一応、作詞家と名乗って暮らしているものとして、今のJ-POPに思うことをしたためたいという気持ちからカテゴリーを作ってみました。
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音楽がテクノロジカルになってからどれくらいの年月が過ぎただろうと思う。
今やAIにジョンレノンの人格を与えることもできれば、作曲・編曲さえも時間の概念を超えて可能なのでしょう。
AIにスティーブ・ジョブズの人格を学習させるとEUに対する暴言を言い始めたという。
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僕が高校生の頃にMIDIという回線が一般的になり、二十歳の時には、僕はアタリというメーカーの24トラックのDTMで作曲をしていた。
この頃はまだボーカルトラックを扱うことはできなくて、しばらくして、プロツールスなどが主流になる。
シンクラビアなど、マンモス機も開発された。
ここ数年、CD発売までの日数は時代が進むたびに短くなった。
今やビッグタイトルであるほどにリリースの二ヶ月前、一ヶ月前のレコーディングは普通にあり得る。
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近年のJ-POPを聴くと、演奏スキルの高さに圧倒される。
特にリズムセクションの秀逸さはもはや曲芸か芸術かという、アスリートのような鍛錬の粋を感じさせてくれる。
その複雑さと歌詞の言葉数の多さから、きっと年配の方々からすれば、なんのことかさっぱりわからないような音楽でもあるだろうなと感じられる。
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歌詞の内容を分析してみれば、感情の吐露。
つまり、心の中に鬱積した塊の表現である散文詩であることが多い。
そこに巧みな韻を踏むことで形を整えられている。
より完璧さを求める時代を経て、新たなスピリットを加える時代を経て、
攻撃性も加わり、意味のなさも味として、魑魅魍魎の様相を呈してもいる。
そのせいなのか、ラブソングは、よりフィクションの感覚が浮き彫りになり、
それを確信犯として歌うアーティスト(アイドル?)は成功している。
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それでも、永い歌謡曲の歴史を見てみると、同じテイストの空気感がずっとヒットチャートにいることはなく、
数年ごとに新たなムーブメントは生まれる。
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人々はもうすっかり疲れ切っている。
疲れるような音楽はもう聴きたくないのでは?と僕は推察する。
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今、王道と言われる歌がとても新しく感じられる。
布施明さんの「マイウエイ」玉置浩二さんの「メロディー」長渕剛さんの「乾杯」
まだまだ沢山ある歌謡曲の宝物。王道の歌たち。
このような歌が、今の若者たちの心にも突き刺さると思う。
人の心の温かさがある。
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本物の力を持つオジさまたち(レジェンド)が本気を出した時の凄まじさというものはある。
世代間嫌悪なんて言葉を吹き飛ばす真実がそこにはある。
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新しいものには新しいものの良さがあり、古いものには古いものの良さがある。
だけれど、本物の見極めは時代を経てみないとわからない。
30年経ってでも色褪せない歌にこそ真実はあると思う。
この鬱積した世の中だからこそ、Z世代にも今だからこそ王道が響くだろうと突き刺さるだろうと僕は考える。
だけれど、それを生み出す存在と鳴らす場所が狭くなってしまっている。
王道な歌を書きたい人はアマチュアを含めれば沢山存在していても、それが時代を動かすほどの歌になるためには凄まじい覚悟が必要。
30年経ってでも色褪せない歌。
それはやはり何かによって、時代によって、選ばれる光のようなものなのかもしれない。
泣ける歌。
魂を震わせるような歌を僕は聴き続けていたい。
Makoto ATOZI