反射炉を建設するための技術者達
反射炉の建設をしようにも、徹底した攘夷論信仰で西洋の学問を重要視していなかった水戸藩には、製鉄業に詳しい技術者がいません。そこで徳川斉昭は、他藩から技術者を借り受けることにしました。
反射炉建設の技術者として、三春藩藩士「熊田嘉膳」(くまだかぜん)と、盛岡藩藩士の「大島高任」(おおしまたかとう)を採用。すでに反射炉を建設し、昔から親交のあった薩摩藩藩主「島津斉彬」(しまずなりあきら)からは、反射炉の建設経験のある鋳造技師「竹下清右衛門」(たけしたせいえもん)と大工の「飛田与七」(とびたよしち)、瓦職人の「福井仙吉」(ふくいせんきち)などを呼び寄せます。
那珂湊反射炉の建設