◆湯島
平安中期の書物に出てくる地名で、昔この辺りは湧水が多かったので「湧島」と書かれ、のちに「湯島」となったという
◆無縁坂
名のいわれは昔、坂の上にあった「無縁寺」からか、また坂の周辺に多くあった武家屋敷から武士に縁があるので「武縁(むえん)坂」「武辺(むへん)坂」ともよばれた。森鴎外の「雁」の舞台にもなった。
◆三菱資料館
明治3年(1870)、岩崎彌太郎により大阪に設立された九十九商会は、3年後に三菱商会と改称し、初めて三菱を名乗った。三菱の創業以来の歴史に関する資料を収集、保管 展示している
◆旧岩崎邸
明治29年(1896)完成した、旧三菱財閥の創始者岩崎彌太郎の長男久彌の邸宅で、和洋二つの館が併置されている。往時は1万5000坪の敷地に、20棟もの建物があったが、現存するのは洋館、和館、撞球室のみ。
洋館
木造2階建て・地下室付の本格的なヨーロッパ式邸宅
洋館南側のベランダ
1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の装飾が特徴的
コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)
和館
洋館と結合して建てられた純和風建築 施工棟梁は大河喜十郎 完成当事は建坪550坪に及んだ 現在は書院造りの大広間1棟が残されている
家紋の三階菱 装飾の紋様となったアカンサス
◆仲町通り
不忍池寄りの一角は、古くは池之端仲町といい、明治30年代に春日通りが開通するまでは、湯島切り通しから本郷に通じる江戸時代から続くメインストリートとして賑わった。今でも数々の老舗が残る
池之端の桜
しろたえ 紅華
◆秋色桜
元禄のころ「井戸ばたの 桜あぶなし酒の酔」と詠んだ、日本橋小網町の菓子職人の娘、お秋の俳号・秋色にちなんで「秋色桜」と呼ばれる
清水観音堂と「秋色桜」の枝垂桜
何度もおじゃましましたが
秋色さくらの気づきませんでした
それが 日本橋小網町・照り降り町
大阪屋のお秋さん
慶應義塾大学近くの
秋色庵大阪屋とつながりました
これぞ 街歩きの醍醐味
一人で 感動しています。
お知らせありがとうございます。