27日(月曜日)晴天なり^^
久し振りに仕事をしました
8月24日 午前3時45分 母死去
あっけなく 逝ってしまいました
8月21日お昼ご飯を食べて・・・しっかり食べたそうです
その夕方から呼吸が浅いと施設より電話がありました
夕飯も食べていないとか・・・
直ぐに向かいました
ベットに寝ていましたが意識はありました
誰か分かりました 21日の夜は皆で・・・
看取りの時間に入りましたと言われて・・・
22日主人を連れて・・・お母さんSさんよ と 声かけると目を開けて
喉を鳴らします・・・この時点ではまだわかっていました
手を握っても握り返してくれていました
23日は、朝から目を瞑ったまま 何の反応も示さなくなりました
その間、兄妹で付き添って・・・24日の1時過ぎ まだ大丈夫だよねと
交代で、一度家に帰って風呂に入って と 話になり
一番遠い 私が帰りました(2時過ぎだったと思います)
シャワーを終えた所に電話が鳴り・・・今息が絶えた・・と・・・
急いで施設に向かいました・・・まだ 温もりが・・・
3時45分 老衰で良いでしょうかと 先生から言われて
皆 頷きました(有難うございました)
我慢強い母でした
痛いところはない と 行く度に聞いたけど 無いといいます
今思えば 痛かっただろうと思いますが・・・
一度も痛いと言った事が無く
静かに、静かに息絶え逝ってしまいました
人間の身体って凄いなー と 思わさせてもらいました
足が、手が、腫れていましたが
晴れが引いて行くんです 先生に聞くと 水分を身体に取り入れながら
おしっことして出していくんですよと 言われて なるほど~ と感心しました
熱も出していました 自分で戦って去っていたんですね
良い死に方だったと思います・・・
苦しまないできれいな顔して今にも生き返ってくるような そんな
顔でした。
ほとんど毎日行ってましたが・・・
あぁ~ もう直ぐかなって思う毎日でした
飲み込む力が無くなって行くのが分かりました
先生が言われるのに 栄養が足りてなかったと
やはり、内臓も弱っていて栄養を取り入れられなかったのだなと・・
着々と準備していたのでしょう
なので、食べなくなって急激に逝ってしまいました
これが老衰なんだなと・・・
母から言わせれば、前から分かっていたよと 言うかもしれませんね
食事の後、二人で外を眺めている時も、何も言わないで
ずーと 唯々眺めているんです・・・分かっていたんでしょうね
話しかけると、笑顔を見せるだけでした
49日までは、こちらに居られるそうだから
笑って見ているかもしれません
延命治療はしないと決めていたので・・・
しなくてよかったと思います
毎日夕飯を食べさせに行く時間(16時半)
時計を見て行かなきゃ― なんて・・・
笑ってしまいました ふと寂しさが・・・
心配していました
お母さまのご冥福を申し上げます・・・
ご立派なお母さまでしたね
そして側でいつも支えていたmappeeさん
お母さまも心強かったことと思います
お母さまはmappeeさんのお側で微笑んで
見守っておられます
お疲れを出されませんように~
27日は義父の月命日で何時もの夫婦連れに孫を一人連れて墓へ行って来ました。
義父の46年前の日記を読んでいたら自分の墓を褒めているのです。見晴らしの良い良い所だ、と。
そういう場所を共有出来る事は幸せです。
お母様のご逝去を知り、驚いています。
言葉数が減り、問いかけへの反応も少しずつ弱くなっておられたようですが、
食欲が有ると聞いていましたので、まだまだ長生きされると思っていました。
寂しくなりますね。 でもよくなさいました。
きっと嬉しく思いながら旅立たれた事でしょう。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
この言葉に涙がこぼれます。
親を亡くすって哀しいね。。。
でも、ここまで生きてくれて・・・
いっぱい思い出をくれて・・・・・・
それだけで
「本当にありがとう!」です。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
本当に眠るように息を引き取りました。
よく49日間は家の周りに居ると聞いています。思い出話など沢山してあげてください。合掌
あまりにあっけない旅立ちにいろいろ心残りもおありでしょう。
でもこのところ何度も訪問されてお話しできてよかったですね。
きっとお母様も安心して旅立たれたのではないかと思います。
お悔やみが遅れました。
自分で食べれなくなってから、ほとんど毎日のように施設に通わせて貰いました
こんなに、母の側に居たことはないと思います
母との良い想い出になりました
身体が弱って行くのも分かりながら
たまに涙が出る事もありましたが
でも、痛いとこがなくろうそくの火が消えるように亡くなって行きました
一番良い死に方だと思います
私もこのように静かに去って逝きたいです
本当にそうです 良い最後でした
看取るものにも苦しみを与えないで逝ってくれました
良かったと思います
まだそばにいる事でしょう 毎日語りかけています
46年目の日記が読めるなんて素晴らしいですね^
良い命日ができて良かったです
毎日のように行って母の様子を見ていると
弱って聞く姿が分かります
でも、食事を完食していたので・・・
着々と身体が変化して行っていたんですね
今思うとあの時も、この時も、と 分かります
なので、食事をとらなくなってからが あららら と・・・
逝ってしまいました
苦しみもなく、看取っている私たちも苦がなくて・・・
最後の最後まで、人に迷惑を掛けずに行ってしまいました
これでいいんです
2か月余り しっかり母の側に居ましたから悔いなしです