今月5日に歌舞伎俳優の中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。
きっと、当時は歌舞伎界からの反対も強かったんだと思いますが、
その昔、『Ryu's Bar』の後だったかな~『今宵はKANKURO』ってタイトルだったか?
当時は息子さんが継いでおられる勘三郎さん名だったんですけど、
トーク番組をやっておられまして、それを毎週楽しみに見ておりました。
で、当時の勘三郎さんやゲスト(かな?)でご出演なさっていた中村橋之助さん、
あと左團次さんなどの興味を持ち、歌舞伎を見に行くようになりました。
彼のお陰で歌舞伎や狂言なんぞに興味を持つようになったんだと思います。
と言って、ライヴほどは見に行っていないので、詳しくはありませんが、
今は獅童さんとか、若手でも有能な方がたくさんおられますが、
私にとって歌舞伎と言えば、片岡孝夫さん(今は仁左衛門さんでしたっけ?)より
中村勘三郎さん!でした。
NHKの『元禄繚乱』だっけ?大石内蔵助を演じなさったのは・・・。
あれも見てましたよね~。
すごくチャーミングで、それでいて芸にはすごく厳しくて。
スーパー歌舞伎の猿之助さんもスゴかったですが、
ドラマや舞台、歌舞伎界の枠を超えてのご活躍で、歌舞伎の世界を広げた
彼の功績は大きいと思いますよ。歌舞伎界の大きな逸材でしたね。
日曜日もちらりと特別番組を拝見致しましたけど、見ているうちに涙じょ~~!でした。
ご冥福をお祈りします。
勘三郎さん、紙吹雪でお別れ 勘九郎、七之助“宿命”旅立ち見送れず:芸能:スポーツ報知
少し敷居の高い感のある歌舞伎の世界ですが
勘三郎さんの存在が 身近にしてくれたように思います。
まだまだ やりたいことがあるって 言ってましたね
孝夫さんが追悼の言葉の中で
「きっと 今は 彼は ワクワクしていると思う。
だって あっちの世界にはそうそうたる名跡の先輩がいっぱいいるんだから・・・」といようなことを言ってました。
きっと こちらでやり残したことを
大先輩たちとやってるんじゃないでしょうかね
私にとっては
孝夫さん 橋之助さん そして・・・ユノ
一直線上です 笑
まーじょさんと違って生の歌舞伎は高校の行事でしか観ただけですが、彼のトークが大好きで、いつもお腹を抱えては笑っておりました。57才、逝くにはあまりにも早すぎる年齢。かわいい孫の初舞台、共演してもらいたかったです
それまで、全く関心がなかった歌舞伎界ですが、勘三郎さんが
歌舞伎界から遠征してテレビに出て下さったお陰で、
敷居が高かった歌舞伎が身近に感じられましたよね、ホント。
諸先輩方の中には反論もあったと思いますが、
彼のお陰で我々の視野も広がったと!
また、息子さん達もきちんと舞台に穴を開けず、立ち続けた事に
頭が下がります。それも父からの教えなんでしょ~。
芸の厳しさと楽しさを伝えてくれた伝道師でした。
高校の授業はお能でしたね~。
あの時は何が何だかわかりませんでしたが、大人になってから
狂言に走りましたね。
歌舞伎も大人になってからですが、若輩者には無縁の場所と思っておりましたけれど、
行ってもいいんだ!って、思わせてくれたのは勘三郎さんでした。
私にとっては、勘九郎さんの方がしっくりきますけど。
もっとたくさん舞台、トーク、演技を見せて欲しかったですね。
やりたいことはたくさんおありだったと思いますが、
全力で生きてこられた方だと思っております。
見習わなきゃですが・・・。