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江戸時代の裁判は原則として自白裁判であり、特に死罪以上の重罪の場合、証拠や証人があっても本人が犯行を自供しない限り断罪できなかった。そのため、口を割らない者には拷問

江戸時代の拷問批判
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江戸時代の裁判は原則として自白裁判であり、特に死罪以上の重罪の場合、証拠や証人があっても本人が犯行を自供しない限り断罪できなかった。そのため、口を割らない者には拷問をかけて自白を強要することとなり、恐怖と苦痛で虚偽の自白をした者は多いと考えられる[5]。
幕末に処刑された刑死者の埋葬を受け入れてきた回向院の院主である川口厳孝は当時の冤罪について次のように述べている。
犯罪死に至るまで甚しからず、あるひは無辜冤罪にして刑戮にかかりし者亦決して少なからずとす彼の幕末の末年に牢死せしとて此原中に埋められし者等には実に聞くに忍びざる憐むべき者、甚だ多かりしなり[6]
冤罪の問題を憂慮し、本居宣長、新宮凉庭が拷問制度の不合理を主張している[7]。
また幕末においては、慶応2年(1866年)の津田真道『泰西国法論』や慶応4年5月4日の神田孝平「西洋諸国公事裁判の事」(中外新聞33号)において既に拷問が廃止された欧州の刑事裁判制度が紹介され、同4年の鈴木唯一訳『英政如何』でも1772年のイギリスにおける拷問制度の改革に言及されている。これらは一部の識者の共感を得たとみられるが、拷問制度改革には至らなかった[8]。
近代
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明治初期にも拷問制度が残置され、1870年(明治3年)の新律綱領に杖による拷問が規定され、1873年(明治6年)の改定律例は断罪には自白が必要と定められた[4]。
これに対し、1871年(明治4年)に司法省お雇外国人ボアソナードが同省構内における拷問を目撃したことからその後大木喬任司法卿に拷問廃止の建白書を提出、さらに1874年(明治7年)に前述の津田真道が本格的な拷問廃止論を展開、両者ともに無実者を出す弊害を指摘し、またその廃止が不平等条約改正の必要条件と主張。津田の『拷問論』はその2ヵ月後に司法省布達による拷問の届出制を採用させる程度の影響に終わった一方、ボアソナードは当時司法への影響力が高かったことから重視され、最終的に拷問禁止に結びついている[9]。
1876年(明治9年)の太政官布告では断罪は証拠によることと定められた[4][3]。そして1879年(明治12年)の太政官布告によって日本史上初めて拷問制度は公式に廃止された[4][3]。さらに刑法によって警察官による拷問は職権乱用罪の一類型として処罰対象になった(刑法195条)[4]。
しかし警察署内の現場では、取り調べ警察官による拷問事件が断続的に発生した[4]。有名な拷問被害者として社会運動家の岩田義道、作家の小林多喜二がいる。第二次世界大戦中の1942年に起きた横浜事件では、雑誌編集者らに対し拷問を与え3名が獄死した。ちなみに、こちらの事件で拷問を行った警察官は有罪となった[注釈 3]。また、1944年に発生した首なし事件では、警察官が拷問で採炭業者の男性を死亡させたが、正木ひろしが告発を行い、戦後になって拷問を行った巡査部長に有罪判決が下っている。
現代
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日本敗戦後のGHQ統治下でも、警察が拷問による自白を多数強要していたが、サンフランシスコ講和条約後の1952年(昭和27年)に、それまで行われた逮捕者をもう一度調べ、拷問による自白の者については再審判が行われた。
現在の日本においては、逮捕後の拷問による自白は、証拠採用されず、日本国憲法の第36条や第38条第2項においても、拷問の絶対禁止が明文化されており、拷問を行った公務員は逮捕される。警察官・検察官・刑務官が拷問を行った場合、特別公務員暴行陵虐罪が適用される。
しかし、それにも関わらず日本の警察は、現在もなお非公式の場で拷問を行っている疑いがあると、アムネスティ・インターナショナルなど「人権擁護団体」から指摘され、島田事件など冤罪事件の背景にも、静岡県警察による拷問同然の過酷な自白強要の取り調べがあると指摘されている(代用監獄や人質司法も参照のこと)。
21世紀の日本においても、志布志事件では、絵踏み(踏み絵は踏ませた絵のこと)ならぬ踏み字などの事実上の拷問による事件そのものの捏造が表面化し、事件の捜査に従事した鹿児島県警察の警察官が、特別公務員暴行陵虐罪で刑事裁判となり、執行猶予の付いた有罪が確定している。
その他にも、足利事件においては、自白の強要を目的に、被疑者を突き飛ばす、身体を蹴る、頭髪を引っぱる、体をつかみ揺さぶる、長時間の聴取など拷問まがいの暴力行為を、1日あたり十数時間、数日間にかけて取調室で行なった。
リクルート事件や障害者団体向け割引郵便制度悪用事件を始め、検察庁特別捜査部の事件では、被疑者を壁の前に長時間立たせて自白を迫ったり、「○○はもう自供した」などと言って、被疑者を精神的に追い込むなど、事実上の「拷問」が、現在も人質司法を用いた長期間拘留という、取締室の密室において、日常的になされていることが明らかになっている。
国際法での拷問
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国際法上は、拷問等禁止条約(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約)により次のように定義される。
この条約の適用上、「拷問」とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。「拷問」には、合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない。— 拷問等禁止条約 第1条
拷問方法の例
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→詳細は「1948年以降の拷問例(英語版)」を参照






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