──“大人の道楽”をコンセプトに、双方向で楽しめて元気になれる舞台づくりを目指します!──
Q.二人の生まれは?
Mamo:
1960年代半ば8月2日、東京は葛飾の生まれ。20歳前から10年余りの一人暮らしを経て、現在は両親と夫、娘、数匹の猫と大所帯で住まう。もともと人付き合いが苦手だったが、昔も今も変わらず番長。
nono:
1960年代前半2月8日、大分は臼杵生まれの熊本育ち。20代で上京するまで親もとの箱入り娘、現在は千葉で、夫の実家とスープの冷めない距離につましく二人住まい。昔はぐずでのろまな自分が嫌で、誰かに気に入られることを求めてがっついていた優等生もどき、今はスローライフをこよなく愛する自由人。
Q.この世界に入るきっかけは?
Mamo:
中学3年の夏、友人に誘われ東京キッドブラザースを観劇、受験もせずに入団を決意するが、担任に説得されて高校入学。1年の終わりにオーディションを受けるも不合格……再チャレンジの末、高校卒業の日に合格通知が届き、念願の入団を果たす。
nono:
中学3年の夏、宝塚のベルばら舞台中継をたまたま目にし、釘付けに。チビ・デブ・ブスの自分が宝塚受験など毛頭考えられず、ヅカファンとして青春を謳歌…のつもりが、高校2年の文化祭で宝塚まねごとミュージカルを自主上演、演る魂に火がつき一大ダイエットを決意。大学受験終了後、30キロ減目標に実行、1年かかって20数キロ減……何とも中途半端ながら大学2年進級時、演劇部の門を叩く。
Q.転機となったエピソードは?
Mamo:
キッドでは自然と男役になったが、出演中に事故で急逝したメイン女優の代役をさせられてから女役に。その後の舞台でみずから降板事件を起こし、劇団をクビになる。のち、芸能事務所からのスカウトを受け、本来の女に戻らざるを得なくなった。女優としての器を広げるために結婚、出産。娘が3歳になるころ、「親の背中を見て育て!」とばかりに40歳目前で舞台復帰。
nono:
演劇部の先輩たちと上京&旗揚げした劇団を、恋愛問題絡みで2年で退団するハメに。紆余曲折あってやっと結婚、数年で破綻。全くゼロになったときに受けたルミネ主催の舞台オーディションで、生涯の恩師となる平山一夫氏と出会う。それは人生丸ごとチェンジング…の衝撃的なものだった。
儚組(喫茶店ラドリオ)舞台より 儚組(劇場MOMO)舞台より
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