薔薇の吐息2014

前ブログから引越しをよぎなくされ、流れ着いたおばさんのひとりごと

驕る人間

2010-06-22 23:27:12 | 日記

というか、人間はつくづく業がふかくて、おごってる。

自分の視点で、食べる動物と、愛玩する動物を区別して、飼育して、その線引きが、民俗によって多様性があっても、なかなかそれを理解しようとしない。

難しいと思うけど。尊重することはできることだと思う。

しかし。

私にとって犬を食用ってのは、抵抗がある。(韓国では赤犬がおいしいって、ね)
でも、牛はおいしいと思ってしまう。

牛を神聖視する人には、私はきっと、業悪な人間だ。

ペットの鶏をつぶすには、かなりの抵抗があるけれど、フライドチキンは食べるし。

豚も食べてはいけない民族があるようだけど、日本人にとって豚肉を食べない生活は、難しい。

歴史的にクジラの肉を食べてきた日本人。昔は仕方なく食べさせられた記憶がある。クジラのベーコン、大嫌いだったんだよね、私。

給食にでるシチューにクジラのベーコンが入っていると、吐き気を催すような子供だったんだよ。小学生の頃。食べないと、鬼のように怒る担任がいて、泣きました!!

ということで、幼い頃、肉全般嫌いだった私でした。

今も、クジラの肉はトラウマで、かなり手痛く嫌いだけれど、歴史的に食してきた文化を否定されても困る・・・ような気がする。

クジラをどこか神聖なものに見るのは勝手だけど。ね。

殺し方が残酷だ・・・と、イルカ漁を映画に撮られたけど、

家畜を殺して食べるのに、きれいな殺し方をしているから、是だと、どうして、言えるのか? って思う。

そういえば、米国では、残酷に思える殺し方をしてはダメなんだそうだ。

苦しまないように家畜は殺すのだそうだ。

まあ、殺されることが運命付けられているなら、
・・・・・・私は、ぜひ、安楽死を望むけどね。

この感情は、
人間を動物に引き寄せているのか、

動物を人間に引き寄せているのか。。。。。

ひどく、、、、微妙な、、、、

人間は長い歴史で、肉を食してきた。
そうすることは、別に罪悪じゃないと思う。

人間は雑食だから、生物として、生きるために他の命を食するのだし。
感謝していただく、アイヌの考え方で、食すればいいと思う。

人肉さえ、慣例で食してきた過去の中国とかあるし。
(三国志とか、読んだらでてくるよ~~記述。まあ、その手の話が日本にもないわけじゃないけどね。)

イルカを食べることを責める人々は、人肉を食べる歴史を持つ中国を、どう、責めるんかなあと、ちょっと意地悪く、思う。

弱肉強食より、もっと、考えるべきことが人間にはあるだろうって、思うよこの頃。私。

海を汚し続ける油田のこととか。

(この事故は物凄く感心がある。そして、物凄く、危うく感じている事象の一つだ。)

どうしたって、ゴミが捨てられない原子力発電とか。

(プルサーマルと、か、なんとか、バカみたい。原子力発電はいますぐ、やめるべきことだと思う。子供が大事ならね。というか、子孫を考えるならね。って)

使い切れないお金を懐に入れる連中に、壊れていく地球を慮る気持ちがあるとは、思えないが。もし、良心が少しでもあるなら、その金の半分をかけて、何かをしてほしいと思うんだよね。

人一人、生きるのに、それほどの金は必要ないと思うから。

さて、
それで、
私に何ができるか・・・ってことだけど、
なにもないんだよなあ。

こうして、ぶつくさ、ぼやくだけってのは、哀しいね。

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