この春、職場を異動した。
送別会で何を話そうか思いあぐねて、
井伏鱒二の訳詩が浮かんだ。
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
で、有名な「勧酒」という漢詩の訳。
全文読めば、ますます送別会に相応しく思って、
話の中で全文謳わせてもらった。
全文といっても、たった四行の詩なのだけれど。
それが後の歓談でたくさんの人に話題に出してもらって、嬉しかった。
そして、遅ればせながら今日、『厄除け詩集』を買った。
読んでいて思ったのは、
ああ、なんて味わい深い言葉で溢れているんだろうということ。
でも、わたしは詩のよさなんて全然分からないから、
言葉ひとつ掬ったり、
後に付録されていた評論を読んだりするのが楽しかった。
文学研究っていいなと思った。
何年か前、仕事に就くのではなく、
文学の院に進んでいたら、
という今まで何度となく繰り返して来た想像をする。
大したことはできなかったろうけど、
きっと楽しかったはずだ。
過去の論文に触れ、自分の論をつくる。
それは常に新しいことの発見だったから。
今回も、付録の論文を読んで、もっと詩が面白くなった。
わたしにはできない解釈が心地いい。
詩に触れるって、
こういう形でもわたしに意味のあることなんだと思った。
送別会で何を話そうか思いあぐねて、
井伏鱒二の訳詩が浮かんだ。
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
で、有名な「勧酒」という漢詩の訳。
全文読めば、ますます送別会に相応しく思って、
話の中で全文謳わせてもらった。
全文といっても、たった四行の詩なのだけれど。
それが後の歓談でたくさんの人に話題に出してもらって、嬉しかった。
そして、遅ればせながら今日、『厄除け詩集』を買った。
読んでいて思ったのは、
ああ、なんて味わい深い言葉で溢れているんだろうということ。
でも、わたしは詩のよさなんて全然分からないから、
言葉ひとつ掬ったり、
後に付録されていた評論を読んだりするのが楽しかった。
文学研究っていいなと思った。
何年か前、仕事に就くのではなく、
文学の院に進んでいたら、
という今まで何度となく繰り返して来た想像をする。
大したことはできなかったろうけど、
きっと楽しかったはずだ。
過去の論文に触れ、自分の論をつくる。
それは常に新しいことの発見だったから。
今回も、付録の論文を読んで、もっと詩が面白くなった。
わたしにはできない解釈が心地いい。
詩に触れるって、
こういう形でもわたしに意味のあることなんだと思った。