まだ曽野さんの境地に達するまでにはかなり時間がかかるとは思うけれども、すでにリタイヤしている私としては、少なからず共感するところがありました。
と、いっても、キリスト者ではないんで、というか、神様がわからない人なので、信者の曽野さんとはちょっと見方が違うのだろうなあ。
さて、面白かったところを抜粋。(まだお読みでない方は、ご注意)
老いて、自分の能力がだんだん衰えてきたら、生活を縮めることを考えなくてはいけません
確かに。どんなに寂しくてもペットを飼うのも無理だと断念すべきでしょうね。
お金はあっても、無くても、人を縛るものです。(中略)小金のある小市民が一番幸福だ‥‥
お金がないなら、きっぱりやりたいことを諦める・・とも。老年には潔さが必要なようです。
その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世で「会ったか」によって、はかられるように私は感じています。
私は、生きながら人間を失っていく人もたくさん見てきました。(中略)この部分死が存在することを承認しなくてはならないし、それが本番の死を受け入れる準備になるのでしょう。
私は、60代、70代で美容整形を受ける人の気持ちが本当、わからないんだよね~~~。まあ、小奇麗にしておくに、こしたことは無いけど、もう粛々と、死を受け入れなくてならない時期に、って思う。
ま、人それぞれだけど。
できれば、哲学の一つも後続の若輩に残していけたらいいなあ。
哲学っていうより、処世術? かも。
そういえば 50歳を過ぎてから「死」について考えることが多くなりました。
私の家系は年々寿命が短くなってきているんです。
その計算からすると私の命はあと10年ほどなんです。
でも私 そんな中 毎日腹筋しています(笑)
「人間、50年」ですよね~~。って、信長の謡が耳に残っている・・・・まあ、時代が違いすぎますけど。は、は、は。
遺伝子的にどうなるか予測がつくと、本当に、いいのですけど、なかなかそうならないような気がします。
寿命より怖い天変地異。そして、事故。
私も運動しないと、やばい感じです。
歩くのは好きですが、運動が苦手。腹筋なんて、久しくしてないです。
なんか、筋肉、なくなってる気がします。