、流行品にはあるんでしょうね。
でも、どっか違うと思うのよね。
流行でさっと行過ぎてしまうものよりも、昔から残っているものに魅力を感じます。とても高価で手に入りそうもないもので、欲しいものは、螺鈿細工の小物。
螺鈿の文箱なんか最高の贅沢なような気がします。
そうそう、で、平泉の金色堂が大好きなんですよ。あの、金色の仏様より、じっくり柱を見ていた私……。貝の光沢ってすごく綺麗だし、あの細工の見事さに、思わず感嘆でした。
まあ、新しいものが全てろくなもんじゃねえ、なんていうつもりは、さらさらありませんけど。