居場所って、目的がないんですよね・・・。と、来づらいという意見を、よく聞かれます。
そもそも「目的」がないと外にでることがおっくうな社会になっている。
人と関わらないで、生活できる環境が整っているので、
必要性が感じられなくなっているのではないか・??
個人的には「他人」と関わることで、「社会性」が身についていくようになっていると思うし、
「お互い様」の精神が培われるきっかけが、かつては社会の中
様々な場所で存在していたと思う。それが現在は、少なくなってしまったことも
影響しているのではないかなぁ・・・。
親から伝えることや教えることももちろん大事だし、必要なことだと思うl
ただし、親から伝えることが限界があるハズ。
まあ、親は子供が成長し大人になっても子供という意識がなくなることはないし。
身内という存在の意識もずっと持ち続けてるし。
大切なのは親以外からも、教わることや身につくことはあるハズ。それが、最近は少ない。
それに加えて先生や専門家から教えてもらうことや、伝えることだけだ大切なのではなく
いろいろな人がかかわることが「社会性」を身につけるうえで必要な事ではないだろうか??。
居場所って、そういう面もあると思うのです。。。
居場所はそれぞれ利用する人の考え方があると思います。
人と交流したい、深く交流関係を築きたい気持ちや
人の会話の流れの中にいたい。特定の人とだけ話したい等など。
その場を利用する人が多くなると「期待する気持ち」が居場所にあふれてきます。
一般的に学級崩壊という事象がたくさんある現在。また、親からの苦情や意見など
電話にて個別に対応する教師の苦悩により、
クラスの空間(雰囲気)がなくなるようなニュースに挙がることと同じく、
居場所に対して個別対応を求める人が増える。
それにより「ふわっとした」存在の居場所という、お互い様の精神で
成り立っている空間が崩れていくことにつながっていく。
すぐ「どうにかする」ことや、すぐ「話し合って解決」することは
ほとんどないと個人的には思う。
少し様子を見て状況を見ると誤解だったことや、
考えすぎて、からまわりしていたことやなんとなくわかっていくこともあるので、
電話で意見をいうことやメールで意見を伝えるよりも、
せっかくだし居場所で直接、お話ししてみよう・・・・云々。
他人の意見を見聞きすることや複数人の中での会話の流れを練習する場所としての機能が居場所にはあると思う。
意見の違う他人をすぐ排除なんてないし、たとえその一瞬、自分が被害を受けたなどの気持ちも、
きっと社会に慣れていく良い経験であるはず。
なので、「居場所」という空間にどうかご理解を願いたいものです。