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マスターナンバー55 その2

2010-05-05 23:52:55 | マスターナンバー55

今日は5月5日こどもの日。55にちなんでシンクロが起きています。

今日は55の記事を書こうと考えながら車を運転していると、目の前の車のナンバーは55-55.すれ違う55の車。55の対向車のナンバーに目が行き、55のナンバーの車が横切っていく。

たった30分くらいのドライブの間に4台も視界に入ってくる。恐らくマスターナンバー55の持ち主は、今日何らかの形でシンクロ現象を体験しているはず。

さて、こんなわたしもフルネームが55。今日はこどもの日。この意味は?

55の持ち主は大人であってもこどものような・・・。なぜか?それは55の使命の一つだからです。キリストは聖書の中で次に様にその重要性を繰り返し何度も強調しています。

マタイ18:3 

「身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません」

マタイ19:14、ルカ18:16

「幼子たちをわたしのところに来ることを妨げるのをやめなさい。天の王国はこのような者たちのものだからです。」

マルコ10:15

「だれでも幼子のように神の王国を受け入れる者でなければ、決してそれに入れないのです。」

ルカ9:48、マルコ9:37

「だれでもわたしの名によって、この幼子を迎える者はわたしをも迎えるのであり、わたしを使わした方をもまた迎えるのです。」

四福音書の中で6回も言及しています。

ここで言及している天国とは5次元のキリスト意識であり、子供のように純粋無垢でないとその領域に入れないということです。

幼子のようにとは、最初のアダムとイブとも言えます。小さい子供は恥ずかしいという意識がありません。無邪気であり、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと自分に正直です。はだかでいても気にしない。ところが大人になる、つまり自我が形成されてくるといろんなものを溜め込んでいきます。

大人のほうがこどもよりも怖れが多いのです。「恐るべき3才児」とは、恐れを知らないからです。愛の反対が怖れです。怖れは愛のない状態とも言えます。分離から怖れが来ます。

太陽系の7つのカルマとは「ごう慢、偏見、憎しみ、暴力、犠牲、恥じの意識」であって、これらは神からの分離であり、幼子にはないのです。

大人は判断ジャッジして常に他と比較したり、劣等感や優越感を抱き、都合の悪いことは隠すのが普通です。暴力を振るったり、その犠牲になったり、愛する代わりに恨んだり憎んだり。幼子のようになるとは、これらのカルマのパターンを克服せよというということでもありますが、愛とワンネス、つまり「神と隣人を自分自身のように愛せ」の一言に尽きます。分離と敵対パターンの終焉。地上に神の王国を創ること。制限からの自由。

マスターナンバー55の人はキリスト意識がフォーカスですから、7つのカルマを変容・超越するために、これまでの人生で取り組んできたことでしょう。仕事であったり、生き方そのものであったり。

7つのカルマのうち、個人的な意見では「恥の意識」がもっとも難関です。なぜならば、キリスト意識の領域では分離がなく、心も体も閲覧可能な世界だからです。こどもは丸裸の世界でも気にしないで無邪気。そして純真。恐れ知らず。

集大成にはアセンションが控えています。

あなたのツインフレームたちがあなたを待っています。


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