命に限りがあるって、この頃ホント、思ってしまう。
いえいえ、後ろ向きにそう思うんじゃなくて、ね。
十代の頃は、三十代まで生きられれば、いいって思ってた。というか、その頃は、それ以上の年を想像できなかったんだと思う。それくらい生きれば、やりたいことができているって、漠然と思っていたのかも知れない。
明日は毎日来るし、今日できなかったことは、明日以降、やれるし、未来があることを疑わなかった、な、十代は。
生活は両親が保障してくれてたし、悩み事は些事で、レポートがどうだとか、友達がどうだとか、恋がうまくいかないとか、そんなもん。
でも、
この頃は、ちょっと、違う。
ひょっとしたら、寝たら最後、目覚めないかも………。っていう、うっすらとした恐怖が、意識の片隅に住むようになってきた。まあ、持病もあるからって、思ったりもするが。
これが老いってことでしょうね。
死を意識するって、多分、老いたということなんだと思う。
50歳で若隠居している私だから、まあ、現役でばりばり働いている人より、かなり、死を意識しているのかなあとは、思うけど。どうでしょう?
なんか、50でこれだから、これから老いの道まっしぐらの私はいったいどうなってしまうのか、かなり不安だよね。
やりたいことは、多分、けっこう実現できたと思う。っていうか、あまり壮大な夢って持たないように生きてきたから。
見たい、聴きたい、知りたい……、できればもっと、もっと。って思う気持ちももちろんある。でも、じたばたしないで、逝きたいって気持ちもある。
どう死ねるか、どう死ぬか…って、毎日一度は思うっては、普通のことなんですかね。
おかしいんでしょうかね。
って、ちっとも悲観的じゃなくて、悲壮感もなくて、日々過ごしているのは楽しいんですよ、もちろん。
でも、人生の締めくくりがどうなるか、どうできるか、って、これから死ぬまで、毎日思うだろうっていう、『私』を、忘れられないんですよね。
年だ、ってことで、いいのかな。
両親ともに健在なのに、こんなこと言っているのは、逆縁? の兆しかも。親不孝なのかも。
ま、どこまで生きられるのか誰も知らない。
の、だから。ゆるゆる行きましょう。
ナギは毎日「死」について考えてますよー。最近は特に。
多分、家の中の空気がそういう風に変わってきてるからだと思うんですけど、
それならそれで自分のことをもっとよく考えようって思って、
突然の自分の死に備えてちょこちょこ纏め始めてます。
見られたら恥ずかしいものから棄てていこうかな…とか(笑)
まだ30代になったばっかりなのにね!
まーゆるりと生きましょう~。なるようにしかなんないですって!
嬉しいです♪
今年の北海道はかなり過ごしやすい夏でした。適度に夏だったし、夜は涼しかったし。
この頃はコスモスが綺麗です。
ナギさんはまだ早いよ~。
若いんだから、終末を予測するのはもう少し先に延ばして欲しいなと思います。
でも結局人には自分の死の予測はできないんですよね。
元気でも突然っていうこともあるし、
わずらっていても、思った以上にってこともあるし。
だからこそ、毎日をしっかり楽しく生きたいと、思います。
まあ、体調が悪いと楽しくっていう部分が、しぼんでしまうんですけどね。 ははは。
私も50歳になって、「死」というものを考えることが多くなりました。
40歳の半ばだったかに、遺言状を書いたんですよ。
遺産がどうとかいうのは縁がなくて、ただ葬式無用だとか、
戒名いらないとか・・・そんなことです。
でも、歳とともに楽しくなっていくのはなぜなんでしょう?
今の気持ちのまま、30年ほど若返りたいです(笑)
50歳って節目なんでしょうかね。
信長さんも「人生50年」って言っているし(笑)
子どもを生み育てて、ひと段落できる時期が50代なのかなって思います。子どもが小さいうちは死ねないし、死を考えてなんていられないしね。でも、子どもが成人するあたりから、ま、一応、仕事は終えたよね……て。
そうすると、考えることは、自分の人生。
ということになるのかな。
楽しいですよね、生きるの。というか、ストレス感じてないからかもしれません。多分、としごりさんも、そうじゃないですか?
住むところがあるし、おマンマも食べられるし、自由時間もあるし。
でも、体力だけはだんだん、なくなっていくんですよね。
はあ~。
ちょっと動かないでいると、体固まるし。ぎこぎこ軋むし。私も若返りたいです!!!