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目白から落合

2019年01月24日 | 豊島・新宿

◆目白

地名の由来は複数あり、かつて白い名馬を産したところで「馬白(めじろ)」の意、江戸五色不動の「目白不動」に因んで、三代家光が鷹狩に訪れた際に「目黒」に対して「目白」と呼ぶように命じたといわれている

 

◆悠仁親王殿下記念植樹

平成18年9月6日のお誕生記念にお印の「高野槇」を目白協議会が植樹した。

 

◆切手の博物館

昭和63年(1988)世界的に著名な切手収集家、水原明窓が私財を投じて財団を設立、郵便切手文化に関する資料の収集・保存、研究調査、公開する、世界でも珍しい郵便切手の専門博物館。多くの収蔵品の中でも日本及び外国外国切手は35万種を所蔵する


◆落合

神田上水(神田川)と妙正寺川が合流することによるが、上水開発以前からの名であることから自然河川の合流をさしての命名ともいわれる。江戸時代は上流を上落合村、下流を下落合村とした。中落合は昭和40年(1965)の住居表示に依った町名である。

 

 明治時代に造られたガード

急な近衛坂


◆日立目白クラブ

旧学習院昭和寮、昭和3年(1928)に学習院に通う生徒の寄宿舎として、英国「イートン校」を模範に宮内省の設計で建てられた。箱のようなシンプルな姿のスペイン風の意匠が特徴。昭和28年(1953)日立グループが譲り受けた。都選定歴史的建造物。

 

 

 ◆目白が丘教会

昭和25年(1950)竣工の大谷石の外観とステンドグラスの丸窓に特徴がある。アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトの弟子・遠藤新の最後の作品。国登録有形文化財


◆近衛邸車寄せのケヤキと近衛篤麿公記念碑

近衛篤麿・近衛文麿の邸宅の車寄せの前にあったケヤキで、当初は2本あったが落雷により1本残すのみである。近衛篤麿は明治33年に(1900)この一帯の広大な敷地に屋敷を建てたが4年後40歳で急逝した。今でも近衛町という通称が残っている。

  


新宿区立中村彜(なかむらつね)アトリエ記念館

増改築を経たアトリエを、大正5年(1916)の建築当初に復元一般公開している。


中村彜は悪化する肺結核と闘いながら創作活動を続け、重要文化財の「エロシェンコ氏の肖像」など数々の作品を残し37歳で亡くなった。

    


◆アダチ伝統木版画研究所

伝統木版の総合施設。平成6年(1994)、伝統木版の技術継承と啓蒙普及を目的として(財)アダチ伝統木版画技術保存財団を設立、常設展示場では、伝統木版画に関する文献資料の閲覧、伝統木版技術に関する材料や道具、制作工程等に関する展示や財団が制作監修した木版画作品の展示行っている。

 


新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館

大正10年(1921)に建てられたアトリエを修復して一般公開している。佐伯祐三は東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、大正12年(1923)家族でフランスのパリに渡るが病を得て帰国する。再びパリに戻るがわずか1年で病により30歳の生涯を閉じた。パリの風景を独自の画風で描き個性あふれる作品を残した。


妙正寺川



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