◆文京区立森鴎外記念館
森鴎外(1862~1922)が、明治25年(1892)から亡くなる大正11年(1922)まで暮らした旧居「観潮楼」の跡地に建つ。2階から遠く品川の海を望めたので鴎外が「観潮楼」となずけた。森鴎外生誕150年の平成24年(2012)にリニューアルオープンした。
三人冗語の石
鴎外生前からあるといわれる大イチョウ
カフェの壁に掲げられた古写真
◆団子坂と三崎坂
本郷と谷中を繫ぎ東西に伸びる坂。団子坂は不忍通りを挟んで、谷中側に移ると三崎坂(さんさきざか)と名前を変える。「団子坂」は急坂なので転ぶと団子のように転げ落ちるから、また団子を商う茶店があったなど。三崎坂の「三崎」は古い地名で上野台と本郷台の間が入り江だった頃、駒込・田端・谷中の三つの丘が岬のように見えたからという。
いせ辰 菊見煎餅総本店
吉里
築50年程の建物を改築した隠れ家的な料理屋
◆観音寺築地塀
江戸時代に築造された長さ37.6mの練塀で、土と瓦を交互に積み重ね造った土塀に屋根瓦が葺いてある。
◆台東区立朝倉彫塑館
明治から昭和の日本彫塑会をリードした朝倉文雄(1883~1964)のアトリエと住居だった建物。東京美術学校を卒業した明治40年(1907)、谷中の地にアトリエと住居を構えた。当初は小さなものだったが、自ら設計し、細部に至るまで様々な工夫を凝らした建物は、昭和3年(1928)から7年の歳月をかけて建てられた。自ら「朝倉彫塑塾」と命名し門下生の育成の場とした。
◆谷中霊園
明治7年(1874)、おもに谷中天王寺の敷地等を東京府が引き継ぎ「谷中墓地」として開設したものを、昭和10年(1935)谷中霊園と改めたが、旧称「谷中墓地」と呼ばれることも多い。約10万㎡に7千基の墓がある。「谷中墓地」と称される区域には天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれている。
宴のあとの桜並木
◆天王寺五重塔跡
天保4年(1833)に天王寺と改称した谷中感応寺の五重塔は、寛永21年(1644)建立されたが、明和9年(1771)行人坂の大火で焼失した。寛政3年(1791)再建され、震災・戦災の被害にも遭わなかったが、昭和32年(1957)放火無理心中事件で焼失した。幸田露伴の「五重塔」のモデルとしても知られている。
美しく咲く桜ありました
総てしっとりしていて、潤いますね!