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南相馬市小高区村上地区の「たての山」と呼ばれる
山に波切不動尊というお不動様が祀られていました。
安部さんが、ずっと気になっていた話し。
「津波がきたらたての山へ逃げろ!」
その根拠を探り先代からの教えが今回の震災
でどうだったのかを知るために…。
まずは震災後、その波切不動尊の妙見尊(
お不動様)をお預かりしているという南相馬市小高区
金性寺の住職様が、仮事務所としていると教えられた
原町区大甕を安部さんと訪れました。
訪ねるとこの地域ではめったに見ることのない立派なニ階建ての茅葺屋根と静寂と翠織りなす日本庭園にまず驚いてしまいました。
こんな風靡な景色をここで見ることができるとは想像していませんでした。
「此処は何代か前に住職の茶室だったそうです。」
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月に何回かこちらに来る生活をしているそうです。
「茅葺屋根の修復にあたっている職人さんは、宮城県石巻市に
ある熊谷産業様なんです。
津波の被害に遭いながらも流出してしまったスレートを回収
し1枚1枚手作業で洗浄し、そのスレートで東京駅の屋根の
復元をされた職人さんです。」
その映像は確かにTVで見た記憶がありました。
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その一本一本が、まるで矢のような鋭さと正確さを
持って、凛とした風貌を兼ね備えた「屋根」という
作品を形作っていました。あの状況でも絶対に手は
抜かない。その職人魂 感動です。
ひと目見たいと安部さんが熱望していた波切不動産の
お不動さんは、静かな日本家屋の和室の一角に鎮座していました。
赤い顔をしたお不動様は想像していた以上にきれいで保存状態が良く、金を基調とした箱の中に丁寧に祀られています。
奥様は手を合わせる私達の背中に囁くように、波切不動尊のことや小高区村上の事を話しはじめました。
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年4回(お節句の時)ご詠歌が行われていたそうです。
住民はみな、着物を身に着け着飾って参加しました。
安部さんも小さい頃、竹に入った甘酒を持って参加した
という記憶が残っているそうです。
村上地区には全国的にも珍しい一個人に対し遺体を埋葬
する埋め墓(葬地)と墓参りをする為の詣り墓(まいりほか、
祭地)の二つの墓を作るという両墓制と呼ばれるものが
あるという事も教えて頂きました。
お不動様の近くにあるお墓はお参りする為のお墓になっていたそうです。
両墓制がなぜ発生したのかということに関しては、不明な点が多くはっきりしないようですが、代表的な意見としては死
穢の観念や遺体恐怖から遺体埋葬地を人里離れた場所に作り、人の住む場所の近くや寺院境内に死者供養のための
石塔墓地を別に作ったというもの、現実に土葬習慣における腐敗した遺体の臭気を避けるために埋葬地を別にしたとも考
えられるそうです。両墓制は土葬を基本とするため、火葬が一般的となった現在では土葬の両墓制は役割を終えたといわ
れるそうです。
「今回の津波被害で埋め墓は低い場所にあった為流出してしまいましたが、詣り墓は波切不動尊の近くの高台にあった為
津波からは免れました」奥様は言いました。
波切不動尊は波を切るという名前の通り3月11日の東日本大震災の時には、海のすぐ近くにあるにも関わらず不思議と
津波の被害を受けなかったというのです。
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「たての山へ逃げろ!」このお不動様はいったい何を伝えたいのか… (つづく)
>>南相馬市ふるさと回帰支援センターHPへ
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